沼池主の日常
そもそも友人である?本?との出会いは、なまずへ最後に意思を託した男の記憶の中だった。自由奔放な性格であったらしい彼は、何百、何千年と生きて仙人のような存在になっていたらしい。
死ぬ寸前に彼がたどり着いた、壊れかけの屋敷の中にある池。当時、(今もだが)そこで一番大きく、年を取っていたなまずは、何も考えずふらふらと彼に近づいた。それに気付いた男は、最後の力を振り絞って、自分が持っているすべての知識を何故かなまずへ託したらしいのだ。
おかげで彼の持っていた人間離れした能力やら生い立ちやら考えやらが、全部なまずの頭の中に入ってしまった。正直、人間ではない自分が、絶対に使わないような知識まであったりするので、なまずにとってうっとうしかったりする。
?本?のことは、その仙人のような男の記憶の中に、『なまずの住んでいる屋敷のひとつ前に訪れた小学校の図書室の中の古い本』という風に認識されていた。
だめ元で東小学校へ訪れたときには、本当に驚いた。しかし、打ち解けてみると愉快な奴だし、何より本がたくさんあるので、暇つぶし、息抜きにはもってこいの場所兼?書物?なのである。
○●○
夕方。子供たちはもう帰ってしまっており、大人たちは職員室でパソコンや書類に向かっているころ。薄い暗闇の中を、一つの黒づくめの影が校舎の中をゆうらりと歩いていた。
誰も、気付かなかった。
見慣れた『としょしつ』というまるっこい文字。長身に黒髪、黒い着流しの男――小学校にはまるで似合わない姿――に化けているなまずにとっては少し小さく感じる、立て付けの悪いドアを開けた。
すると、
「やいやい、あらわれたな、フック船長め。この俺が、お前を懲らしめてやる」
ちょうどなまずの胸あたりまである少年が、小さなナイフをこちらへかざしてそう言ってきた。芝居がかった口調に、ぎゅっとわざとらしくしわの寄った眉間。
「・・・・・・今日はピーターパンか」
「おぉ・・・やっとあてられるようになったんだね・・・僕は嬉しいよ」
両手を広げ、まるで役者のように大げさに言う「ピーターパン」。そして、さっきの睨みつける表情がうそのように、なまずに対してにっこりと笑った。
「この前なんか、すごく分かりやすく『化けて』あげたのに気付かないんだもの。今日の『ピーターパン』も分からなかったらどうしようかと思った!」
「・・・・・・仕方ないだろう、まだ読んでいない話の登場人物に化けられたってわかるものか」
「それにしたってさ、『赤ずきん』くらいは知っておこうよ」
国際的に有名な童話の格好をした?本?のことが誰の真似をしているのか分からなかった、かつての自分に対して苦々しく思いながら、なまずは図書室の中の椅子に座った。一方、「ピーターパン」に姿を変えている?本?は、にこにこしながら喋り始める。
「今日ねぇ、君がいつもお世話してあげてるっていう女の子がきたよ。せっかくだし、本を一冊あげたんだ!」
「・・・・・・香苗が?」
「へぇ、香苗ちゃんていうの。急にふらっと現れたもんだからびっくりしたんだよ!まるで君みたいにさぁ」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・あれ、怒った?」