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左手ピース

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06.予測変換。




 季節外れの桜が咲いている。今は五月だというのに。
 そんな季節外れの桜たちがこぞって自分の華やかさを競い合うようにしている通学路を歩きながら、朝っぱらからアイツに送るメールの内容を考えていた。
 それにしても内容をどうしたらよいものか。全く困ったものである。昨日、男であるアイツが男であるオレに告白をしてきたという大事件が起こったばかり。この清々しい朝が台無しである。
 通学路の途中途中にある民家から朝食の良い香りがしてきた。中にはカレーのものもあったり。朝からカレーとは……実に素晴らしい!


『昨日はごめん。カレーを一緒に食べよう』

 なんだかなあ。


『昨日はごめん。お前の話が聞きたい。放課後、オレの教室で待ってる』

 待て。ダメ、なんかダメ。


『昨日はごめん。カレー…』

 あ。


「カレーしかでてこねぇよ!!」


 メールの予測変換にはカレーという文字が入っていた。
 アイツに送るメールの内容も携帯の予測変換でなんとかならないのか。

 メールの内容に悪戦苦闘しているうちにいつの間にか学校に着いてしまった。
 うーむ、放課後までには何とか考えねば。


   ◇


 メールの内容を考えるという努力もせずに済んだようだ。
 アイツ――松橋陽一――は朝のうちにオレの教室に突然現れた。ピンク色の布に包まれた小さな弁当箱を片手に。


「姉貴~! 弁当忘れてっぞ~」
「あ、ヨウ! ありがとう。気づかなかった」
「は? まったくしゃーねーな」


 そこには今まで見たことの無いマツハシさんの表情があった。こんな表情もするんだ。
 可愛い。
 アイツがここの教室にいるということを忘れて松橋さんの先ほどの表情を脳内でプレイバックしていると、アイツが話しかけてきた。


「おはよう」
「……タメかよ」


 まさかオレに話しかけてくるとは思わず、いきなりのことだったもんだから、少し変な間が空いてしまった。それになんだか気まずい。まともに目を見ることができない。情けないな。
 アイツの顔をちらっと盗み見ると何とも無さそうな顔だった。しかも機嫌のよさそうな。アホらし。
 複雑な気分でいると、俺の左側から女の子特有の良い香りがしてきた。そう、あの日、オレがヤマグチに呼び出されて逃げるように職員室から出て行ったときにした香り。


「あら、鈴木くん、ヨウと知り合いなの?」


 マツハシさんがオレに笑顔で話しかけてきた。
 神様、ハイタッチしようぜ。
 まさかマツハシさんがオレの名前を憶えていてくれたなんて思わなかったし、それに会話することもこのまま無いのかななんて思っていた。思っていたのだ。だが、今確かに名前…名字ではあるが呼んでもらった。会話もした……!
 感動して言葉に詰まってしまった。早くマツハシさんの問いに答えないと。


「先輩はね、俺の彼氏」


 え? あ、耳の垢を掃除していなかったのかな。うん、そうに決まっている。


「そうなの? 素敵ね!」
「だろ?」
「鈴木くん、ヨウのことをお願いします」


 黒さなんて全くない純白の笑顔を、整った美しくも可愛らしい顔に浮かべるマツハシさん。得意気な顔のアイツ。ちょっと照れながらも姉として振る舞い、律儀にお礼をしながらアイツのことをよろしくと言うマツハシさん。ニコニコ暢気に笑っているアイツ。
 オレの脳内の予測変換はちっとも機能しないらしい。


 どうしてこうなった? どうやったらこうなる?

作品名:左手ピース 作家名:ぼんぼ屋