左手ピース
03.君、だれ?
それからはなんの出来事もなしに毎日が過ぎて行った。マツハシさんの上品な美しさは相変わらずでむしろ増しているのではないかと思えるほどである。あと、変わったといえるのは、部活に新入生が入ってきたということぐらいかな。
オレは演劇部に所属しているのだが、他の体育会系の部活や吹奏楽部と違って演劇部はかなり新入生の獲得が困難である。毎年オレたち演劇部は血眼になって新入生歓迎会公演を行い、勧誘も毎日やる。
通年、新入生は5~6人程度なのだが今年はなぜか14人も入部した。若干の恐怖である。
何事かと不安になるほど入部してくれたのだが、これは幸せなことに違いないと考えることにした。
そんな変化と共に日々をそれなりに忙しく過ごしていると、またもや事件は起こった。喜ぶべきなのか嘆くべきなのかよく分からない事件が。
「こんにちは」
放課後の誰もいない廊下をオレが歩いているときに、自分に向かって挨拶をする声がしたので後輩かなと思い振り返ってみると、見覚えのあるようでない顔をした男子生徒が笑顔でこちらを見ていた。
あれ、だれだっけ?どこかで……。
「えーっと……」
「コウタさん、ですよね?」
「あ、まあ、そうだけど、君、」
「俺と付き合って下さい」
こらこら、人の話は最後まで聞かないと、ね……はい?
「ダメっすか?」
えーっと、オレはトマトが好きです。アウストラロピテクスはすごいです。トマトはもうじき美味しい時期ですね。北京原人は果たして北京ダックを好物としていたのだろうか?
「せんぱーい? おーい、生きてますかー? 応答せよ」
憎たらしいことにオレより10センチほど大きい一年生らしき名無しさんはアホな面、でも整っている、所謂イケメン面がオレの顔を覗き込んでいる。
そして、この放課後の廊下に居座るしばしの沈黙。オレは何が何だか分からないまま喋った。
「えっと」
「あ、しゃべった」
「君、だれ?」
「そうだ、まだ名前言ってなかったや。俺、1年D組の松橋陽一。みんなにはヨウって呼ばれてます」
あれ?マツハシって……。それにこの顔。