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左手ピース

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11.昇格。




 六限目終了のチャイムが鳴った。
 朝から色々あって意気消沈気味であったが、今日も無事に終わった。
 今日一日でいいこともあった。あの麗しいマツハシさんからアドレスを頂いたのだ。そのことを思い出すだけで自然と顔がにやけてしまう。オレは必死にこのにやけ面を隠しながら鞄に教科書を詰め込み、教室を後にした。


    ◇


 そんな浮かれた足取りで部室へと向かい、扉を開け、部活の仲間に挨拶をすると後輩に顔がにやけているのを指摘されてしまった。お恥ずかしい。
 後輩や同期、それに先輩までにも理由をしつこく訊かれたが適当にはぐらかした。部の女子には「女だな」と見切られてしまったけれども。女の勘というものは恐ろしい。


 部員、特に役者は稽古で体を動かすためにジャージに着替え、発声練習を行うが、オレは音響だからと言っていつも制服のまま発声練習に参加する。ジャージはなんだか苦手だった。
 発声練習はステージの幕を閉めたまま行いそれが終了すると、ステージをできる限り広く使って稽古をするために幕を開ける。そうすると一気に視界が開け、ステージ側のコートではバスケ部が、反対側のコートではバレー部が練習に励んでいるのが見渡せる。今日は男バスと女バレが練習をしていた。
 オレはいつものように音響機材をステージ手前の下手側に設置し、稽古が始まるのを台本を確認しながら待っていた。音響にはあともう二人、三年生と一年生の女子が一緒に就いている。
 今回やる舞台は春の発表会に向けたものであり、三年生のラスト舞台でもあった。だが、一年に一度の秋の大会を見越して、三年生は一・二年生にほとんど舞台を任せている。するのはアドバイスくらい。もうそんな季節なのかと思うと寂しいものがあった。


 ほんの少し感傷的な気分に浸りながら何気なくコートの方に目を向けると、休憩中らしきアイツと目が合った。
 心臓が跳ねた。そして体が硬直する。やばい。
 そんなオレの状態にお構いなしにアイツはボール片手にこっちへと近づいてくる。こっちにくんな。
 オレの頭は本当におめでたい造りなのかもしれない。マツハシさんのことで絶好調に浮かれ、「今日はいいことあった! 無事に終わった!!」と思いつつ今に至るが、そんなことはなかったのだ。

 天敵は放課後こそにあった。

 完全に忘れていた。ステージのすぐお隣さんはバスケ部だということを。おめでたいにも程があるだろ。
 頭の中が白紙になりつつある合間にアイツはオレのすぐそばまで来て、俺を下から見上げていた。



「先輩、やっとこっち向いてくれた」アイツは少し不機嫌そうな顔で言った。「は?」
「俺さ、幕が開いた時から結構視線送ってたんだけど」
「……練習に集中しろよ」
「もちろん! 俺、好きなこの前では頑張っちゃうタイプだから」
「な……っ! 何言ってんだよ!!」
「だーかーら~、好きな」
「ばっ、もう、いいって! 練習に戻れよ!!」



 オレは慌ててアイツの言葉を遮ると、アイツは「まだ休憩中だからいいんですぅ~。先輩と話したんですぅ~」と嬉しそうに続けた。調子が、狂う。



「あのさ、何で先輩はジャージ着ないんすか?」
「え……あぁ、ジャージ、あんま似合わないと、思うから好きじゃない」
「うん、確かに」
「おい」
「でも先輩のジャージ姿見たいから明日、着てよ」
「は?!」
「決まり!!」



 更に混乱したオレを余所にアイツはちょっと見ててと言い残し、スリーポイントのラインに立つとシューティングを始めた。驚くことにアイツの放つ球はどこの位置から投げても全て綺麗にリングの中へと吸い込まれていった。だが、その球は決してリングの縁に当たらずに球とネットが擦れる音だけを残して床へと落下していった。そしてその落下した球はアイツの元へ自然に返っていく。
 オレは見惚れていた。それほどにフォームも何もかも美しいシュートで、心がスカッとするようなものだった。
一通りシュートを終わらせると、アイツはオレの方を向いてピースサインを笑顔付きで送ってきた。多分、この笑顔に大半の女子はやられてしまうのではないのだろうか。殺傷能力抜群の笑顔だった。
 この一連のシュートに心から感心したオレはアイツに向かって左手でピースサインを返した。無表情の顔でぎこちないピースを送ったがアイツは構わないようだった。驚いた顔をしたかと思えば、すぐに満面の笑顔になった。はーいはい、また女の子たちを掻っ攫っていきますよ~、このお方は。
 それにしてもオレのピースサインはそんなに珍しいものだったのだろうか。今になってちょっと恥ずかしくなってきた。


 まだ何かあるらしい。今度はオレ向かって「もう一本」というように、右手の人差し指を上に指した。
 アイツは友達を一人呼ぶと、その人にボールを渡し、その友人はフリースローライン当たりに立った。アイツはコートのハーフラインまで下がると、友人に呼びかけてそれから助走を始め、ゴールに向かって走り出す。すると、友人がタイミングを見計らってボールをパスし、アイツはそれを空中で受け取りそのまま着地せずに右手でダンクシュートを決めた。ボードが軋む音が体育館に心地よく響く。そしてバスケ部員からの歓声。

 なんだ、今のは。

 着地したアイツは友人と片手でハイタッチをし、そのままこちらへ向かってまたピースサインを送ってきた。オレもそれにまたピースサインで返す。そうするとアイツはまた満面の笑顔になって、それがなんだか可笑しかった。その笑顔につられてオレも自然と笑みがこぼれる。
 すると、いきなりアイツは全速力でこっちに向かって走り出した。


「録画完了!」
「はぁ!?」
「いつでも再生可能!」
「……何が?」
「先輩の笑顔っすよ」
「ばっ、ばっかじゃねぇの!?」
「天才です」
「ざけんな」
「すみません」
「消せ」
「家宝なので」
「朽ちろ」
「喜んで」
「喜ぶな」


 ダメだ。コイツ、イカレテル。


「あ、先輩、さっきのシュートどうでした?」アイツはちょっと誇らしげな顔をしながら訊いてきた。
「すごかった。二人組でやったあのシュートは何?」脳内でその時の映像が鮮明にプレイバックされる。
「あれはアリウープつって、二人とも息があってないと成功しない技なんですよ」
「……ふ~ん」
「あ、今、嫉妬しました?」
「十円ハゲになれ」
「喜んで」
「だから喜ぶな」真剣な顔をして言うものだから少し困る。「でもホント、どっちのシュートもすごかった。かっこよかったよ」
「え!」
「またいつか見せて」
「! ……もちろん!!」アイツは照れたように笑いながら「本当はワンハンドじゃなくて、ゴリラダンクで決めたかったから今度はそれで」と付け足した。



 そこでアイツの休憩時間は終わったらしく、それじゃあと言って戻って行った。
 もしかしたらアイツはオレの中で天敵からスーパーマンへと無茶苦茶な昇格をしてしまったのかもしれない。
 少し複雑な気分でいると音響の後輩が興味津々に尋ねてきた。


「先輩、松橋陽一と仲良いんですか?」
「え」
作品名:左手ピース 作家名:ぼんぼ屋