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左手ピース

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「そういう訳で、その日に一緒に祝ってほしいの」

 へ? な……何を? ど、どういう訳で?

「もう、お話はきちんと聞かないとダメよ」

 突っ込みどころ満載だがここは我慢。

「だからね、2週間後の5月23日はヨウの誕生日だから私の家で一緒に祝ってほしいの」
「えっ?! マ、マママ、マツハシさんのお家で、ですか?!」
「そうよ。さっきも言った通り、私の家では毎年お誕生日会を開いているから。まあ、家族だけでね」


 続けてマツハシさんは「ダメかしら?」と小首を傾げながらオレに同意を求めた。ダメなわけないじゃないですか! そんなに可愛い顔で、可愛い仕草でお願いされて断る男子なんてこの世に存在しませんよ。もしそんなのがいたら「男じゃない! 宇宙人だ!」と宣言できますよ?
 オレは彼女の要望を二つ返事で引き受け、彼女は安心したように「よかったあ~」と声を漏らした。


「このお話、ヨウには内緒ね?」
「あ、はい!」
「そうだ! 連絡もあるだろうしメールアドレスを交換しておきません?」
「え、あ、はい!」


 あやうく語尾に「喜んで!!」とつけそうになったがどうにかこうにかその言葉を飲み込む。がっつき過ぎるのはよくないと思うのだ。
 マツハシさんは携帯電話を身に着けておらず、鞄まで取りに行った。そして電源まで切ってあるらしい。オレは驚くと同時に感心した。校則をきちんと守っているなんて。ちなみにオレはマナーモードで常時持ち歩いている。違反だが気にしたことはなかった。

 赤外線通信でデータが交換され終わると「じゃあ、色々と決まってきたらメールするね」と彼女は言い、スズキくん、敬語を私に使うのよしてよと微笑んだ。


「あ、はい!」


 やっぱり面白い人ね、とマツハシさんは上品に微笑みながら言った。
 全然面白くないですよと萎みながら言うと、そうかしら? また敬語になってるわと彼女はあどけない表情を顔に浮かべた。


「ヨウ、スズキくんが私の家にいたら驚くだろうなあ。サプライズってわくわくするわね!」
「そうで…、そうかなあ」
「うん。絶対に驚くわ。そして喜ぶの!」


 会話が一段落着いたところで昼休みの終了を知らせるチャイムが鳴った。授業開始5分前の予鈴でもある。
 マツハシさんは満面の笑顔でオレにありがとうと礼を言い、彼女の席へと戻った。

 きっとオレは、アイツがいなかったら彼女と話すことも無に二年間を過ごしてしまったのだろう。その点では感謝するが……するが、なあ。どうしたらよいものか。マツハシさんと会話が出来ていることに感動し、誕生日会の主役はアイツにも関わらず、アイツの存在を忘れていた。かなり深刻な問題を忘れていたのだ。それとも逃避癖のあるオレのこの脳みそが逃避行を行っていたのかもしれない。


 そして、ここまで来るといよいよ後戻りはし難くなっていた。
 さっさとアイツに付き合うつもりはないと言ってしまえればいいのに。そのたった一言だけなのに。せめて、アイツがマツハシさんの弟でなければ、と思う。そうしたらこんなややこしいことにならずに済んだのかもしれない。
 その刹那、アイツの傷ついた顔がまた脳裏に浮かんだ。それでも優しく接して、好きだなんて言ってくる奴の。


オレは、一体、何に怯えているのだろう。


 右手でピースサインを作ってみる。それから左手でも。そして最大限に人差し指と中指の間を広げてみる。

(やっぱり、勝てねぇや……)


 授業開始のチャイムはいつも通り鳴り、教師もいつも通り授業を始めた。
 そう。これが、日常。

作品名:左手ピース 作家名:ぼんぼ屋