左手ピース
「彼、なんでも出来ちゃうんですよ~。見た目も中身も良いし、かっこいいですよね」後輩は感心したように言った。
「……へぇ~」オレは動揺を隠しきれているだろうか。
「もしかして、今日浮かれていたのはマツハシくんのせいですか~?」
「はい!?」持っていた台本を取りこぼしそうになる。
「ふふふ……。応援してますね!」後輩の目は何故か輝いてる。気のせいだろうか。
「え、ちょっと、ぎゃ」
「大丈夫ですよ。私、口は堅いんで」
語尾の星マークをなんとかして下さいませんか。
それにどいつもこいつも人の話を最後まで聞かないというのはどういうことなんだ。逆なんだ、逆なんだよ。むしろアイツのせいで意気消沈していたんだよ。
そして改めて思うことは、女の発想は怖い。どうしてそういう結論につながるのだろうか……。
役者の準備が整ったらしく、稽古が開始した。
オレは演出の希望通りに劇に音楽を塗っていく。裏方の本番でのミスは御法度であるため、稽古と言えども気は抜けない。抜いてはいけないのだ。練習で出来ないことは本番でも出来ないと誰かが言っていた。必ずしもそういうことばかりではないが、大概はその言葉道理なので逆らわない方が賢明だろう。
この時だけは、音響の仕事のみに集中するために何も考えずにいれる。オレはそのことに少なからず安堵感を覚えていた。
◇
部活が終了し、一人で家路につく。
帰る時には男バスではなく女バスが体育館で練習していた。
そして今日一日で起こったことを思い返しみる。……まあ、色々あったな、本当に。一日で起こった出来事とは本当に思えない程だ。
ちょっとだけ自分が何かの物語の主人公になっているような気分だった。今なら、「お前は主人公だ」と言われてもすぐに納得できるだろう。むしろそうであってほしい。主人公と設定されているなら、今現在進行形で起こっている全てのことは台本に書かれた一つの物語、フィクションだということになるからだ。作品の中の出来事。……マツハシさんとの出来事もフィクションとするのは残念だけど。
アイツの誕生日会まであと二週間。スーパーマンの誕生日会に出席するというなら大歓迎だが現実は喜ばしいものではなかった。その彼氏という肩書を持ったままの参加となるのだ。
溜息しか出ない。自然と溜息が出てしまっても可笑しくない状況だろう?
日暮れが夏に向けて徐々に遅くなってきた五月の夕暮れ。薄暗い夕焼け空の中を、肌寒さに耐えながら一人で黙々と歩き始めた。