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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
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天上万華鏡 ~地獄編~

INDEX|97ページ/140ページ|

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 皆耳を疑った。その発想が全くなかったと言っていい。口をポカンと開くばかりで誰も言葉を発する事ができなかった。やっとの思いで話し始めたのは笠木だった。
「マユ様、我々はローマ帝国や殷に対抗する武力もなければ人口もない。だからこの洞窟に身を潜めているんですよ? それにマシューからこの居場所を暴かれただけでも大騒ぎになったじゃないですか。建国なんてもってのほかです」
「だからだよ。場所が特定されただけでも潰れるような脆弱な状態でしょ? だからカルバリンの砦を手に入れている今、そこを一つの拠点にして防衛していくんだよ。隠れていくんじゃなくて領土を拡大して攻めの防御に出る」
「それは……」
 そんな発想なかった。守るために攻めていく。このままでは対抗できないからあえて建国する。常識を覆すマユの発想は、笠木のみならず、その場にいる誰しもの度肝を抜いた。
「それに建国宣言をする時に、ハルに歌ってもらえば人口増えるよ。だってハルの歌は人を救うから」
「その考えは安直だ! いくらハル様の歌が魂を揺さぶる崇高さがあるとしても、そこまで頼るのは危険すぎる」
 現実主義者のリストは楽観的な考えを嫌う。ハルの神々しさ、マユの戦略性を認めながらもそれのみに頼る戦法に危機感を募らせた。
「でもよ、姉御の歌はできそこないの俺の心にも響いたぜ。変態のねえちゃんの作戦も満更じゃねえんじゃないか?」
「リン君。そこが浅はかだというのだ。君の心に響いたからといって他の罪人にも通用するという保障がどこにある。海千山千の罪人達だぞ。君以上に荒んだ魂なんて腐るほどいる」
「その時は俺がちょちょいってやってやるよ」
 緊迫した議論の最中、間の抜けたスワンの発言に皆呆れ果てた。
「楽観的になるからこんな馬鹿も現れるんだ。全く困ったものだ」
「またあんたが混ぜるんだから……」
 すかさず毒を吐くリストとマユ。鋭い切れ味にスワンは卒倒寸前だった。
「場を和ませようと頑張ったのに……」
「お馬鹿さんは放っておくとして……あのさ、今回の件で、このアジトも、ローマ帝国がその気になればすぐにばれるって分かったでしょ? 今のままでいたら近いうちに暴かれるよ。そうなったら間違いなく全滅だね。これについてリストはどう思う?」
「それは分かってる! だから頭を抱えているんじゃないか!」
 どう考えても安全策はない。その閉塞感がリストを苛立たせた。怒鳴りながら机を叩くと、拳を力一杯握りしめた。
「短気にならないの。カルバリンにアジトを構えているってばれることを前提で対策を立てるのが妥当な考えだよね? だったら守りを固めないとね。ハルが歌うかどうかは後で考えるとして、ここは賛成してくれるよね?」
「それは私にだって容易に分かる! だからと言ってそんな正攻法で対抗できるほど俺達に力はないだろ!」
 リストとマユ。どちらも正論。だから誰も安易に口を挟むことができなかった。だが、俯いたまま考え事をしていたハルは覚悟を決めた凛とした瞳をすると、顔を上げ、皆に語りかけた。
「私……歌います。そしてみんなを救います。リストさんが仰ることも分かります。でも私やります。絶対に失敗させません」
「ハル様……」
 ハルの覚悟が眼力に、そして語気に乗って皆に突き刺さった。作戦に否定的だったリストでさえ、その迫力に圧され口をつぐんだ。
「私が頑張らないと全てが台無しになる……そうなんでしょ? だったら頑張ります。私が救います」
「ハルばかりが背負わなくてもいいんだよ。私も一緒に頑張るから」
「もし失敗してもいいんだぞ。俺が代表で百瓶でもなんでも受けてやるよ」
「白鳥君ばかりずるい。私も一緒になってやるわよ」
「どうしてスワン君とマユちゃんだけ? 私も一緒だよ!」
 百瓶は誰しもが戦慄する究極の処刑法である。それを受けてもよいと平然と言い放つ三人に皆驚きを隠せなかった。
「覚悟が足りなかったのはどうやら私のようだ……百瓶を進んで受ける程の覚悟をもって言葉を発していたんだな……」
 リストは俯きながら、か細い声で呟いた。
「リスト君、ここはハル様達に賭けようではないか。このまま無難にやり過ごそうとしても破滅が待っているのは決定的だからな」
 リストは笠木の言葉に小さく頷いた。これで意見はまとまった。しかしまだ重要な事が決まっていなかった。
「ところでさ、建国するとして、誰が王様?」
 スワンの素朴な疑問から発せられた言葉だったが、皆それが愚問だと言わんばかりに首を横に振った。
「スワン君。だから君は馬鹿だというのだ。君を一瞬でも見直した自分を抹殺したいよ。相応しいのは唯一だろ?」
「分かってるよ。敢えて聞いてみた。大事な事を忘れているようだったからさ。当たり前すぎて話題にあがらなかったってこと?」
 そう言いながらスワンはハルを見つめた。他の者達も同じようにハルを見つめる。それをハル本人はキョトンとした表情で受け止めた。
「私……ですか?」
「ハル様をおいて他にいません」
「笠木さん……」
「ハル、みんなを救うんでしょ? だったら王様になるのが一番いいんじゃない?」
 自分にそんな大役務まるのだろうか。真っ先に浮かんだ言葉だったが、皆の瞳を見つめると、そんな不安が次第に消えていくのを感じた。皆が自分に期待している。皆が自分を支えてくれる。皆の目がそう語っていた。
 かつては自分なんて消えてなくなればいいと思っていた。栄光の記憶を封印され、自己否定の道を歩いていたハルだった。だから、一国の主になることなんて考えられない。かつてのハルだったらそう思ったに違いない。しかしハルを取り巻く多くの思いがハルを立ち上がらせた。自分一人では何もできない。でも仲間と一緒なら出来るかもしれない。信じることでその思いを更に強くした。
 残酷なまでの自己否定の果てに見えてきたのは、仲間への信頼。そして自分に対する自信だった。それが多くの者を救うことにつながるだろうと確信した。
 その第一歩が一国の主に就くことだった。しかし、ハルには「王様」という言葉に違和感を覚えた。ハルは早速その思いを皆にぶつけた。
「分かりました……でも、ちょっと提案があります。私は王様にはなりたくありません」
「え? なんで? どういう意味?」
 マユからすると当然の疑問。皆も同じ気持ちだった。
「マユちゃん、私ね、みんなで国をつくっていきたいの。私の好き勝手にするんじゃなくて……みんなで頭捻ってさ、みんなで考えていきたいの。だから、この国を共和国にしたいと思って……」
「共和国?」
 マユの生きた時代はルネサンス期、中世真っ只中である。王政が当たり前だった時代に生きたマユに、民主主義の考えは理解できなかった。
「なるほど、民主主義にするわけですね。殷やローマ帝国にない新たな体制だ……」
 昭和に生きた笠木は、ハルの言う意味を理解できた。
 利己的な罪人しかいない修羅地獄において、絶対的な権力を有する王による統治が国による統制をとりやすいのに対し、共和制などの民主主義は国と力や権力ではなく国を治める者に対する信頼によって成立するものであるため不向きである。