天上万華鏡 ~地獄編~
「だろ? 国家の威信を賭けてそれを認めることはできないよな。だから廃棄なのだよ。分かったか?」
何も反論できなかったカラスだが、それでも仁木の言うことを素直に受け入れることができなかった。
次に、兵士や官僚などが働いている部屋をそれぞれ見て回った。様々な部署があり、そこに罪人達がいた。しかし共通することは、誰も働いていないということだった。無造作に置かれている武器や防具。書類は散乱し、それらの持ち主達は、酒や食べ物をだらしなく口に放り込む。集団によっては賭けトランプをしてその勝敗によってチップを移動させる。そんな動きしか見せなかった。
「カラスよ。彼等は何をしているのだ。休憩なのか?」
「いいえ、ああやって戦いが始まるまで待機しているのです」
「訓練は?」
「どうして訓練をする必要があるのですか?」
「訓練をしないと実戦に対応できないだろう?」
「銃器があるわけですから、それを使えば誰がやっても結果は同じです」
「銃器に頼るその姿勢が兵を堕落させているのだな? 腑抜けた魂を叩き直さねばな」
「はぁ……」
手を震わせながら不機嫌な表情を浮かべている仁木を見ながらカラスは、その意味を図りかねていた。
「それで、この銃器はどうやって手に入れるのだ。誰かが幻影として作らねば手に入らない代物だろ?」
「分かりました。ご案内致します」
そう言いながら、カラスは、別の部屋に仁木を連れて行った。その部屋は、会議室程の大きさだが、トイレの個室のように仕切られ、そこからお経のような声が聞こえてきた。部屋の中央が通路になっていて、その左右に個室がある。閉まっているドアの一つ一つに鍵がかけられていた。カラスはあるドアの前に立つと、鍵をつかって施錠を解き、ドアを開けた。仁木はカラスに促されるまま、ドアの前に立つと、中を覗き込んだ。
「カラスよ。これは何だ?」
仁木が疑問を投げかけたのも無理はない。中にいたのは、首から下は地中に埋められ、頭だけ出していた坊主頭の青年だった。更に目隠しをし、その口からは途切れなくお経が唱えられていた。明らかに苦痛を受けていあるであろう状態でありながら、嫌がる様子は全くなかった。むしろどこか満たされているようにも見える。この異様さに仁木は目の前にあるものを理解できなかったのである。
「これは沙門(サモン)でございます。生前インドで修行をしていた僧侶でありながら、実は欲に溺れていた。その報いでここにいる。それを悔いて、地獄にいながら苦行に励んでいるのです。その力が銃器として具現化する」
「欲を祓おうとして修行しているのに、その結果が欲望の象徴である銃器とはまた本末転倒だな?」
「いえ、善人ぶって修行僧のふりをしていたことを悔いているのです。苦行を行うことで、欲望を力として具現化できる。そこのことを知った沙門達が進んで行っていることです。他の部屋ではまた違った苦行をしていますよ。ご覧になりますか?」
「いや、いい。十分だ」
仏に近づくために修行していたはずの僧がその知恵を欲望のために使う。究極の禁じ手を平気で使おうとする浅ましさに戦慄を覚えた。目眩で倒れそうになるのをぐっと耐えながら仁木はその部屋を後にした。
「カラスよ。お前から見て、私の感覚に違和感を覚えるか?」
「え……まぁ……」
いきなり聞かれた故に、本音がポロリと出てしまった。言ってはならない言葉だと知りながらも、抗うことができなかった。
「構わん。正直に言え。それはどんなところだ」
帝に苦言を呈す。それがどんなに畏れ多いことか。カラスは途方に暮れた。脂汗をかきながら、言葉に窮すること数分。言葉を無言で待つ、仁木の圧力に耐えかねたカラスはやっと重い口を開いた。
「畏れ多くも申し上げます。本来、修羅地獄では、欲望の存在は肯定されるものです。欲望から派生する衝動を肯定することが通例になっております。それ故に殷におきましても、その欲望を晴らすことについては寛大ですし、様々な報償はそれを満たすものがほとんどです」
「そのようだな」
「しかしながら陛下は、その欲望を抑制されることを美徳とされる傾向にあるようの思われます。修羅地獄では欲望を抑制することはむしろ悪とされます。幸福とは真逆のものだと解釈されるためです」
「その通り。私と私以外の民には幸福の定義についていささか異なる部分があるようだな。真の幸福が如何なるものか、民に示さねばなるまいな」
「真の……幸福ですか……」
仁木の言う自分以外の民の中にカラスも入っている。当然、仁木の言っていることの半分も理解できていない。カラスは仁木の側近でありながら、仁木のことをまだ十分に分かっていない。そのことはカラス自身、今回のことにより実感することとなった。
「カラスよ。民の様子を視察する。案内しろ」
「かしこまりました」
仁木は屋敷の外。つまり民の居住区を案内させた。そこはかつて仁木が紂王を討伐しようと殷に侵入し、狂気に満ちた民を剣で払いながら突き進んだ場所。その頃と様子は全く変わっておらず、相変わらず狂気に満ちていた。
至る所で殺し合いをしている。かと思えば、無気力な表情を浮かべながら道ばたで寝転んでいたり、意味不明な言葉を叫びながら走り回ったりして正常な精神状態を保っていなかった。
時折、仁木に襲いかかる民もいて、その度に懐にある剣でなぎ払った。
「カラスよ。どうして民は狂気に支配されているのだ」
「狂気に支配……ですか?」
「そうだ。正常な魂の有様から随分とかけ離れているだろ?」
「陛下がおっしゃる「正常」とは何でしょう」
「……カラスの感覚ではこれが正常だと?」
「欲望の存在を肯定すれば、そうなります。欲望の赴くままに行動することは、ごく自然なことだと思います。むしろ欲望を抑制することを美徳にするような輩はそもそも地獄には墜ちませんし」
「罪を犯し、それ故に地獄に墜ちた輩にとって、ごく自然なことだと?」
「その通りでございます」
「なるほど。その感覚、常識こそがこの殷を支配する癌というわけか」
「癌?」
「いや、こっちの話だ」
そう漏らした仁木は、以降何も語らず、無言のまま玉座の間にカラスを連れて帰っていった。そして、少し考え事をした後、重い口を開いた。
「カラスよ。ただ今より、憲法改正に着手する。早急に元老院及び法学者達を集めよ」
「かしこまりました」
数日後、大通りの中央に御触書が出された。
「1 むやみに他者を傷つけるべからず
2 むやみに他者の所有物を傷つけるべからず
3 他者の所有物を奪うべからず
4 上記の掟を破った者は厳重に処罰する」
これを見た民達は、皆動揺した。これまでの楽しみが一切封じられることになる。余りにも厳しい掟に不満の声があがった。しかし抗う術がない民達は、その苛立ちを表情に浮かべながら、怒りに震えた拳をぐっと押さえることしかできなかった。
更に、城内に待機している兵達に対しては
「1 銃器を使った戦闘をするべからず
2 戦闘訓練を毎日五時間以上行うべし
3 少佐以上の将官は、武術大会によって選出すべし
4 上記1・2の掟を破ったものは厳重に処罰する」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ