天上万華鏡 ~地獄編~
カロルを案内するのは、こざっぱりとした執事風の格好をしている青年であった。褐色の顔に黒めの銀髪であり、この世の者とは思えない姿であった。
「佐々木君。ここは相変わらず臭うな」
カロルは、佐々木と呼ばれる執事風の男に顔をしかめながら語りかけたが、それを聞いた佐々木はそれに憤慨することなく、冷たい表情をしながら返答した。
「臭いとは、対象に対する意識の表れ。我が当主にも同じような嫌悪感をおもちだと?」
カロルは三田に交渉をもちかけようとしていた。そんな中で佐々木の言葉に同意することができなかった。佐々木はカロルの心を見透かしたように、返答に困る質問を投げかけたのであった。
「いや、そんなはずはないだろう。何を言っているんだ」
笑顔でごまかそうとしたカロルだが、カロルの浅はかな考えなどとうに見抜いている佐々木は、何も言わず、ただ軽蔑するかのような冷たい笑みを浮かべた。
「カロル様、少々お待ちください」
佐々木は、ひときわ豪華な扉の前に立つと、ドアの奥にいるであろう三田に語りかけた。
「当主、カロル・ジンガ様をお連れしました」
「佐々木君、入り給え」
佐々木は、目の前のドア開け、カロルを中に招いた。
通された部屋はひときわ豪華な内装で、中央に食事用の大きいテーブルが置かれていた。上には、蝋燭や食器、料理が所狭しと並べられている。
テーブルの奥には、佐々木と同じく、褐色の肌に、オールバックでまとめている銀髪がまぶしく光り、その時代にはあまり見られないスーツを着た紳士、三田才蔵が座っていた。
三田は、カロルに構うことなく食事を続けていた。部屋の端にはバイオリンやチェロなどの管弦楽団が穏やかなクラシック音楽を演奏していた。その演奏に酔いしれるようにうっとりと目を細めながら、目の前の料理を頬張った。
「カロル君。君は天使だから音楽の素養はあると思うが、シューマンのトロイメライは絶品だよな」
カロルは三田に断ることなく勝手に座り、怪訝な表情を浮かべながら三田の話を聞いていた。
「私はシューマンよりもモーツアルトだな」
「モーツアルトか。天使らしい優等生の回答だな。それより、カロル君。何をしているのだ。折角の料理が冷めてしまうだろ? 早く口にし給え」
「私も忙しいのだ。本題に入っていいだろ?」
悠然と構えている三田に対して、なかなか事が進まないことに、カロルは次第に苛立ってきた。
「慌てる乞食はもらいが少ない。人生そんなもんだろ? ん? 前にも誰かに同じ事を言った気がするな。交渉とは相手の呼吸を読んでそれを乱すことでよい条件を引き寄せる。次長にまでなったのに、そんな駆け引きはまるで駄目だな君は」
三田は相変わらずカロルと目を合わせず、音楽と料理に集中していた。カロルは、自分に意識を向けてくれない苛立ちを更に募らせた。
「三田! 私にそんな態度をとっていいのか? お前がそうやって呑気にしていられるは誰のお陰だと思っているんだ!」
激しい口調で責めたてられた三田は、初めてカロルに視線をやった。ゆっくりと手にしたフォークとナイフを更に置くと、甘美な笑みを浮かべながらカロルを見つめた。
「ほう。私は天界でいう法律違反を数限りなくやってきた。君はその重罪人をかくまう。つまり犯人隠匿を行ったと公言するんだね?」
「何を今更言ってるんだ!」
カロルは三田の言葉に激昂した。それを嬉しそうに眺める三田は、手の平からディスクを取り出してカロルに見せた。
「今の会話を録音させてもらった。これを然るべき人物に渡せば君は地獄行きだな」
「お前!……裏切るつもりか!」
ひどく焦るカロルだが、その様子を三田はうれしそうに眺めていた。
「ぶはははは! 冗談だ。冗談。そんなことお互いの利益にならない。君をからかってみただけだよ」
冗談にも度が過ぎる。完全に肝を冷やしたカロルは、怒る気力もなくしていた。
「カロル君。今日は何の用事かね?」
「やっと話を聞いてくれる気になったか。本題だ。お前は罪人ハルのことを知っているな?」
「ハル? 誰のことだ? 知らないな」
「現世では、城島春江と名乗っていたと思うが……」
三田は春江という言葉を聞いて眉をピクリと動かした。忘れるはずもない。自分が春江をそそのかして神仙鏡を盗ませたのだ。それによって春江は地獄行き。三田は懐かしい名前を聞いてあの時のことを思い出していた。
「城島春江……今はハルと名乗っているのか」
「そうだ」
「城島春江にはな、この屋敷の大広間に貧しい霊を拘束して、エネルギーを搾取しているという嘘をついたんだよ。すると春江君は迷いなく彼等を救うにはどうすればいいのか聞いてきた」
「偽善者の典型だな」
カロルは、三田の話を聞きながら改めてハルの行動が自分にとって不快なものだということを認識した。
「私もそう思ってね、神仙鏡を盗んできたら開放しようと取引をもちかけたんだよ。春江君は、千回詣という試練をもうすぐ乗り越えようとしていた時。成仏まで目の前だったからそんな馬鹿なことはしないだろうって思ったよ。でも、結局神仙鏡を盗んで地獄行き」
「自分の行動がどういう結末を迎えるのか分からない馬鹿なんだよ」
自己犠牲。最もカロルが嫌うもの。それが正義だと馬鹿正直に心酔するのは愚か者がすること。そう思っていた。ハルの行動はまさにそれにあたる。ましてやハルの正体がジブリールだとしたら余計見過ごすことができないことだった。
「本当にそう思うか? 私は、春江のそんな運命を笑ってやろうと、交換条件として提示した貧しい霊は幻で実際には存在しないことを打ち明けたんだ。薄っぺらい正義のために身を滅ぼした愚かさを味わってもらおうとね。すると何て言ったと思うか?」
カロルは、三田の問いに答えることなく、懐から一枚のディスクを取り出し三田に見せた。
「私は裁判官だぞ? ハルの情報は細部に至るまで目を通している」
「なら話は早いな。そう、可哀想な霊はいなかったんだと喜んでいたんだよ。私についてもそんな悪いことをしてないんだと安心とね。君はこの顛末をどう思う?」
「何が言いたいんだ? 罪人にしておくには惜しい程の高潔な魂だと言えばいいのか? そんなのまやかしだ。お前までそんなものに惑わされるとはがっかりだ」
「私は何も言っていない。君の言葉は、裏返せば君がハルに対して抱いている感情だよ。春江君の魂に嫉妬し、それに追従する者達に苛立つ。その感情を打ち消そうと躍起になって春江君を潰そうとする。そんな卑しい君の感情が爆発しようとしている。それに私を加担させようとしているんだろ? 余りにも単純な思考で呆れるばかりだ。もっと私をワクワクさせるような劇的な展開はないのかね」
「嫉妬だと!」
カロルは、三田の言葉を聞き、頬をピクピクさせながら激昂した。
「違うのか?」
「ハルは、ハル・エリック・ジブリールだ。お前も知っているだろ?」
「ほう。だからどうした?」
「どうしたって……ジブリールのふざけた計画をお前も知っているだろ?」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ