天上万華鏡 ~地獄編~
第13章「アシュタルト誕生」
メモリーディスク倉庫で話題にあがったジャッジ・ケイは、その頃修羅地獄のローマ帝国首都ローマにいた。場所は、謁見の間。玉座にはカリグラが座っていた。そして、入り口のドアがある辺りでジャッジが十数人の警備兵に囲まれながらも全く怯える様子もなく仁王立ちしていた。警備兵の手には拳銃が握られている。カリグラの一声でジャッジは蜂の巣になる。そんな緊迫した中にいた。
「天使さん。最近の天使は、城の中心に転送してくるような間抜けな行為が流行っているのか? ここ修羅地獄では天使の権力が通用しない。まさかそんなことも分からずに来たのではないだろうな?」
「汝の問いに返答する前に、名を名乗ろう。私は、第五獄卒長、ジャッジ・ケイ、別名羅刹天と言う」
天使が名乗ったときに出るお約束の火柱が立った。
「羅刹天……ということは、第五界を取り仕切る上級天使……ということか?」
「その通り。最下層コキュートスから、ここ修羅地獄まで、第五界に属する地獄は全て私が取り仕切っている」
「ほう。そんなお偉いさんが何のようだい? 私を潰しに来たのか? それにしては不用心だね。そこまで包囲されても、私の首をとる自信があるとでも思っているのか?」
「いや、交渉に来た。司法取引だ」
「司法取引?」
カリグラは思わぬジャッジの申し出に眉をひそめた。
「私の知り得た情報によると、汝は堕天使三田と接触をはかりたがっているそうではないか」
自分が執着している三田の名前が聞いたカリグラは目の色を変えた。
「どうしてそれを知っている」
「そんなことどうでもいいだろ? 大事なのは、修羅地獄で皇帝の座につく汝でさえも三田と接触をするのが困難だという事実ではないか?」
「…………」
「図星のようだな。だから私がその手はずを整えてやろうと言っているのだ。私の言葉を聞く気があるなら、この者達を払ってくれないか?」
カリグラと対等に話しているジャッジに対して、囲んでいる警備兵は更に緊迫した表情をしながら銃を向けていた。
「警備兵よ。退け」
カリグラの言葉を聞いた警備兵達は、銃を下ろし、部屋から去った。ジャッジは全く表情を変えないまま、同じ場所に立っていた。
「詳しい話を聞こうじゃないか。ここでは何だ、場所を変えよう」
「陛下! 天使と交渉なんぞ危険です」
カリグラは玉座から立つと、側近の忠告を一切無視し、ジャッジを別室に案内した。
「ここからはジャッジさんと二人で話をする。あなた達は同席しないように」
「陛下! 危険です!」
「君、もう一度口を開いたらどうなるか分かっているだろうね?」
冷たい視線を浴びせながら言われた側近は大きく身震いした後、体を固まらせて動けずにいた。その様子を見つめたカリグラは、頬を少し動かし微笑むと、ジャッジど二人で部屋に入っていった。
カリグラが案内した部屋には、広いテーブルとそれを取り囲むように椅子が置かれていた。応接室のようでもあり、内装や調度品は一際豪華なものだった。カリグラは、ジャッジから見てテーブルの反対側に立つと、着席を促した。
「ジャッジさん。詳しく話を聞こう」
「交渉に乗る気になってくれたようだな。結構だ。汝も知っていると思うが、堕天使三田は現世にいる」
「そんなことぐらい私だって知っているよ」
「ああ、問題は現世に行く方法だよな?」
「その通り。ジャッジさんはその方法を知っているというのか?」
「勿論。しかし方法を知っているだけでは駄目だ。相応の書類が必要だ」
「だろうね。私がいくらローマ帝国の皇帝だとしても、その書類を手に入れたり偽造したりすることまでは不可能だからね」
「だから、途方に暮れている……ということだろ?」
そう言いながらジャッジは羊皮紙で書かれた書類を取り出した。
「これは、刑事裁判局次長、カロル・ジンガ様による、ジュネリング特別使用許可証だ。ジュネリングの使用は、煉獄や天国の住人の中でも転生の許可が下りた限りある者にしか交付されない。ましてや地獄の罪人に下りるものではない」
「ならどうして許可が下りたんだい?」
「局長級の委任状があれば、超法規的措置がとれるという例外があってね、カロル様は次長だが、局長に近い立場として適用された」
ジャッジは、ジュネリング特別使用許可証の説明をしながら、十数個ある直径二十センチ程のリングを取り出した。
「そしてこれがジュネリングだ。これを首にかけないと現世に降り立つことができない。もしこれを首にせずに現世に降りたらあっという間にまた地獄に逆戻りだ」
「それぐらい私だって知っている。だって、私が現世で死を迎えた後、このリングが首にはめられていた。それで保安官だとかいう天使に生前の罪を咎められた上、リングを壊され地獄行き……忌まわしい記憶だよ」
「保安官は罪人を逮捕する天使。汝が生前皇帝という地位を利用して暴虐の限りを尽くしたのが災いしたようだな」
「ジャッジさん。あなたは私に説教をするために来たんじゃないよね?」
「失礼。話を続けよう。私がカロル様にお願いしていただいたものは、ジュネリングを使う資格とジュネリングそのものだけ。つまり、汝の咎が贖われたわけではない。だから、現世に脱出したとなると、脱獄という罪が加算されることになる」
「なるほど。となれば、保安官から追われるということかい?」
「ご名答。現世に入った後のことについて、我々は一切関知しない。それでもよければという条件となる」
「それで保安官によって地獄に堕とされたとしたら、どれほどの罪に?」
「その場合は、間違いなくコキュートス行き。永遠に氷の中に閉じ込められることになる。まさか修羅地獄の皇帝ともあろうお方が、怖じ気づいたのか?」
「天使は罪人を小馬鹿にするのがお好きだと見える。私がこの話を蹴ったら困るんだろ? 天使の甘言にほいほい乗る馬鹿だけではないんだよ。交渉の基本ではないか。皇帝である私が人払いまでしてあなたの話を聞こうとしているのに、あなたは私に対して一体どんな誠意を示すんだい?」
罪人と天使。この交渉内容が互いの利益に直結するといっても、信頼を寄せられる相手ではない。互いに相手を忌み嫌っているからこそ、言葉の端々にそれがどうしても現れる。両者とも涼しげな笑顔の奥にあるどす黒い敵意の刃が今にも吹き出ようとしていた。
「立場の違いが誤解を生む。それは本意ではないはずだ。汝は誠意と言ったが、地獄の罪人に対してジュネリングの利用許可が下りたという事例は、有史以来存在しない。そこまでして汝の望みが叶うように取りはからっているのだ。これが誠意と言わずして何というのだ」
「…………」
カリグラはジャッジに言葉に反論できなかった。確かにその困難さ故に一時は諦めていたこと。それが現実的な話として眼前に突きつけられた。一瞬罠かもしれないとも考えたが、話の内容からその心配はなさそうだ。
そう考えたカリグラは、話を最後まで聞いてみることにした。
「分かった。ジャッジ君。それで君からの要求はなんだい? 司法取引なんだろ? 超法規的措置をとる程だから余程の内容だとお見受けするが?」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ