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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
novelistID. 12248
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天上万華鏡 ~地獄編~

INDEX|75ページ/140ページ|

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――――この者は音楽を楽しもうって言っている。そうだ、俺はいつも一人だった。いつも一人でピアノを弾いていた。折角共に音楽を楽しめる相手を見付けたのに、俺の態度は何だったのだ……
 そう心の中で呟いたリスト。次の瞬間、ふっと照れくさいような素の笑みをこぼすと、それまで体全体を強ばらせていたにも関わらず、急に力が抜けていった。そしてテンと同じように爽やかな笑みを浮かべると、そのままテンを見つめた。
 その瞬間、リストの体が眩く光り輝いた。ハルが歌う時と同じ威光がリストの体の周りにも現れたのである。リストの表情はこの威光と同じく光り輝いていた。他を寄せ付けない陰鬱な表情ではない。心の底からテンとのセッションを楽しんでいた。
 曲も終わりに近づいてきた。リストはもうじき来る楽しい時間の終焉を惜しむように悲しげな表情を浮かべたが、そんなリストの気持ちを察したのかテンはリストに目配せをしてニッコリ微笑んだ。
 リストもテンに返すように微笑み返し、終わりを悲しむのではなく、今の楽しさをかみしめようと気持ちを切り替えた。
 最後、テン、リスト共にその演奏は激しさを増した。しかし、互いの音を生かし、調和していこうという信頼を元に終わりの一点に向かって走っていった。
 高まる集中力。それに比例するかのように輝きを増す威光。魂を鷲づかみするかのような迫力に、皆思考力をなくした人形のように立ち尽くすしかなかった。浮かぶ言葉は「凄い」の一言のみ。それ以外でこの衝撃を形容する言葉を見付けることは誰にもできなかった。
 ハルもまた同じだった。しかし他の者と違うのは、自分もあの場に立ちたいという音楽家ならではの欲求がわき起こったことだった。最初はリストのような著名な音楽家とセッションするのは畏れ多いと思っていた。しかしハルも音楽家である。音楽を聴いて感動させられる方ではなく、人を感動させる立場にある。自分の魂をあそこまで揺さぶらせた音楽を目の前にして、自分もそんな音楽にふれあいたいと思うのは音楽家としての性(さが)なのかもしれない。
 歌いたくてうずうずするあまり、唇が自然に細かく動くハル。その欲求が爆発する直前にリストとテンの演奏が終わった。
「すげー! すげーよ二人とも!」
 芸術から最も遠いだろうスワンが、興奮しながら拍手をする。その様子に普段だったら嫌みの一つでも言うだろうマユは何もふれなかった。それどころか
「白鳥君の言う通りだよ。リストも凄いけどテンちゃんにびっくり。まさかあそこまで……」
 スワンに追従して二人を賞賛した。
「そうだよ。俺は音楽なんて分かんねぇけどよ。それでも震えたぜ」
 皆の言葉にフッと微笑んだリストだったが、すぐさまハルに視線を向けた。
「ハル君? 君も一緒にやらないか? 歌うんだろ? さっきから口が動いていたからな」
 リストは、ハルの歌いたくて堪らなかった表情を見逃さなかった。音楽に生きるリストだからこそ、その表情を読み取ったのかもしれない。
「え? 私ですか?」
「そう。シューベルトの冬の旅だ」
 ハルの返事を聞かずに前奏を弾き始めるリスト。テンもリストに合わせて演奏を始めた。
「菩提樹か……」
 冬の旅とは、シューベルト歌曲集の一つである。その中でも有名な菩提樹という曲をリストは演奏し始めた。

「泉に添いて 茂る菩提樹
 したいゆきては うまし夢見つ
 幹にはえりぬ ゆかし言葉
 うれし悲しに
 といしその陰 といしその陰」

 チゴイネルワイゼンで二人の奇跡的な演奏を間近で見たハルは、緊張のあまり体を強ばらせた。しかし、歌い始めのタイミングが訪れると、リストとテンは、ハルを見て微笑んだ。まるで緊張しているハルを励ますように。その様子を見たハルは、二人の優しさを受け取り、穏やかな気持ちで歌い始めることができた。
 リストが、ハルを誘ったのは、ハルがあまりにも歌いたい素振りを見せていたからである。テンはハルの幻影だと分かっていたリストは、テンと奇跡的なセッションができたお礼のつもりだったのである。それ故、ハルの歌には全く期待していなかった。しかし、ハルの歌声を聴いた途端、テンの時以上に打ちのめされた。
 まるで天使の歌声。そう言うに相応しいものだったからだ。リストはハルの歌声が直接魂に響き、優しく溶かしていく感覚を生々しく感じていた。音なのに匂いがする。音なのに体全体を優しく撫でる。聴覚のみならず、全ての感覚で優しく慰めるその歌声に酔いしれた。
 ハルの歌声は確かにこれまでも全ての者を魅了してきた。しかし、それにリストの情熱的なピアノの音色と調和していくことで、その歌声に磨きがかかっていった。
 リストと同じくハルも威光に包まれた。二人とも強烈な光で覆われると、マユやスワンなどの観衆には目を開けることが困難な程のまばゆさになった。
「何これ!」
「何か……こわい……」
 この眩い光は魂の精神性を示す威光。それが目を開けることが困難な程のまばゆさになったということは、常軌を逸する神々しい様が展開されているということ。この場にいる者は全て畏れ多すぎて怖いと感じる畏敬の念に近い感覚に襲われていた。通常の威光だったら心地いい温かさに感じる。しかしそれが度を過ぎれば、耐えきれない痛みとして体中を刺す。その証拠に皆の体には尋常じゃないほどの鳥肌が立ち、リンに至っては、驚愕の表情を浮かべたまま動けずにいた。
 そんな緊迫した光景が繰り広げられたまま、菩提樹の一番が終わり、二番が始まった。

「今日も過ぎりぬ 暗き小夜中
 ま闇に立ちて まなこ閉ずれば
 枝はそよぎて 語るごとし
 来よいとし友
 ここに幸あり ここに幸あり」

 威光は更に輝きを増し、それに伴って聴衆に襲いかかる光の刃は熾烈を極めた。聴衆全ての意識を全て奪う時間が暫く続いたが、その光に大きな変化が訪れたことをマユやスワンはすぐに気付いた。
 脳が光に浸食されるかのような恐怖感と戦いながら、二人はじっとその変化を見つめていた。
「人だ……」
 呟いたのはマユだった。光がゆっくり動いて、その一部が膝を抱えて目を閉じている女に姿を変えた。次第に曖昧な形からはっきりとしてものになると、ゆっくりと床に降りていった。
 現れたのはこの女だけではなかった。性別問わず次々と光から別れて人の姿になっては床に降りていった。初めは目を閉じて意識がない人形のようだったが、光が鈍くなり、完全にその輝きが消えると、目を開け、立ち上がっては、リスト達の演奏を聴く観衆の中に混じっていった。
 曲が終わる頃には、光の中から現れた人が十人を超していた。
 リストは、増えた人を確認すると
「十三人か……そうだろうな」
 と意味深な言葉を残すと、すぐさまハルの側まで歩み出て、膝をつくと、静かに頭を下げた。
「今までの無礼をお許しください。ハル様、私は生涯をかけてあなたについて参ります」
「何を言うんですか! 頭を上げてください」
「いいえ、私は今ほど感動に震えたことはありません。是非あなたに執事したい」
「ハル様、リストがこのようなことを言うのは滅多にないんですよ。あなた様の素晴らしさを肌で実感したからでしょう」