天上万華鏡 ~地獄編~
笠木は、アナウンスで皆を解散させると、ハル、マユ、スワンにリンを加えた四人を会議室のような個室に案内すると、そこにある椅子に座るように促した。
そこは、洞窟の中にもかかわらず、クリーム色で統一された清潔感のある内装であり、椅子や机もまた、白や水色などの明るい色を基調としたものばかりだった。
「それにしても、入獄早々大変な目にあいましたね」
口火を切ったのは笠木だった。
「全くそうだよ。どうしてあんな大群から狙われないといけないんだよ」
「それもそうだよね。新入りだからつぶせるとでも思ったのかな?」
マユもまたスワンと同じく不満そうな顔で呟いた。
「それもあるでしょう。それより、スワン様は以前天使だったでしょ?」
「どうして知ってるんだ?」
「私は以前のあなたを知っていると言ったじゃないですか」
「ああ……そうだったな」
「元天使って私達からすると憎悪の対象なんですよ。だって地獄で天使は私達をいいようにいたぶるでしょ? その恨みが全部そこに向かう」
「俺はあいつらとは違う!」
「分かってますよ。私は分かってます。でも他の人はあなたの偉業を知らない。他の天使と同じようにあなたを見る」
「そうだね。私も最初は白鳥君を軽蔑したもん」
「マユちゃん……」
「だから狙われたんです。それに皆さん大人数で来られたでしょ? 自分達の仲間に引き入れたかったのでしょう。人数がものを言う世界ですから」
「でもさ、仲間にしようとするような感じじゃなかったよ? 思いっきり攻撃していたし。私はそんな風に見えなかったな」
「攻撃してもいいんですよ。木っ端微塵になっても再生するでしょ? 体の部品をかき集めて持って帰れば自分の国で再生完了。すぐさま仲間として引き入れる。そもそも仲間といっても奴隷として利用しようとする場合が多いですから、手荒い真似も横行するわけですよ」
「笠木さん。国ってどういうことですか? そんなにこの地獄は広いんですか?」
今まで口を開かなかったハルが、ずっと疑問に思っていたことを笠木にぶつけた。
「はい広いです。この地獄には数百万人いると言われています。国は大きく分けて二つ。西のローマ帝国と東の殷」
「ローマ帝国? ……殷?」
またもや女学校で習った世界史に登場する国名だった。ハルは教科書にしか登場するはずのない名前が現実的な話の中で出てくるとは思ってもみなかった。
「そうです。ハル様はご存じですよね? 私も生前聞き慣れた国の名前ですから」
「え? 有名なの? またもや女学校?」
マユは貴族として教養を積んだとはいえ、世界の隅々までの知識があるわけではなかった。特に中国の歴史はほとんど伝わってなかった。
「あ……うん。かなり有名な国だね」
「それでリーダーの名は……ローマ帝国はカリグラ。殷は……」
笠木は殷のリーダーを言うのに躊躇した。笠木は、殷の帝、つまり仁木が地獄に墜ちる前のハルを親身になって支えていたことを知っているからである。その父親代わりとも言えるその者が殷帝としてハルの前に立ちはだかっていることを知らせていいものかと思った。
「仁木なんとかだろ? 壁に書いているのを見たよ」
「はい。それは私も知っています」
あっけらかんと応える二人に笠木は唖然とした。
「仁木様ですよ?」
「はい。それがどうかしたんですか?」
記憶を消されている。笠木は真っ先にそう思った。それなら話は早い。地獄に墜ちる前の関係をわざわざ言う必要もないと思った笠木は、そのことにはふれず、話を続けた。
「ローマ帝国はカリグラを中心として、組織だった軍隊をもっています。連絡体制も整っていて、情報統制がとられています。逆にどんな情報もカリグラに集まるようになっていて厄介です」
「そうだな。戦争は情報戦だって言うもんな」
「その通りですスワン様。しかし、カリグラは拷問マニアで、ことあるごとに拷問と処刑に明け暮れています。それが怖くてカリグラに忠誠を誓っている者も多いとか」
「拷問ですって! そんなことをする奴は私が潰す」
「どうしたの? マユちゃん」
「私も拷問されて処刑されて殺されたもん! そんなことをする奴は絶対許せない!」
「変態のねぇちゃんは拷問で殺されたのか……一体何をしたんだい?」
「何もしてないよ! でも拷問されるの。そういう時代だったの!」
「怒りはごもっともです。その怒りを晴らす時を待ちましょう。次に殷ですが、以前まで紂王という者が帝だったのですが、仁木が単身乗り込み、紂王を力でねじ伏せたと聞いています。仁木は生粋の武闘派。そのため、今現在殷の戦闘能力が格段に上がったと聞きます。殷は今激動の時。実際の所どうなっているのか不明です」
「笠木さんさ、そういう情報どうやって手に入れるの? 全部本当? だってさ白鳥君がやられそうになった土人形? あれの対処法違ったし」
「ああゴーレムですね。情報が少なかったのであんな曖昧な対処になってしまいました申し訳ありません。情報の多くはある同士によるものです。今から案内しますよ。でも偏屈だからお気を付けて。ささこちらへ」
別室に案内する笠木。その部屋に入る前に、ハルは大きな反応を示した。ピアノの音色が聞こえてきたためだ。
「これは……ラ・カンパネラ?」
涼しい鐘の音色が弾けるようなピアノの旋律は、音楽に詳しいハルじゃなくても足を止めて魅了される程であった。軽やかでありながらも情熱的なその演奏にただ者ではないという雰囲気を感じ、ハルは胸を躍らせながら目の前のドアを開いた。
そこは、十畳ほどの部屋の中央にピアノが置かれ、壁際には椅子に座った十数人の観衆がいた。演奏している男は入室したハル達を意識に留めず、一心不乱に弾いていた。
「すごい……」
ハルは思わず呟いた。
「うん……」
マユはそれに返事しかできなかった。それ程圧倒されたのである。まさに一流の演奏に、笠木以外の者達は全ての感覚をその演奏者に吸い取られていくかのような錯覚を覚えた。
演奏は、滑らかな鐘のような旋律から、最後の激しい盛り上がりに移っていった。演奏者は額に汗を浮かべながら、体全体で弾いていた。その動きだけ取っても芸術的であった。旋律だけでなく、体の動きですらも魅せるのである。うっとりと目を閉じて弾いていた表情が一変して、急に目をかっと開いた。そして目の前の鍵盤を眼力で粉々に砕くかのような鋭い目つきで睨み、腕を激しく動かし、常識を逸する程の速さで鍵盤を叩いた。
最後、思いっきり手を振り下ろして、鍵盤を叩いた後、ゆっくりと手を上げた。その瞬間、般若のような鋭い眼光はすっと柔らかくなり、ふっと微笑むと、ゆっくり立ち上がって礼をした。
ひとときの静寂。その後溢れんばかりの拍手や喝采に包まれた。ハル達も感動のあまり涙を浮かべながら力一杯拍手した。
演奏者は、ハル達に気付くと、すっと目の前まで歩き、再度礼をした。
「この方が私が常々話していた春江様……いやハル様だ。そしてお仲間のスワン様、マユ様、リン様だ」
「初めまして。私はフランツ・リストと申します」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ