天上万華鏡 ~地獄編~
「おお分かった。いい心がけじゃん。あんたはさ、私の合図で強い風を敵の方に吹かせてね。それに乗って私の幻影を飛ばすから。勢いあった方が効果的だろうしね」
「おう。分かった。ねえちゃんがしっかり合図してくれねぇとできないからな」
「あい了解。他にいないの? 特殊能力ある人」
マユは辺りを見渡したが、誰も名乗りでなかった。
「そうか……虚無地獄に入っていない人の方が多いのか……あそこで力に目覚めるもんね」
「いや、ちげえ。俺も虚無地獄に入ったけどよ。変態のねえちゃんのようなことはできなかった。俺のような凡人にはできねぇことなんだよ」
罪人のうちの一人が申し訳なさそうに言った。
「そんなことないです。人によって得意なことと不得意なことありますよ」
ハルは、その罪人の顔をのぞき込むように言った。その心配そうな表情を見て、罪人の顔は笑顔になった。自分なんかを気遣ってくれる。これがハルなのだ。ハルと行動を共にする幸せを改めて実感した。
他の罪人についても同様だった。
今は、絶望的な状況だ。でも、それを乗り越えるだけの策を考える仲間がいる。それを実行できる仲間がいる。そして自分達のことを本当に心配してくれる仲間がいる。それが皆の士気を上げ、困難に立ち向かう力になっていた。
「守られるだけじゃ癪にさわらあ。何かできることはねぇのか?」
「おう。そうだぜ。何かやらせろ!」
「そうだ。そうだ」
皆団結して乗り越えようとしている。それを実感したハルとマユはニッコリ微笑んだ。
「おう、みんなやる気満々だね! いいことだぞ! じゃあさ、ハルと白鳥君に力を送って」
「力を送るってどうやるんだよ」
「背中に手をつくんだよ」
マユは一人の罪人の背中に手をついた。
「それでね、自分の胸にある何か燃えるような力が相手に伝わるように念じるの。ね? 何か来たでしょ?」
「本当だ! 元気になってきた!」
驚く罪人。しかし、リンは首をかしげたままだった。
「でもよ、変態のねぇちゃんよ。それじゃあ、姉御と錦鯉のにぃちゃんにさわることができる奴は限られるだろ? さわれない奴はどうするんだ?」
「うーん。そこまでは考えてなかったな。リンちゃんいいアイディアない?」
「またリンちゃんって……そうだな、結界が壊れたときに壁になるっていうのはどうだい?」
「それは駄目です! 皆さんが犠牲になることはないでしょ?」
ハルは真っ先に反対したが、どの罪人もリンの言葉に同意した。
「姉御いいかい? できることをできる奴がやっていかねぇとこのピンチは切り抜けられねぇ。たとえ俺等の背中が切られてもいてぇだけだ。どうせまた元に戻る。姉御等も力使ってへとへとになるんだろ? だったら俺等もそれぐらやらせろよ」
「ハル。そういうことだよ。これは総力戦。みんなで力を合わせないとね」
守るだけが仲間じゃない。信じることが友情である。トロンの言葉がまたハルの頭をよぎった。
「うん。分かった。みんなで頑張ろうね! 皆さん! 宜しくお願いします」
「ハル。その通り」
「姉御! いっちょやってやるよ!」
話がまとまったことを確認すると、スワンは早速結界の準備に取りかかった。
「ハルちゃんも急がないともうそこまで来ているぞ」
スワンの言うとおり、既にローマ帝国軍の姿が見えてきた。数にしておよそ二百。皆馬に乗って猛スピードで向かってきている。
スワンは掌を掲げ、
「龍よ出でよ」
と唱えると、いつものように、白と赤のコントラストが眩しい錦鯉が飛び出してきた。
「錦鯉ですけどー」
冷たいマユの突っ込みに、にらみ返すスワンだったが、何も言わず、次の所作に移った。
「マユちゃん。結界の合図いいかな?」
ハルは目を閉じながらマユに問いかけた。
「うん。そうだったね。ハルは目を閉じるから見えないんだった。いいよ、私が合図するまで集中してね」
ハルは、呼吸を整え、瞑想状態に入った。すると、体を覆う微弱な光。つまり威光が次第に眩しく光り輝いてきた。
「白鳥君とハルの側にいる人は、背中に手を置いてね。でもまだエネルギー入れちゃ駄目だよ」
「おう!」
「風起こせるあんた。誰だっけ名前」
「ピーターだ」
「ピータンは私の横に!」
「ピータン……」
「文句を言わない! 返事は?」
「……う……あ……はい」
ピーターは動揺しながらマユの側に歩いていった。
「変態のねぇちゃん。壁になる奴は俺が仕切る。いいよな?」
「うん。リンちゃんに任せる」
「おう!」
「みんな来るよ! 準備はいい?」
「おう!」
皆一斉に返事をした。心が一つになった瞬間であった。自分のやるべきことを集中して取り組もうとしているためか、皆集中して無言になり、緊張感が漂う中、来るべき時を待っていた。
そんな時、思わぬ訪問者が現れた。
「春江様!」
一斉に声の主を注目した。
「春江様! 私です。笠木です」
笠木と名乗るその男は、グレーのヒゲを携えた眼光鋭い中年だった。笠木は、目を大きく見開いて驚きの表情を見せながら、ハルの元へ駆け寄って行こうとしたが、
「誰だお前!」
と、リンに肩を掴まれ、止められた。
「あ……怪しい者じゃないんですよ。私は春江様に助けられた笠木といいます」
「春江様って誰の事だよ!」
リンと笠木の言い争いが聞こえたのか、ハルは目を開いて笠木の方を振り向いた。
「あ……笠木さん?」
「覚えてましたか! そうです。笠木です。春江様も地獄に?」
笠木は、「春江」という言葉に反応しない事からピンときた。
「春江様……まだ名前を思い出してないんですね? あなたは地獄に墜ちる前は春江というお名前でした」
「ハル! この人信用できるの?」
「うん。笠木さんは、私をかばって地獄に墜ちた方。信用できる」
「じゃあ、作戦続行。笠木さん? あんたも手伝って」
マユの指示により、一時、笠木に意識が向いていた皆は、また自分の持ち場に戻った。
「あそこに見えるのはローマ帝国軍。私が逃亡の便宜を図りましょう」
マユは笠木の呟きから、この地獄の事に精通していると踏んだ。そのため、ここは笠木の提案に乗ることが賢明だと判断した。
「笠木さん。私達を逃がしてくれるんだね? どうすればいい?」
「皆さんの作戦をそのまま続行してください。それで少なくとも五分は持ちこたえていただきたい」
「どうして?」
「私の術は時間がかかるんです。それにこれだけの人数をどうにかするには、それなりの大きさの術をかける必要があるし」
マユは、笠木が何をしようとしているのか分からなかったが、それを詳しく聞いている時間はない。とりあえず笠木の言う通りにすることにした。
「春江様……」
「ここではハルだから!」
春江と呼ばれたら、多くの者に通じない。そう考えたマユは些細なことだと思いながらも笠木を諭した。
「ハル様、今度は必ずお守りします」
笠木は、かつて叶えられなかった想いを決意に変え、ハルに宣言した。
そうしているうちに、ローマ帝国軍が目の前に来た。
「目指すは元天使。ロンの左腕がその元天使の足を掴むと言っていた。千切れた腕がある者をまず狙え! そして他の罪人達も含めて根こそぎ捕獲せよ! 殷に遅れをとるでないぞ!」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ