天上万華鏡 ~地獄編~
「法の定める通りにしかできない不良品は、今すぐゴミ箱に入れても誰も困らないよな? そう思わないかマシューさん」
自分のことを言われている。そう直感したマシューは、一瞬にして凍り付いた。
「あ……え……いや……拷問大好きです」
公に言えない自分の加虐願望をつい言ってしまった。生前だったら口が裂けても言えない身を滅ぼす告白をサラリと言ってしまったのである。そんな思いから、口に出した途端に後悔したマシューだった。しかし、マシューの恐れに反し、カリグラはその告白に満足し、微笑んだ。
「マシューさん。ここであなたの趣味を悪く言う者はいないよ。逆にそれがあなたの身を助けると言っていい。これまでの価値なんてあってないようなものなんだよ」
カリグラは、冷酷な言葉とは裏腹に、少年のような柔和な語り口で喋った。このギャップが更にカリグラの冷徹さを際立たせた。
「だからマシューさん。ここではあなたの欲望のままに振る舞ったほうがいいと思うよ。ここで本音と建て前なんて分けて考える必要ないんだよ」
マシューにとって願ってもない話だった。しかし、この手の話は、馬鹿正直に乗っかった途端に足下すくわれることが多い。カリグラ始め、その配下達の動きを見ながら判断していく必要があると冷静に判断した。しかし、そのような猜疑心をカリグラは見透かしているのか、マシューを無条件に納得させる仕掛けを用意していた。
「マシューさんを歓迎する儀式を始めよう。拷問官の諸君、牛を用意しなさい」
「御意」
拷問官と呼ばれる数人の男達が、金色の金属で作られた実物大の牛の像を、宴会場の中央に運び、設置した。この金属は真鍮(しんちゅう)と呼ばれ、欧州でロウソク立てなどに使われるものである。
この牛の背中には、蓋のようなものがあり、それを開くと、人一人が入れるほどのスペースがあった。つまり、この像は空洞になっていたのである。
「ファラリスの雄牛ですか?」
マシューは目を輝かせながらカリグラに問いかけた。伝説の拷問法、いや処刑法。噂には聞いていたが、この目で見ることができるとはという思いから、興奮せずにはいられなかったのである。
「流石、よく分かってるね。しかし、伝統的な方法からちょっと趣向を変えてみた。ここは現世じゃないんでね、地獄仕様にしてみたんだよ」
マシューはカリグラの言葉を喜々として聞いた。ファラリスの雄牛というだけでも興奮する。更に自分を楽しませることがあるのかと思ったからである。
「牛の足下を熱するよね? マシューさんだったら何を燃やして熱するかい?」
「え? まきですかね」
「マシューさん。現世の発想から抜け出さなきゃ。それじゃあ勿体ないんだよ。無駄なく苦しめるのが地獄流だよ。拷問官の諸君。元天使を持ってきて」
「元天使?」
マシューは眉を細めた。元ということは堕天使か? 知っている限りの知識を生かして考えようとしたが、違っていた。
「マシューさん。この阿修羅地獄はね、天使が何匹か紛れ込んでいるんだよ。罪人のふりしてね。それで天使のいいようにこの地獄を操作しようとする。でもね、それが罪人にばれて、囚われたら天使をクビになるんだよ。そんな馬鹿はいらないってね。天使も可哀想な人種なんだよ。私達のおもちゃにされてね」
「はあ……」
二人が会話している間に天使が運ばれてきた。大きな壺と棒のようなものが四本入ったバケツが用意された。大きな壺には何かが入っていて、それがゴソゴソ動いていた。
「マシューさん。ファラリスの雄牛って、あの牛の中に処刑する罪人を入れて、下で燃やすことで中にいる罪人を熱さで苦しめる。そして、息苦しくなるから外と直結する管を口にして呼吸すると、それが楽器の役目を果たして牛の鳴き声のような音になる。というものだよね? あぶられるために脱水症状を起こした上で死亡。最後は燻製のできあがり」
「そう理解しています。陛下」
マシューは小さく頷きながら答えた。
「それは死というものがある現世での話。地獄は体が損傷しても意識はあるし再生される。だからうまくやれば永遠に続く」
カリグラはそう言いながら、壺の中に入っている物体を拷問官に取り出させた。中に入っていたのは、手足を切断され、恐怖の余りか青ざめている男だった。翼が折れている。どうやらカリグラの言う元天使らしい。この元天使は先程まで水に浸けられていたため呼吸ができなかった。そのため、中から出された途端大きく息を吸い込んだ。このダルマのような元天使は、すぐに牛の体の中に入れられ、外から蓋をされた。
カリグラはその時、バケツを拷問官から受け取っていた。マシューはその中を覗き込んだ。その中には、人の腕や足を根本から切断したものが入っていた。その手足等は、痛みに耐えているのかピクピクと痙攣していた。カリグラは、手足を一本ずつ手に取ると、釘と金槌で牛の下に打ち付け、固定し始めた。釘を打ち付ける度に痛みのためか、暴れようとする手足だったが、暫くすると固定されたためか動かなくなった。
その手足にタールを塗り、火を点けた。苦しみに耐える手足。タールが塗ってあるために火は瞬く間に広がっていった。そしてその火が金属製の牛の腹を熱していった。
手足を切断する。その手足を薪代わりにする。しかも拷問法は古代ギリシャの時代に悪名高いとされている「ファラリスの雄牛」である。何から何まで現世では考えられない残虐さがあった。
中からは悲鳴やうめき声は聞こえない。その代わり、牛の口から鳴き声のような音が響いてきた。
「マシューさん。美しいだろ? 楽器の部分にこってね、よい音がでるようにと工夫したんだよ。うまくいった」
「初めて聴きます! 何とも美しい……」
恍惚とした表情でファラリスの雄牛を見つめるマシュー。カリグラに仕えることを決断した決定的な瞬間だった。
「まだまだ、甘いよマシューさん」
「え?」
まだ何か仕掛けがあるのだろうか。マシューは更に下品な笑みを浮かべながらカリグラを見つめた。
「腕が燃え尽きるとその部分は炭になって火が弱くなる。ほんの小さな炎になった頃、牛の中にいる胴体も燻製になって使い物にならなくなっているんだよ。火が弱くなった薪はこのタイミングで再生を初め、同時に胴体も再生する。再生が両方終わったら、薪の火力が強くなって、炙り出し開始。つまり、永遠に燃やし続けることが出来るという仕組みだよ。どうだ永遠の拷問って。マシューさん憧れるだろ?」
「はい……」
もうマシューは卒倒寸前だった。これぞ自分が追い求めていた道。そう確信してやまなかった。
マシューはこの阿修羅地獄に足を踏み入れたばかりだった。生きた時代はマユと同じルネサンス期。奇しくもマユの住んでいたスコットランドの隣、イングランドで魔女狩り将軍として数限りない民衆を魔女に仕立て死刑台に送り込んだ者である。魔女狩りで処刑されたマユとは立場を逆にする存在だった。
そのマシューが修羅地獄に足を踏み入れた後に目にするあのメッセージ付きの壁。マシューはそれを見ながらどちらに行くが迷ったが、釘で打ち付けられている罪人達を見て、カリグラにつこう判断した。自分の好きな拷問ができるかもしれない思ったからである。
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ