天上万華鏡 ~地獄編~
沸き上がる一同、程なくして、頂上に到達した。夢にまで見た出口の扉。みんな緊張しながら側まで行った。罪人の一人がそのドアのノブに手をかけようとした時、
「ちょっと待ってください」
ハルがそれを制止した。
「皆さん。天使様達が私達をずっと応援してくださいました。本当は私達の邪魔をしなくてはならない天使様達が、邪魔をしないでずっと守ってくれたんです。何かご恩返しをしたいんです」
皆、ハルの言葉でハッとした。脱出することばかり考えて気付かなかったが、ハルの言う通りだ。罪人達は小さく頷いた。
「歌だ。歌が一番いい」
リンが即座に返答した。それを聞いた陸軍十等兵は、何も言わないまでも、明らかに目を輝かせていた。誰の目にも歌を期待していることは明らかだった。
「そうですね。じゃあ皆さん一緒に歌いませんか?」
「おうよ。でもよ。何を歌うんだ? 今まで歌ってくれた歌しか俺達しらねぇぞ」
「そうですね……天使様、どの歌がよろしいですか?」
「月だ! 満月の歌」
「そうだな。それがいい」
天使を説得するために心を込めて歌ったあの歌だった。陸軍十等兵達にとっても罪人達にとっても、今この場で歌うに相応しい曲だと納得した。
早速テンが召喚され、前奏が演奏された。ハルは皆に目配せすると、一同小さく頷き、歌い始めた。ハルは歌いながら、バベルの塔での出来事を想起していた。不安がいっぱいで震えている自分をマユが励ましてくれたこと。スワンが来てくれて、賑やかになったこと。インドラが自分達を認めてくれたこと。ジャッジに奈落の底まで突き落とされたけどリン達に助けられたこと。トロンに友情とは信じることだと教えられたこと。天使と心を通じ合うことができたこと。
今まで自分一人で頑張ってきた。自分一人で皆を守ってきた。しかしそれは間違っていた。自分一人の力だけではここまで来ることはできなかった。友を信じ、友と助け合うことで、今の自分がある。そして、そんな友に囲まれた自分はなんて幸せなのだろうと、心の底から思うことができた。その感謝の気持ちが歌声となって聴く者全てに響いていった。
聴いていたのは陸軍十等兵達だけではなかった。アナウンス室にいるトロンやカムリーナ。そして影からこっそりと見守っていたインドラもハルや罪人達の歌声を聴きながら、一人残らずバベルの塔を通過しようとしている奇跡の場面をその心に刻んでいた。
歌い終わったハルは、深々とお辞儀をすると、皆それに習って同じように深々とお辞儀をした。
「天使様、ありがとうございました。ご恩は決して忘れません」
「おお! 天使になって戻ってきたまえ。絶対罪人としてまた戻ることはないように」
「その通りである。今度会うときは、同僚として共に頑張ろうではないか」
陸軍十等兵達の激励に皆喜びの表情を浮かべた。
「おうよ。俺が天使なんてぜってぇいやだって思っていたけどよ。天使さん達を見ていたら満更でもねぇって思うようになったぜ。いっちょうやってやるよ」
「皆さん行きましょう」
ハルの言葉に一同頷くと、ドアの先の眩い世界に踏み込んでいった。
ハル達がバベルの塔から脱出して数時間後、あの男が舞い戻ってきた。
「そろそろハル達のタイムリミットが近づいている。絶望に打ちひしがれながらコキュートスに墜ちていく様を見物するとしよう」
第五獄卒長のジャッジである。
ジャッジは、ハル達の通過に感動し、その余韻に浸っている陸軍十等兵達を怪訝な顔で眺めながら、塔中央の吹き抜けを降りていった。
ジャッジは降りながら、どの陸軍十等兵達も興奮冷めやらぬ様子で談笑している様子を眺めつつ、いつまでたっても罪人達に出会えない事を不思議に思っていた。
ジャッジはもしやと思い、自らのエンジェルビジョンを取り出し、操作し始めた。ディスプレイには、数週間前から数時間前までの様子の映像が映されていた。
「何? 既に罪人共は脱出しただと? しかも軍人共がその便宜を図ったとは……そんなことがまかり通ってなるものか!」
ジャッジは、陸軍十等兵達がハルの手助けをしたことに激怒した。
「バベルの塔において戦闘訓練を命じられた全軍人共に告ぐ!」
怒りに震えたジャッジの声は、バベルの塔全体を揺らすほど、大きな振動となって陸軍十等兵達に響いていった。陸軍十等兵達は、ジャッジの怒気にあてられ先程までの余韻が全て吹っ飛でしまった。皆、何事かという思いでいっぱいだった。
「君達は、このバベルの塔にいる罪人を叩きのめし、より多くコキュートスに堕とすことを命じられたはずだ。しかし、君達がやったことは一体何なのだ。叩きのめすどころか、敵に塩を送るとは何事か! 君達は、公職天使法第三十五条第二項『職務に専念する義務』、同法四十五条『上司の命令に従う義務』を怠った。明らかな法令違反である。よって私は君達の任命権者である陸軍幕僚長、大元帥明王様に通報し、適切に処分されるように対処することになろう」
陸軍十等兵達は皆黙り込んだ。一番懸念していたことをよりによって鬼の獄卒長に追及されてしまったのである。俯いたまま皆何も言えず時間だけが過ぎていった。
この沈黙を破ったのは、空軍幕僚長のインドラだった
「陸軍の十等兵達よ。心配には及ばない。私は陸軍ではないが、バベルの塔に留まり職務遂行をした幕僚長として、指揮権を委任されている。私は汝等に罪人共を討伐することに併せ、汝等の良心に従い真の正義を追及すべしと命令した。汝等の所業が、汝等の魂に問いかけた結果ならば、誰一人として私の命令に背いていないと考える。よって罪に問われることは微塵もない」
「何ですと? 結果を出してこそ軍隊である。このような無様な結果を是とされるおつもりか?」
「控えろ! 羅刹天! 思い上がるのもいい加減にしろ! この場の指揮権は私にある。私に意見するとは、職を賭す覚悟があってのことだろうな?」
「……いいえ」
「貴様が出る幕ではない。早々に立ち去れい!」
「…………」
ジャッジは、冷たい目をしながらインドラを見つめると、何も言わず去っていった。
「陸軍十等兵達よ。汝等の理解に及ばぬ稀有な事態に遭遇したにもかかわらず、これまでの慣例にとらわれずに判断したことを褒めてつかわす。むしろあのような光を見せられても尚、無下な扱いをしたとしたら、間違いなく私の逆鱗にふれることになったであろう。汝等の採った判断に誇りをもち、これからも国防のために精進すべし。今回の実戦訓練は以上である。早急に帰還せよ」
安堵の表情を浮かべた陸軍十等兵達は、インドラの指示に従い、六芒星と共に去っていった。残されたインドラは、ハル達が巻き起こした一連の奇跡を想起しながらしみじみと呟いた。
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ