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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
novelistID. 12248
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天上万華鏡 ~地獄編~

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 せめて道を空け、バベルの塔を通過できるのように見守ることが最善の道だと判断したのである。
「姉御! 伝わったようですぜ! 何も言ってくれねぇけど、攻撃してこねぇし、先に進めって合図してるしな」
「すげー! 天使がなんか俺達のことを一目置いているような動きしてらぁ」
「姉御! 行こうぜ。これなら難なく行けるんじゃねぇか?」
 歓喜に沸く罪人達とは裏腹に、ハルの表情は曇っていた。
「姉御! どうしたんだ? 浮かねぇ顔して」
「私は行けません。マユちゃんを置いて行けない。それにスワン君もまだ来ていないし」
「錦鯉のにいちゃんは、もうすぐ来るさ。でも変態のねえちゃんはもう諦めな。今更どうにもなんねぇよ」
「これで天使様は私達の邪魔をされませんよね? だから皆さん先に行ってください。私はマユちゃんの所に行ってきます。マユちゃん親友だもん。きっと私を待ってる」
 ハルは、中央の吹き抜けに飛び込もうとした。それを見た罪人達は、慌ててハルの元に駆け寄り、止めようとした。
「野郎共、何としても姉御を止めろ!」
 リンのかけ声と共に、罪人達は、必死にハルを止めようとした。しかし、ハルの思いが強すぎて、ハルの動きを止めることはできなかった。
「姉御! ここまで来て、それはあんまりだ! これでコキュートスに落ちたら姉御のやってきたことが報われねぇ」
「私のことなんてどうでもいいんです。大事なのは友達なの」
 そう判断するのがハルである。だからこそ皆ついていったのである。しかし、強靱すぎる理念は時として融通の利かない頑固さになる。ハルの強情さに皆困り果てた。
 そんな時に、いつもながらの絶妙なタイミングであの男の声が響き渡った。
「私の名は、四等検察事務官、トロン・バッキンである。以前、汝等の歩む道を見つめ育むと宣言した者である」
「トロン様……」
 ハルは、思わぬトロンの呼びかけに、動きを止め、耳を澄ました。
「汝は、親友だから危険に飛び込むということを言ったな?」
「はい。マユちゃんは親友です」
「親友だから守るというのは、傲慢ではないか?」
「え?」
「そうであろう。マユは自分が守ってあげなければ立ち上がることすらできない弱き者か? 汝はマユを親友だと言いながら、マユが自力で立ち上がり汝の元へ這い上がることを信じていない。それが親友に対する態度なのか?」
「でも……でも……」
「守るだけが友情ではない。時には忍耐強く信じ抜くことも友情の形である。汝はマユを信じることができるか? 汝のために、魂を削りながらもここへ来ることを信じて待つことができるか? それがマユの友情に報いることなのだ」
「……はい」
「そして、汝のことを心底心配し、汝に対する恩義を命がけで返そうとする罪人たちの思いに報いることである」
「…………」
 ハルは、信じるという考えが全く頭になかった。大事な人は自分が救う。それが愛を示す当たり前の方法だと思っていた。しかし、それが傲慢だと言われた時、頭の中が真っ白になった。
 信じることが友情である。
 トロンの言うことは自分の価値とは真逆でありながら、揺るぎない説得力をもってハルの胸に響いていった。
 マユを失うことに対して、極端な程の恐れを抱きながらも、マユを信じることで友情の証にしようと心に決めた。
「分かりました。マユちゃんをここで待ちます。皆さんもおつきあいいただけますか?」
 罪人達は、満面の笑みを浮かべながらハルに同意した。
「あたぼうよ。トロンさんの言う通り、ねえちゃんもにいちゃんも帰ってくるってばよ。俺も信じるよ」
「ああ俺もだ。ぜってぇ来るって。一緒に待とうぜ」
 皆、微笑みながら同じ選択をした。
「ハルよ。汝はよい友を得たな。これからもその友情を育むべし。私はこれからも検察事務官としての職を超え、汝を見つめ育む。自分の力に慢心せず、精進すべし」 
「はい!」
 力いっぱい答えたハルは、リン達を見つめながら、微笑んだ。
 それからハル達は、その場に腰を下ろし、マユやスワンの帰りを待った。互いの国のことや生きた時代の事。皆、境遇が違うからこそ、互いに語る身の上話に花が咲いた。時には踊りが得意な罪人が、生まれ育った踊りを披露し、皆を喜ばせた。
 ハルは、そんな罪人達の楽しそうな姿を微笑み眺めながら、頭をなくしたマユの胴体の側で、語り合うことができない代わりに手を握り、無言で励まし続けた。
 陸軍十等兵達は、威光を携えている罪人達に興味が集中し、何をするわけでなく、罪人達の一挙一動をじっと見つめていた。そして、自分から提案することはできなかったが、いつかまたハルが歌ってくれるのを待っていた。また、罪人達の身の上話を聞きながら、天使にとって未知の世界である現世の出来事に興味を示した。初めは話を黙って聞くだけだったが、話が盛り上がってくると、陸軍十等兵達の方から、罪人達に対して色々と質問などをし始めた。
「現世でも酒があるのか? どんな酒があるのだ?」
「ああ、あるぞ。俺が好きなのはテキーラだ。一気に飲むとカーって頭に昇るんだ。天使様も酒を飲むのか?」
「テキーラ? おいしいのか? 私は飲まない。酒を飲むと判断が鈍るからな」
「何でぇ。おいしいもんが飲めねぇなんて天使様ってのも可哀想だな」
「何だと。今度生まれ変わったら飲んでやる」
「おお、お勧めだぜ」
「俺はドイツ軍の将校だったんだ。それでユダヤ人を徹底的に殺してなぁ。あんときは、殺すのが仕事だったから、人殺しがいけねぇとか考えることが許されなかった……」
「そんなことをしたら、地獄行きになるのは当然であろう」
「天使さんよ、あんたも軍人だろ? 上官から目の前の敵を殺せって言われて拒否できるか? 実際、俺等を無差別に攻撃していたじゃねぇか」
「だったら、貴様も上官の命令で人を殺して、それが故に地獄行きになったことを理不尽に感じないのか?」
「初めは思ったよ。でもよ、どんな理由があっても人殺しはよくねぇ。姉御に会って本当にそう思った。だから地獄行きは仕方ねぇ。今はそう思える」
「ハルの影響か……」
「そうだな。随分丸くなっちまったよ」
 相手が天使であっても心を込めて話せば分かってくれる。このハルの言葉は、単なる空虚な理想論だと皆思っていた。しかし、ひょんなことから異なる立場の両者が立ち止まって会話すると互いに対する理解が深まり、奇妙な友情が育まれていった。
 立場が違えども、今を必死に生きようとしている存在だということには変わりない。天使としての経験が浅い陸軍十等兵だからこそ、凝り固まった偏見を比較的容易に解きほぐすことができたのかもしれない。
 そして両者の魂を磨き上げ、歩み寄らせたのは、紛れもなくハルだった。その功績を両者共に理解しながらも、ハル自身は無自覚だった。
 罪人と天使の奇妙な邂逅が続くこと数日、いよいよその場を動かなければ制限時間に間に合わなくなるギリギリのところまで来てしまった。しかし、皆一向に焦る様子もなく、相変わらず語り合いが続いていた。丁度その頃、マユの体に変化が現れた。
「マユちゃん? どうしたの? どういう意味?」