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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
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天上万華鏡 ~地獄編~

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第9章「ジブリールの欠片」



 残されたのは、動かなくなったハルと、胴体だけになったマユと数人の罪人達。皆、目の前の惨劇に途方に暮れた。どんな窮地に追い込まれても這い上がってきた二人が再起不能になった。直前までバベルの塔を通過できるかもしれないと希望の光を見出した罪人達は、残酷すぎる現実を痛いほど見せつけられた。
「俺達、これからどうする?」
「どうするって……先に進むしかねぇ」
「天使共が来るぞ。俺達だけじゃどうにもなんねぇ」
「ここにいても同じ事だぞ。変態人形がもうねぇんだ。ここにも来ちまう」
「姉御を見捨てるのか?」
「もう姉御は駄目だ。どうしようもねぇ。変態ねえちゃんもこうなっちゃあどうしようもねぇ」
「分かんねぇだろ? 今は動いてねぇだけで、どうにかなるかもしんねぇ」
「お前はどうして姉御にこだわるんだよ。確かに助けてもらったが、脱落してしまったら置いていかねぇと共倒れだ。地獄はそういうルールだろ?」
「恩を忘れたのか! ここまで来られたのも姉御のお陰だろ?」
「それは生きていてこそだ! 今の姉御は死んだも同然だ! このまま進んで通過することが姉御の恩に報いることじゃねぇのか!」
 罪人は口々に自分の思いをぶつけた。明らかな正答がないからこそ、様々な考えが飛び交った。しかし元来自己中心的な性格の罪人達である。考えが合わなかったら、集団から離脱して単独行動すればよいだけの話である。そもそも集団行動なんてできない者達なのだから。しかし、そんなことをしようとする罪人は誰一人いなかった。
 皆でここまで乗り越えたという自負からか、それともハルの影響により仲間を信じる素晴らしさに目覚めたからなのか罪人本人ですら分からないことだった。しかし、少なくとも罪人達の心の有り様が変わってきていることは確かであろう。
 罪人達はそれぞれ自分の主張を懸命に訴えた。荒っぽい言葉が飛び交ったが、暴力に身を任せることはなかった。これは、どんな時でも暴力という手段を採らなかったハルに対する誓いだった。
 しかし、天使がそこまで来ている。タイムリミットも近づいている。迫り来る最悪の事態に、明快な打開策を見出すことができない閉塞感から、話し合いからなじり合い変わっていった。皆半狂乱になりながらどうしようもない苛立ちをぶつけるしかなかったのである。
 そんな様に業を煮やして檄を飛ばす者がいた。
「おめぇら! 俺の話を聞いてくれ!」
 この者の鳥肌が立つ程の威圧感に圧され、皆口を閉じ黙って見つめた。
「俺は、今まで誰も信じなかった。この世は騙すか騙されるかどちらかと思っていたからな、誰も信じなかった。信じたふりはしたけどな。だからこうやってつるむことはなかった。死んだ後もそうだ。おめぇらもそうだろ?」
 皆俯いたまま小さく頷いていた。
「でもよ、こうやってみんな一緒にいるよな? 初めてなんだよ。なんというかよ、騙す騙されるとかそういうのじゃねぇ仲間というの? 仲間だからこうやって喧嘩するんじゃねぇか? 喧嘩も殴りあわねぇで言葉だけだ。なんかよ、温かけぇんだ。ここがよ」
 そう言うと、胸をそっと指さした。
「おめぇらに聞くけどよ。どうして、こんなことになったんだ? どうして俺等はつるむことができたんだ? 答えは分かってるだろ?」
 皆、真剣な眼差しで見つめ、小さく頷いた。中には涙を浮かべている罪人もいた。
「だろ? 姉御だよな? 俺は圧縮地獄からのつきあいだ。俺は、圧縮が嫌で嫌で堪らなくてな、我慢なんねぇって思ってよ、消滅しようとしたんだよ。でもよ、姉御は俺の前に立って邪魔するんだよ。自分で消えるなんて悲しいことを言っちゃ駄目だって言ってよ。俺は姉御を何度も何度も殴ってしまった。それでもどかねぇんだ。俺等の生きる望みになるまで一万年だって歌い続けるとも言っていた。俺……今までこんなに思われたことねぇ……」
「…………」
「だから、俺は信じるんだ! 姉御は俺たちを見捨てて、屍になることはしねぇ! 今、ちょいと自分を見失っているだけだ。きっと立ち上がる。だからおめぇらも姉御を信じねぇか? そして今度は俺等が姉御を救わねぇか? 姉御は疫病神なんかじゃねぇ! 俺等になくてはならない大切な人なんだと分からせようじゃねぇか! それがこんな薄汚ねぇ俺を人間として扱ってくれたせめてもの恩返しじゃねぇかと思ってる」
「そうだ!」
「姉御を救え!」
「救われるだけじゃ癪にさわる。俺等も……」
「ありがとう。そういや俺等仲間になったのに、お互いの名前を知らねぇ。うっかりしてた。俺の名はリンだ。まず仲間の契りとして互いに名前を教えあわねぇか?」
 リンの発案により、互いが自己紹介した。これで名実ともに仲間になった罪人達は、ハルを起こすための作戦が実行されようとしていた。
「リンさんよぉ、どうやって姉御を救うんだ?」
「俺は馬鹿だから、小難しいことは分かんねぇ。でも姉御は言っていた。心と心で話せばきっと気持ちは通じるってな。俺等の思いを姉御にぶつけよう」
「かー! 今までそんな歯の浮くような言葉、唾を吐いて馬鹿にしていたのに、今じゃそれを信じている俺がいる。俺も変わったな」
「ああ、そうだそうだ。姉御に毒されちまったか? 信じるなんて言葉使ってるんだもんな」
 一同大笑いした。自分達は変わった。リンの檄を受け、自分を振り返った罪人達はしみじみとそれを実感していた。そして、その原因は目の前のハルだということも十分に理解できた。だからこそ、リンの提案が最善だと心の底から思えたのである。皆、迷いは一切なかった。
「姉御、帰って来いよ。俺達には姉御が必要だ!」
「そうだよ。俺は死ぬ前にたくさん人を殺してきた。そんな俺でも生きてくれって言ってくれた。初めてなんだよ。だから頑張ろうと思ったんだぞ」
「俺もだ。消滅せずに生きていくって言った時、姉御は涙を流して喜んでくれた。姉御がいなかったら生きていけねぇ」
「姉御は俺達の光なんだ!」
「疫病神なんかじゃねぇ!」
「戻ってきてくれ!」
「姉御!」
 罪人達は、ハルに対する思いを語り続けた。不撓不屈という言葉から最も程遠い罪人達が、誰一人諦めずに語り続けた。中には感極まって大粒の涙を流し、声に詰まらせながら訴える者もいた。
「やばい。天使達がここまで来た」
 陸軍十等兵がハル達の側まで到達した。天使の攻撃に身構える罪人達。一方、陸軍十等兵達は、懐の剣を抜き、攻撃態勢に入った
「ハルが再起不能だ。ハルをまず最初に仕留め、その後他の罪人達を一網打尽にするのが得策。ターゲットはハルである」
 ハルが集中的に狙われる。この十等兵の言葉にいち早くリンが反応した。
「野郎共! 何においても姉御を守るぞ。でも、間違っても真ん中に落ちるなよ。ここから落ちたら助からねぇ。脱落者がいたら姉御が悲しむ。一人残らず脱落するんじゃねぇぞ!」
「おうよ!」
「天使に手を出すんじゃねぇぞ! 暴力を封印しろ!」
「おうよ!」