天上万華鏡 ~地獄編~
ジブリールのような伝説になるような存在がハルだとすぐに断定できない。二人とも同じ結論に至った。しかし一方ではもしかしたら……という思いもある。結論が出ないまま時間だけが過ぎていった。
「ジブリール様の特徴とかないのか?」
「特徴か……姿は分かるぞ。現世救世局の局舎に肖像画があるしね。でも、転生しているから姿なんて変わっているよな。あとは、音楽かな?」
「音楽?」
「ああ、現世文化庁の職員は、みんな何かしらの芸術的な素養があるんだよ。文化を司っているしな。それで、ジブリール様は音楽に秀でていると聞いたことがある。どんな音楽なのかまでは分からないけどね」
「音楽! ハルは、歌う……それで罪人達を癒していた……」
「何だと! じゃあ今すぐ見せてくれ。録画しているだろ?」
「それが……今は手元にない。圧縮地獄の刑務官に渡してある」
「何だよそれ。じゃあ分からないじゃないか」
カミーユに渡したディスクは他にコピーしていなかった。圧縮地獄で他の罪人達を矯正して自らの信念に対する結果を出すことやカミーユを仲間として抱き込む材料としてしかディスクを見ていなかった。まさか、ハルがジブリールか否か判断する材料になるなんて思いも寄らなかった。
予想できなかった事態だとはいえ、ハルの特異性を示す有効な資料として、効果的に活用することができると判断すべきだったと反省した。
「いや、まだチャンスはある。ハルのこれまでの行動から推測するに、バベルの塔にいる罪人全てを救おうとするだろう」
「は? そんなことをする罪人なのか?」
「ああ、君が持っている資料にもそう書いてあるだろ? それで、歌うことになると思う。それまで待てばいい」
「救うために歌う? 意味がよく分からないけど……」
「だろうな。実際に君の目で見ないと理解できないだろう。まあしかし、少なくとも、地獄の罪人を救おうとすることと、音楽に秀でていることの説明はつくな」
「なるほどな。兎に角、ハルの動きを見守れば謎は解けるわけか」
「そういうことだ。それまで、マユの恫喝に快感を覚えながら実況すればいいじゃないか」
トロンはジョークのつもりで言った台詞だったが、カムリーナにとっては冗談にならない恥ずべきもの。カムリーナはムッとしながらも、トロンの言う通り、実況に戻ろうとマイクに手を伸ばした。
「でも、そんな特殊な理由でよく転生許可が下りたものだ……そうじゃなくても局長が転生なんて上が黙っていなかったろうに」
実況を始めようとしているカムリーナの背後でトロンが呟いた。
「辞表を出したらしい。天使を辞めてまでしたかったんだろうな。その様子を見ていた転生管理局局長のラファエル様が便宜を図ったらしい」
「なるほど……でも君はジブリール様の事情に詳しいな。現世文化省では有名な話なのか?」
「いや……」
「マニアなのか?」
思わず吹き出してしまったトロンを見たカムリーナは、顔を赤らめた。
「いいじゃないか! 素晴らしい天使に憧れて何が悪い。尊敬したらその方の知りたいと思うものだろ? 君だってハルマニアじゃないか!」
そう言われると何も言い返せない。トロンはカムリーナに初めて怪訝な顔を見せた。その顔を見たカムリーナは、笑みを浮かべながら実況を始めた。
その頃、法務省矯正局局舎では、ジャッジ・ケイの帰還儀式が行われていた。ジャッジ直属の上官、つまりジャッジに転生を勧めた天使である矯正局参事官が中心となり、獄卒長として復帰するための権利委譲など、必要な手続きが執り行われた。この儀式には、ジャッジの部下達、総勢五百名余りが直立不動で整列し、様子を見守っていた。一連の手続きが終わった後、ジャッジは部下達の前に立ち、ゆっくりと見渡した。
「第五獄卒長訓辞! 一同、敬礼!」
進行役の天使が叫ぶと、同時に皆敬礼をした。暫くして、ジャッジは訓辞として、その場にいる全天使に檄を飛ばした。
「私が転生をして人間というものを体験してきたのは、諸君等の知っての通りだ。しかし、人間から学んだことは全くない。エデンの園でアダムとイブが犯した罪が脈々と人間共に受け継がれ、生まれながらにして罪を背負っていると我々は聞かされているが、まさにその通りだと痛感した。イエス・キリスト様は遙か過去から未来に至るまでの全人間の罪を償うために十字架に架けられたそうだが、そこまでする価値があるのか甚だ疑問である。人間は生まれながらにして例外なく穢れているのである。穢れている故に愚かな行動を繰り返す。私は、人間を眺めるごとに絶望し、穢らわしい魂に嫌悪を抱き続けた」
人間を全否定するジャッジの言葉。これぞカロルが見込んだ鬼の姿だった。第五獄卒長、別名「羅刹天」地獄の罪人に対して徹底的に責め苦を味わわせるために存在する役職である。ジャッジは、刑務官達に対して更に冷酷な職務遂行を促進させるために言葉を続けた。
「諸君等に告ぐ。刮目すべし。人間に情などをかける余地は微塵もない。ましてや罪を犯して地獄に墜ちるような穢れにまみれた人間などもってのほかである。存在を消滅させるように追い込んでこそ世界の益になるのである。自殺なんぞ論外である。神に与えられたその命を自ら絶つなんぞ狂気の沙汰。そんな魂など徹底的に駆逐せよ。害虫を徹底的に駆逐し、この世界に楽園を築くことこそ我らの使命。その職務に誇りをもち、邁進すべし。以上である」
「敬礼!」
刑務官達は、ジャッジの言葉に酔いしれ、刑務官としての使命感を燃やした。罪人達に対して冷酷な振る舞いをすることが善であると誰も疑っていない。まさにジャッジの言葉によって士気が上がったのである。
「辞令発令!」
ジャッジの復帰により、ジャッジ指揮の部署の人事が刷新されようとしていた。「仁木龍生君」
「はっ」
ジャッジに呼ばれた仁木龍生と呼ばれた人物は、白髪の頭で、口髭が立派に整った初老の男だった。
「君を、修羅地獄主任管理官に任命する」
「…………」
仁木は、ジャッジの辞令を聞いて、体が凍りついた。
「どうしたのかね? 主任だぞ? 名誉ある役職ではないか。それとも不服か?」
「……いえ」
「君は、保護監察局からの出向だそうじゃないか。何でも、自分が守護した人間に自殺をされ、その上、死後大罪を犯して地獄行き……その大罪に君も関与したとか。責任をとらされて左遷か?」
保護監察局とは、現世において、人間を影から導くことを担当する局である。俗にいう守護霊が所属する。この守護霊にあたる役職を保護観察官という。保護観察官にとって、自分が守護する人間が自殺することは、人間を導く技量がなかったとして不名誉なことだった。
「いえ、自ら志願しました」
「何? 自分の不始末を償うためか? それとも、この期に及んで自分が守護していた霊を導こうとしているのか?」
「いいえ、いずれも違います」
「まあよい。君は保護観察局という生ぬるい世界にいたにもかかわらず、類い希なる戦闘能力があると聞き及んでいる。その力を存分に発揮できる舞台を用意したのだ。わざわざ刑務官になったのに、その力を生かさないで、通過の部屋での職務に甘んじるのはナンセンスだ」
「通過の部屋の問答も重要な職務です」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ