天上万華鏡 ~地獄編~
カミーユは、カロルが話した言葉のほとんどを理解できずに苦悩した。三等法務技官への口利きも、話の脈絡上極めて不自然だった。おいしい話だが、どこか落とし穴があるように思えて仕方なかったのである。しかし、この話を蹴ったら、当初懸念していた通り、処分される方向に話が進む可能性がある。
何か大きなうねりの中に巻き込まれた……もう逃げることはできないのだ……そんな思いが頭をよぎった。この話をトロンに相談するべきか。それともカロルの話にのってトロンを裏切るのか。途端に窮地に追い込まれたカミーユだった。
カロルは、ハルを追い詰めるために着実に手を進めていた。獄卒長のジャッジを現世から帰還させ、ハルの障壁にさせた。カミーユを誘惑し、動きを止めた。カミーユはトロンと違い明確な理念をもっていない。切り崩すにはうってつけだった。トロンは泳がせて仲間を浮き彫りにさせ、一網打尽にする。トロンは、全刑務室の会話がカロルに筒抜けであることに気付いていない。どこで隠れて行動しようとカロルに全て伝わるのである。
ハル包囲網が完成しようとしていたが、カロルが気付かないところで、二つ重大的なミスを犯していた。些細なことだが、場合によっては致命的になるものである。
それは、メモリーディスクが保存されている倉庫をマークしていなかったことである。それ故、ダニーがハルのことを調べていることに気付いていない。ダニーとトロンは接点がない。だからこそ、いくらトロンの動きに注意していてもダニーにつながらないのである。
ダニーがハルを調べた結果、どのような動きをするのか、それはダニーしか分からないことである。しかし、ダニーの行動が都合よくカロルの意に沿うとはとても考えられないことである。
もう一つのミスは、カミーユの前で呟いてしまった「ハル・エリック・ジブリール」という言葉である。この時点では、カミーユにとって意味を為さない言葉である。しかし、この言葉は別の場所で話題にされていた。点と点が結びつく時、単なる記号から意味のある言語に進化する。カミーユの存在は、この言葉の意味を知ることでカロルにとって致命傷を与える存在になってしまう。カロルもカミーユ本人でさえ気付いていない事実である。
その別の場所とは、バベルの塔にあるアナウンス室、カムリーナとトロンがいる部屋だった。
「カムリーナ君……この罪人、ハルのことをどう思う?」
「初めて見るタイプだね」
「だろ?」
ハルの特異性について語るトロンはとてもうれしそうにしていたが、一方、カムリーナは、トロンが何故この部屋にいるのか理解できず、怪訝な顔をしながら話を聞いていた。。
「あの……罪人のことはどうでもいいんだよ。私を告発するんじゃなければ、一体に何をしに来たんだ?」
「君の力を借りたくてね」
「私の?」
「ああ、君にしかできないことなんだよ」
「勿体ぶらないで言ってくれないか? 全く分からないんだけど……」
「そうだな。君は、報道官だろ? 報道官って様々なニュースを皆に伝える役目だろ?」
「いや、違うよ。ニュースを伝えるって……情報伝達だろ? それって総務省だよ。私は現世文化省。神の言葉を人間に伝えるのが仕事なんだけど……同じ報道官でも意味が違うんだけど……」
「え? だったら、どうして実況の練習なんかしているんだよ。人間に啓示下ろすのに実況は関係ないじゃないか!」
「言葉を伝えるための訓練として、実況はうってつけなんだよ。だって、刻一刻と変わる状況を正確に伝えるって難しいからね。それに……」
「それに?」
目的を果たせないと悟ったトロンは、やる気なくカムリーナの言葉を聞いた。
「ハル・エリック・ジブリール様にお会いできるかもしれないからね」
「ハル・エリック・ジブリール?」
聞き慣れない言葉にトロンは身を乗り出した。目的達成とは別に興味が沸いたのである。
「君は、現世文化省のことをよく分かっていないようだから説明するけど、現世文化省って、現世の文化を司る省なんだよね」
「そんなことは分かっている!」
あまりにも基本的なところから説明されたので、トロンはムッとした。
「まあ聞いてって。大きくは、芸術全般を所轄する「文化振興局」と、人間を善へと導くために神の教えを伝える……つまり宗教を確立するための「現世救済局」に分かれるんだよね」
「現世救済局……名前は聞いたことがあるが……」
「知らなかっただろ? だって、他の官庁と絡まないからねー。それで、現世文化省の事務次官は慣例として、任期中に転生して、救世主として人間を導く役目を負う。イエス・キリスト様やゴータマ・ブッダ様のようにね」
「それは知らなかった……」
「それで、現世救済局の局長は、それのサポートをすることになっている。例えば、聖母マリア様に受胎告知をしたり、マホメット様に啓示をしたり……」
「ガブリエル様!」
「そう、現世救済局の局長はガブリエルの称号を付与される。その歴代ガブリエルの中でも伝説に残る方がいた。その方の名前がハル・エリック・ジブリール様なんだよ」
「伝説のガブリエル……どうして伝説なんだ?」
「人間を救済するためのガブリエル……でも、罪を犯して地獄に行く人間も多い……地獄は荒んで絶望のみしか存在しない無慈悲な場所……ジブリール様は、地獄の罪人を救いたいと思われた……」
「でも、地獄に関与する権限はないだろ? いくら局長だといっても……」
トロンは、あまりにも途方もない話に呆然とした。しかし、次に聞くカムリーナの言葉はトロンの想像を更に超えるものだった。
「だから、わざわざ人間に転生して、罪をあえて犯したそうだ。正しくは罪を犯す人生を選んで転生した」
「どうしてそんな馬鹿なことをするんだ? 局長の立場を棒にふってやることか?」
「だからわざと地獄に罪人として入って、そこで罪人全てを救おうと計画したわけさ。罪人だけじゃなくて、刑務官など天使も救おうと思ったみたい。だって天使も荒んでいるもんな。あっやば、今の内緒ね」
「そんな……そんな人が……いるわけ……」
トロンは、あまりにも壮大な話についていけなくなった。
「だから伝説なんだよ。地獄にいればいつかジブリール様にお会いできるのでないかと思ってね。だからよく地獄に来て実況の練習をするわけさ」
「地獄を救う? だとしたら、罪人なのに威光を携えたとしても不思議じゃない。それに圧縮地獄での行動」
トロンは、カムリーナの話にハルを重ねた。しかし、カムリーナの言う途方もなくスケールの大きい話を現実的に考えることに無理があるような気がして、途中から思考するのをやめた。
「誰の事をいっているんだ?」
「目の前にいるハルという罪人だよ。でも、君が言うジブリール様のような伝説と言えるかどうかは……」
「ハル?」
「ああ、罪人の名前だよ」
「ジブリール様の名前と同じじゃないか」
「あ……ハル・エリック・ジブリール」
「いやしかし……他の罪人とちょっと違うぐらいでジブリール様と断定するのは早計だな」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ