小説が読める！投稿できる！小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ！

　操作盤の履歴は、操作盤を扱うエンジニアぐらいしか見ることができない。本来故障をしたときなどに、原因を突き止めるために取り付けられている機能である。圧縮地獄を構築したカミーユだからこそ、カロルが操作盤の履歴を見ているということが事実なら、自分達の行動を詳細にわたり調べられているだろうと結論付けた。もしそうなら、上層部がこの問題を深刻なものだと判断していることになる。よりカミーユが懸念している結果に帰結する可能性が濃厚になってきた。
「だったらどうしたというのだ？　君は私の質問に答え、指示に従えばよい。私に質問する権利が元来君にあるのかね？」
　カロルは操作盤から履歴を見ることはできない。それ故に、カミーユが推測している通り、実際に操作盤の履歴を見ているわけではない。カミーユとトロンの会話を全て聞いる中で手に入れた情報を元にして語ったに過ぎない。カミーユが勝手に勘違いしているのである。会話が全て筒抜けだということは、不穏分子の動きをつかむために明かすことができない。更に、カミーユが勝手に勘違いしたことで、必要以上に追い込むことができたことは、カロルにとって都合がよかった。
――――少ない情報から私の動きを推測するがいい。お前がつかんでいる情報の真偽の見分けがつかぬまま陥る思考の罠。そして自滅するがいい。
　カロルは心の中で高らかに笑いながらも、表情にはそれを微塵も出さずにカミーユを見つめていた。
「余計な詮索をする暇があったら、早くデータを転送し給え」
「…………」
　逃げ道がふさがれたカミーユ。最早、カロルの指示通りデータを転送するしか道が残されていない。カミーユは観念して自分のエンジェルビジョンを取り出すと、データを転送する準備に取りかかった。
　手を振るわせながら無言で操作するカミーユは、カロルにデータを渡すことによってトロンとの計画にどのような影響が及ぶのか、カロルは何を意図してハルの音楽データをほしがっているのか、そして自分に対してどのような処分を下そうとしているのかひたすら考えていた。カロルにデータを渡すことで全てが動く。そしてその動きが行き着く先が全く想定できないため言いしれぬ恐怖に苛まれていた。
「はい……完了しました」
　カミーユは、自分のエンジェルビジョンを介して、カロルのエンジェルビジョンにハルの音楽データを転送した。
「ご苦労」
　カロルは自分のエンジェルビジョンを取り出すと、転送が終了したことを確認した。耳にイヤホンみたいな機械を取り付けるカロル。音声を聞くためのものである。
　カロルのエンジェルビジョンには、ハルが圧縮地獄で歌を歌っている様子が映像で映し出されていた。実際に圧縮地獄二百五十五号室に流したハルの歌声は音声のみだったが、元々のデータは映像付きだったのである。スピーカーを通したものだったために映像は映し出されていなかったのである。しかし、カロルには元々のデータを転送したため、映像を伴ったものを目にすることになった。
　カロルは涼しい顔をして眺めていたが、ある瞬間、表情を明らかに強ばらせた。それは、テンが召喚された場面だった。
　カロルは歌はおろかハルの姿すら眼中になかった。その目にはテンしか映っていなかった。
「……なるほど……あいつに感じていた嫌悪感は、あいつのふざけた信念に対してのものではなかったのか……私の直感が激しく反応した結果か……いや、関係ないこともない。これで全てつながった。ハル・エリック・ジブリール……見付けたぞ」
「ハル・エリック・ジブリール？」
　カロルの呟きはカミーユにとって全く理解できないものだった。ましてや、ハル・エリック・ジブリールなんて聞いて事もない言葉だった。カロルに対して問いかけることを禁じられた後だったが、つい呟いてしまった。
　映像に没頭していたカロルは、カミーユの呟きで我に返った。カロルにとって機密事項ともいえることをカミーユに聞かれたという焦りから、厳しい目つきでカミーユを睨むと、即座に表情を整え、自分自身を諫めた。カミーユはカロルの眼光に恐れおののき、一歩身を引いた。
「なぁに、君が気にすることではない。それよりも、貴重な情報を提供してくれた礼をせねばならんなぁ」
――――礼という名の処分かよ！
　音楽データを転送して処分が来ることはあっても、決して礼なんて言われるはずはないと思い込んでいるカミーユにとって、カロルの言葉を素直に受け取ることはできなかった。
「いえ……ご用が済んだのなら、これで失礼しま……」
　早くこの場を立ち去りたいという思いから、話を早く切り上げようとすると、それをカロルが制止した。
「いや礼をさせてほしい。君が私にくれた情報は、私にとって非常に大事なものなのだ」
「どうしてですか？」
　何がどのように役に立ったのか分からないカミーユは、自分がやったことがどのように影響していくのか全く見通しが立たない。そのために非常に不安になったのである。
「それは君が考えることではない。さて、君は、刑務官の待遇に大層不満を抱いているそうではないか」
「あ……いえ……」
　待遇に不満を抱くということは、それを所轄する上官に不満があるということである。カロルは局が違うとはいえ、上官である。そんな本音を認めることはできなかった。
「いや、君の言う通りなんだよ。圧縮地獄のシステムを構築したのは君だそうじゃないか。そんな偉業を成し遂げているのに、四等刑務官なんておかしい……私もそう思う」
「え？」
　カミーユは、思わぬ展開に驚きの表情を浮かべていた。
「技官としての腕を買い、法務技官として口利きをしてもよいが、どうだ？　勿論階級は三等になるが」
「三等法務技官ですか！」
「そうだ。不服か？」
　技官として花形の法務技官に職を変えることだけでなく、三等に昇進。カミーユにとってこれ以上名誉なことはなかった。
「これからも私の手足となって動いてくれることが条件となるが……」
　カロルは当初、カミーユからハルの音楽データを転送させ、その情報を利用した後で、潰すつもりだった。上官の判断を仰がずに独断で行動したことを名目に処分する予定だった。懲戒免職という処分までには至らないにしても、不穏な動きをしようとする意気を消沈するには十分だと判断した。つまりカミーユが恐れていた筋書き通りだったのである。
　しかし、音楽データを見た後、考えが変わった。トロンとカミーユの計画がハルを利用するものだったとしたら、ハルに終始つきまとい、有益な情報をこれからも手に入れることだろう。カミーユは潰すよりもスパイとして送り込む方が何かと便利。そう判断したのである。
「手足となってですか？」
「当たり前ではないか。恩ある相手に尽くすのは当然のことだろ？　それとも自由とやらを求めてこの話を蹴るか？」
「考えさせてもらっていいですか？」
「考えるまでもないと思うがな。まあよい。おいしい話はすぐ消えるものだ。それを掴むも逃がすも君次第だ。いい返事を待っているぞ」
　と言うと、カミーユに目配せし、退室を促した。それを察したカミーユは、相変わらず青白い顔をでふらふらしながらドアに手をかけ、退室した。