天上万華鏡 ~地獄編~
声を掛け合うハルとマユ。うれしさのあまりタイミングを逃したスワンは笑顔で返した。
「それで、その人の顔とか名前とか覚えてないの?」
「ああ、ディスク入れても思い出せないんだよな。大事な記憶はなかなかもらえないらしいから当たり前か」
「地獄に墜ちたのかな?」
「俺が身代わりに墜ちたから、助かっていてほしいなぁ」
「ん〜私は墜ちたと思うな」
と言いながらハルを見てウインクをするマユ。ハルはそのアイコンタクトを受け取りつつ、もしかしてスワンの言う「あの人」とは自分かもしれないと思い始めていた。
「そんなこと言うなよ。俺が命がけで守ったのに……」
「でも元気にやっていると思うよ!」
わだかまりが解けたところで、三人は自然と階段を駆け出していた。語る度にお互いの事が分かってくる。時には衝突があるかもしれない。でも真剣に語り合えば分かり合える。それが友情というものである。しかし三人とも生前、若しくは天使時代にそのような友はいなかった。初めての親友というものに戸惑いを覚えつつも、その友情を育んでいった。
「未だかつてインドラの矢を防いだ罪人はいない! 二度も防いだハマス組! インドラ様の胸にその名を刻むことでしょう」
ハル達の活躍を讃える実況だったが、ハル達にとっては無用のこと。とりわけマユにとっては迷惑以外の何ものでもなかった。
「またこいつ余計なことを言ってる! 煽っちゃまずいじゃん!」
マユの不安は的中した。暫くすると、赤髪の大男が現れた。インドラである。ハル以外はインドラの姿を見たことがない。しかしながら、この男がインドラだと直感した。
塔の中央で宙に浮きながら三人を無言で見つめるインドラ。その瞳は怒りとも笑みとも言えない表情を浮かべていた。
三人はいつくるか分からないインドラの攻撃に対して身構えつつ、どんな意図で目の前にいるのか考えていた。
互いに無言で睨み合うこと数分。次第にその場の空気が緊迫してきた。その均衡を破るかのようにスワンがインドラの方へ歩み出た。
「俺が相手になる。こいつらには手を出さないでくれ」
ハルが結界をはるにはかなりの集中力が必要になる。それ故に疲労度が大きい。マユは結界をはるようなタイプの能力はない。即座に状況を理解したスワンは自分がこの場を切り抜けないといけないと思ったのである。
しかしスワンは直前に結界をはったばかり。ハルは、スワンばかりに負担をかけるべきではないと思いながらも体が動かなかった。インドラから発せられる研ぎ澄まされた殺気に圧されたのもあるが、大きな理由はスワンの能力を信じているからである。スワンの力を信用しているが故、全てを犠牲にしても守らなければという使命感が働かなかったのかもしれない。
一方、マユは、スワンとインドラの対峙を前に、思わずよからぬ妄想を抱いていた。
「……マユちゃん?」
虚ろな目をしながらうすら笑みを浮かべているマユを心配して思わずハルは声をかけた。しかし、マユにはその声が全く届かず、その脳内は妄想で満たされていた。
マユの目の前で繰り広げられている風景と、脳内に浮かんでいる風景が全く違っている。妄想劇場のスタートだった。
マユの妄想劇場のストーリーはこうだ。
悠然と立ちはだかる大男、インドラ。それに立ち向かう若輩者スワン。スワンの足は恐怖と緊張で細かく震えている。強がりながらも歴然とした力の差は本能で感じ取っているのかもしれない。
強がりと恐怖の狭間に立たされているスワンを見て、インドラは恍惚の表情を浮かべながら言う。
「可哀想に、そんなに震えて……でも、恐怖に苛まれながらも、それを覆い隠そうとして……なんとも健気な……」
インドラはゆっくりとスワンに近づくと、優しく頬を撫でた。
「インドラ様……」
スワンはすがるような瞳でインドラを見上げる。
「畏れるな罪人よ……貴様の心の隙間を埋めてやろう……」
と、インドラとスワンが抱き合おうとする直前で、
「マユちゃん!」
ハルが頬を赤らめながら叫ぶ。何事かとインドラはマユに視線をやった。
「ぶはははは!!」
豪快に笑うインドラ。それにつられてスワンもマユを見た。
「うぉぉぉぉい!! 何やってるんだよお前!」
明らかに顔を歪ませて抗議するスワン。無理もない。インドラとスワンに対する妄想がマユの脳内で再生されるだけでなく、それが、実体化してマユの背後に現れたのである。
マユは生前、あらゆる場所で妄想した。その妄想は一度婦人の前で明らかになったとはいえ、通常それがばれることはない。しかし、ここは地獄。心の有り様が目に見えるものとして反映される世界である。強く念じればそれが実体化するのである。マユの妄想は実体化するに足る程の強い思い、強いエネルギーなのである。
「いいじゃん。妄想は私の栄養なんだから」
悪びれる様子もなく、妄想によって現れたインドラとスワンにふれるマユ。すると
――――シューーーー
と音を立てながら、妄想のインドラとスワンが消えていった。代わりに一枚のカード、「塔」のタロットカードがその場に残されていた。
そのカードは、塔の中で雷を落とすインドラ。そのインドラに熱い抱擁を懇願するスワン。実際の風景と妄想が合わさった絵柄だった。
「塔のカードゲット! これで白鳥君もインドラもカードから出せるようになった。コレクション増えちゃった! てへ」
「てへ……じゃねぇよ! お前のカードはそうやって作ってるのか! 馬鹿じゃねぇか? こんな非常時に不謹慎な」
「非常時だからこそ萌えるんじゃない!」
「マユちゃん! スワン君! そんなことしている場合じゃ……インドラ様が……」
「あ……」
慌ててインドラに警戒を向ける二人。特にスワンはインドラの相手を買って出ながら注意を怠ったという致命的なミスに顔を強ばらせながらも、変わらずに悠然と構えているインドラを見て、安堵の表情を浮かべた。
「私を前にして、そんな戯れを行う罪人を初めて見た。インドラの矢を防いだのもそうだが、その肝の据わりよう、罪人にしておくには惜しいな」
インドラは表情を緩めながら話しているが、この言葉がどんな意図で発せられているのか図りかねている三人は、警戒を解かずにインドラの動きを見つめていた。
「じきに新入り共が貴様等の相手になるだろう。役不足だろうが我慢しろ」
「新入り?」
インドラの言葉の内容は自分達の運命に直結する。そう思うスワンはインドラに聞き返したのである。
「左様。元々バベルの塔は、軍の新人共が実戦訓練をする場として作られた。私のような大将が試し撃ちだとはいえ、この場に姿を現すのはごくまれだ。これより本来の姿に戻ることであろう」
もしかしてインドラの矢が降り注ぐことはないのか。このままインドラを刺激せずに見送ることができれば、インドラからの脅威にさらされずにすむ。スワンはそう思いながら、何も言わずに時が過ぎるのを待っていた。
「じゃあさ、どうしてあんたはここに来たの? インドラの矢? あんなの使われたら迷惑なんですけど!」
「おい! 何煽ってるんだよ!」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ