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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
novelistID. 12248
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天上万華鏡 ~地獄編~

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「マユちゃん!」
 罪人達の取り乱す様を目の当たりにして、ハルは焦っていった。早く事態を収拾しなければ、何かとんでもないようなことが起きそうな気がしたからである。それはマユも分かっているはずである。自分に同調してくれないマユに対し、その行動の真意を図りかねていた。
「このままだったら皆さんがびっくりして……」
「だからいいんだよ」
 マユの意外な言動に言葉を失った。
「どうして?」
「見てて」
 マユに促されるまま、今の状況を見守った。罪人達は、更に動揺を見せ、絶叫しながら、自分の存在を消すとされるパソコンの前に我先にと詰め寄ったのである。ハルは咄嗟に、パソコンの前に立ちはだかり、パソコンに罪人の体が連結されるのを阻んだ。
「何してんのよ!」
 マユは非難の声をあげた。
「駄目! これにつなげると、消えちゃうんでしょ? 駄目!」
 罪人達は、暫くしたら来るであろう圧縮の時に耐えられないと思うばかりでなく、忌むべき記憶であるダニーが現れた。一刻も早くその身を消滅させて、終わりにしたいと切望したのである。しかしハルがそれを阻んでいる。がむしゃらになっている罪人達は、正常な思考ができる状態でなく、強烈な恐怖感や絶望感をハルに全てぶつけた。数にして十数名。それらの罪人がハルを蹴り、殴り、パソコンから引き離そうとした。しかしハルは、動じることなく、めちゃくちゃにされても、その瞳を濁すことなく立ち続けた。
「どうして邪魔するの? ここにいる人が減ったら、圧縮されても痛みが減るんだよ? 人が多かったら、圧縮が終わって再生するときに、体が混ざってしまって、なかなか再生できなくなる。それにもの凄く痛い。こうやって人を減らさないと無駄に痛い思いをしなくちゃいけないくなる。だから邪魔しないで!」
「だめ! 消えたら、もう元に戻らないんだよ? 諦めなければ絶対いいことがある。絶対に。自分から消えるなんてそんな悲しいことやっちゃ駄目!」
 ハルには地獄に墜ちる前の記憶が一部残っていた。自分を守るために、地獄に墜ちた多くの仲間達の記憶である。この記憶が虚無地獄でハルを苦しめた。歌やテンの働きでようやく立ち上がることができたが、同時に誓いを立てた。もう自分の前でだれかが死ぬようなことはあってはならない。全ての人を救ってみせると。
 ハルは、自分を傷つける存在にさえ、絶望のまま消えていくという悲惨な末路を回避しようと愛を注いだ。しかし、この愛は、マユを始め、全ての者にとって無用のものとして理解されなかった。
「邪魔するな!」
「お前は天使の手下か? これ以上俺を苦しめるな!」
「お願いだから助けて! そこをどいて!」
 罵声がハルを襲った。この場において、ハルの行動は善ではない。悪者にされたハルだったが、自らの行動に対して一切の疑念を抱かなかった。その様子に業を煮やしたマユは口を開いた。
「ハル! 地獄は弱肉強食だよ。強い者しか上に行けない。だってそうでしょ? 虚無地獄だって、苦しみに打ち勝った人だけが抜け出せる。多分、この地獄は、このパソコンで人が消えていくことで選別されて、最後に生き残った人だけが上にいけるんだよ。弱い者は消えていけばいい。自分で望んで消えるんだから誰も文句言わないよ」
「望んで消える? そんなはずない! 今びっくりしてそう思ってしまっているだけだよ! 自分が消えるなんて悲しいって本当は思っているはずだよ」
 根本から考えが違っていた。極限状態だからこそ、マユのように思うのが自然である。しかし、ハルは違っていた。一貫して罪人の存在を尊重した。マユはハルの揺るぎない意志に当てられ語気が次第に弱くなってきた。
「私は三百年ここにいるんだよ」
 マユはそう言うと、壁に掛けられているデジタル時計みたいな機械を指さした。
「あれは、多分時計だよ。あらかた圧縮までの時間を自覚させるためってとこかな? その時計の年のところが三百以上カウントされたから多分間違っていない。私は三百年も出られないんだよ? 悠長なことをしていたら永久に出られないんだよ!」
 三百年という言葉に息を呑んだハルだったが、やはり結論は同じだった。
「人の不幸を踏み台にして自分が幸せになるなんて考えられない。そうなるぐらいだったら一万年ここにいたっていい。永久にここに留まってみんなを励まし続けるよ!」
 眼光鋭く見つめるハルの瞳をマユは直視することができなかった。弱々しいと思っていたハルがこんなに真っ直ぐで強い意志があるんだと驚かずにはいられなかったのである。この芯の強さは自分と通じるものがあると思った。
 マユは揺れていた。三百年もこの地獄にいて、様々なものを見て、聞いて、考えて至った結論である。精神の弱い者を踏み台にして自分が這い上がるという考え方を今更否定することはできなかった。しかし、ハルの真っ直ぐな言葉にその確信も揺らいだのである。
 マユの目の前には、罪人によって殴られ続け、酷く顔を腫らせたハルの姿。それでも表情変えずに凛とした瞳で前を見つめるハルの姿。マユは身動きがとれずにいた。その代わりに震えた声で言葉が発せられた。
「じゃあ……どうするのよ……どうにもならないじゃない」
 マユも本当は他人を踏み台にしたくない。ハルならもしかしたら……という思いから漏れた言葉だった。
 一方ハルもマユと同様に、この場をどうやって納めるべきか考えあぐねていた。「テンちゃん……お願い」
 窮地に追い込まれてすがったのは、ハルにとっての虚無地獄における幻影。テンだった。
――――キュイーーン
 ハルの窮地を救うべく、テンが召喚された。
 六芒星に乗って降り立ったテンを見た皆は驚きを隠せなかった。それは、天使が急に現れたということだけではない。その天使のテンがハルと瓜二つだったからである。当然マユも同様だった。一同、ハルは一体何者だのだという疑念を抱かずにはいられなかった。
 ハルは、そんな皆の反応なんか意に介さずといった感じで、願った通りテンが現れた安堵感と、自分をかつて支えてくれたテンに再会できたうれしさでテンを満面の笑みで見つめた。
 テンは、ハルが生み出した幻影である。だから、当然、罪人達に危害を加えることはない。しかし、罪人達の目には、天使の一人にしか見えない。ダニーとは違って、殺気漂う鋭い眼光は欠片もないが、天使は自分達を痛めつける者と思っている罪人達はテンの登場に恐れおののいた。テンと同じ姿をしているハルに対しても、同様に自分を痛めつける存在だと思い込み、慌ててハルの元から遠ざかろうとした。
 気を抜くと、致命的な攻撃をされる。皆そう思いながら、ハルとテンに目が離せずにいた。マユも同じだった。少し前まで親友同然に話していたハルだったが、マユにとってハルが何をしようとしているのか全く見当がつかなかったのである。
 天使と一緒に理不尽な責め苦を味わわせようとするのか。いや直前の行動からそれは考えられない。だとしたら、天使は一体何のためにここにいるのだ。いや、この天使は、自分のタロットカードのように幻影なのか。
 ハルからの説明が全くないため、様々な憶測を巡らせるほかなかった。