天上万華鏡 ~地獄編~
「このディスクを見れば全て謎が解けます。その前に考えていただきたいです。ジャッジ様の記憶を取り出した人物。ジャッジ様はお分かりですよね?」
ジャッジは、ハッとした。現世から帰還して真っ先にカロルから特命を受けた。その時に記憶を取り戻したいかどうか確認されたことを思い出したのである。この話の黒幕はどうみてもカロル。でも、どうしてもそのことを口に出すことができなかった。それは、いまだにトロンを敵だと思っていたからであった。
「いいえ、口に出さなくても結構です。私がここにいるのは、黒幕を明らかにしたいということではなく、ジャッジ様にどうしても記憶を取り戻していただきたくて……じゃないとジャッジ様のお気持ちが浮かばれません」
「君は何を企んでいるのだ」
不穏分子として、ゆくゆくは自らの手で排除する予定だったらトロンから、予想外の接触を受けた上に、カロルの疑惑を深める確固たる証拠を提示される。ジャッジの頭は混乱してきた。思考力が鈍っている今、トロンの言葉に対して軽はずみに乗るべきではない。そんな思いから、トロンに問いかけることで、真意を量るしかなかった。
「ジャッジ様は私の事をご存じでしょ? ハルを支援する危険思想の持ち主です。いわば敵。しかし、それは私の立場からも言えること。ジャッジ様は、私にとって交わりたくない存在なんです。危険を冒してまでもお伝えしたかったことなんです」
トロンは真剣に話した。受け入れられなければ身の破滅。それでもメモリーディスクをジャッジに見せる意味があった。その気迫はジャッジには十分すぎる程伝わっていた。
「君は、私のメモリーディスクを見たのか?」
「申し訳ありません。拝見しました。メモリーディスク倉庫に保管されていた謎を解くには仕方なかったので……」
「回りくどいこと言わないで、どんな内容だったか言ったらどうだ? でないと君の言っている意味が私には分からない」
「だったら、直接メモリーディスクを見られてはいかがですか? その方がジャッジ様に伝わると思います。あの方の眩しすぎる愛と、別の方のどす黒い悪意を」
ジャッジは、トロンの説得力のある言葉と、真剣な眼差しを前にして、心が揺れていた。しかし、トロンが自分を謀ろうとしている可能性も捨てきれない。トロンの言葉に傾きそうになりつつも、ぐっと耐えた。
「何を躊躇っているんです。メモリーディスクを私が偽造できるわけないでしょ? それに……私にどんな思惑があったとしても、法を犯したら本末転倒。そう思いませんか?」
この言葉が決定的だった。自分のメモリーディスクを見る。何の問題もない。トロンにどんな思惑があったとしても、その事実は変わらない。それより、ジャッジは失われた自分の記憶に興味が向いた。
ジャッジにある記憶は、信じていた者から裏切られたという負の記憶。全て記憶が失われたのではなく、部分的に切り取られたものだった。気にも留めてなかった事実だったが、今となっては、大きな違和感になった。
「分かった。私のメモリーディスクを私が見る。何の問題もない」
「その通りです」
そう言いながらジャッジにメモリーディスクを渡した。それを受け取ったジャッジは、ディスクをじっと見つめながら、ゆっくりとケースから取り出すと、頭部にあてた。
――――キュルキュルキュル
音を立てながら入っていくディスク。暫くすると、ジャッジの脳裏に映像が映ってきた。それは、メモリーディスクによる転生の記憶。まるで前世にタイムスリップしたかのように、記憶を追体験することになった。
最初に浮かんだのは、森林に囲まれた鳥のさえずる湖畔だった。心地よいその風が吹き、ジャッジの頬を撫でていた。聞こえるのは鳥のさえずりのみ。都会の喧噪は無縁だと言わんばかりに、静寂に包まれていた。
自然の瑞々しい空気が鼻腔をくすぐり、ジャッジの気持ちは穏やかになっていった。
そこに佇む女が一人。ジャッジには背を向けながら、女も湖を眺めていた。白いブラウスに黒いスカート。髪は短く、赤ん坊のように細いからか、日光に照らされると栗色になった。
――――この女は誰だ? やけに見覚えのある姿だな。
ジャッジの思いとは裏腹に、目の前の女はジャッジに背を向けたまま、顔を見せなかった。しかし皮肉にも顔を見る前に、記憶の中のジャッジ自身が発した言葉で分かることになる。
「春江さん、あなたとこの湖に来たかった。ここにいると世の中の醜い争いが嘘のよう。私はこの湖のように常に穏やかで、静かで、温かく……そうありたいんです」
目の前の女は城島春江……つまり現在のハルだった。
――――そんなはずはない。私がハルと関わるなどということは……
しかし、その直後、ジャッジの思いは打ち砕かれた。ジャッジの言葉の後、女が振り返ったのである。現在のハルより幾分か大人っぽくなっているものの紛れなくハルだった。
春江はニッコリ微笑むと、潤んだ瞳でジャッジを見つめた。
「春江さん……また一緒にここへ来ていただけますか?」
ジャッジの問いかけに、
「はい。喜んで」
はにかみながらも、はっきりとした口調で答えた。
「よかった。女性をお誘いするのは初めてなんです。断られたらどうしようと心配で心配で」
「まあ庄次郎様ったら……私もです」
ジャッジの前世は、昭和の軍人、城島庄次郎。後の春江の夫だった。
「私も……って?」
「私も男性のお誘いを初めてお受けしました」
――――これはどういうことだ……ハルは城島春江で、私は城島庄次郎……カロル様が忌み嫌っているハルが、私の妻……
放心状態のジャッジに、次々と春江との楽しい出来事が映し出された。それを呆然と眺めるしかなかった。
そうしているうちに、目の前の映像が淡々と進んでいった。気がつくと、いつもと同じ湖畔で、春江がバイオリンを演奏していた。その光景を眺めながら庄次郎はうっとりとしていた。
暫くすると、春江は演奏をやめ、庄次郎の方を振り返りながら口を開いた。
「庄次郎様、音楽は聴くことだけが楽しみじゃないんですよ」
「そうなんですか?」
「そうです。歌いませんか?」
「私が……ですか?」
「私が演奏しますから」
「でも……」
「一緒に楽しみたいです」
庄次郎は、歌を歌うことが得意ではないと思いながらも、これが春江との絆を深めることになるに違いないと考えた。
「分かりました。ではどんな歌に?」
「庄次郎様のお好きな曲を」
「そうですね……埴生の宿はいかがでしょう。幼き頃、父が私の耳元で子守歌のように歌ってくれたと聞いています。父の忘れ形見なんです」
「埴生の宿ですか……分かりました。じゃあいいですか?」
春江は、バイオリンを構えると、埴生の宿の前奏を演奏し始めた。
庄次郎は緊張しながらも、歌い出しの歌詞を確認した。
「はにゅうの宿も 我が宿 玉の装ひ うらやまじ
のどかなりや 春の空 花はあるじ 鳥は友
おお 我が宿よ たのしとも たのもしや 」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ