天上万華鏡 ~地獄編~
「笠木さんの転送能力がなかったら、この場所は分からなかったと思う。それにアジトがあった洞窟もね。この国は笠木さんの能力があってこそだな」
「いえいえ、それは言い過ぎです。皆さんの力があってこそ。私の力は些細なものですよ」
「笠木さんってさ、とことん裏方なんだね。もっと表に出てもいいのに……」
「私が目立っても仕方ないでしょ? 人には適材適所というものがあると思うんですよね」
「そっか。笠木さんは自分よりもみんなのために動きたいってことかな」
「そうですね。ハル様から教えていただいた事です。地獄に墜ちる前のハル様はまさにそんな方でした。私はハル様に救われたんです」
「私もだ。私も自分さえ助かればいいって思っていたんだよね」
「マユ様が……ですか?」
「そうなんだよね。でもさ、ハルを見ていたらそんな自分が恥ずかしくなってね、自棄になった私の手をぎゅっと握ってくれた。私、今でもその温かさ覚えてるよ」
マユは自分の手の平を見つめながら呟いた。
「そうですか。ハル様って不思議な方ですよね」
「そうだね。あっ笠木さんさ、前から聞きたかったんだけど、あの転送能力ってどうやって身に付けたの? 幻影とかとも違うじゃん」
「ああ、あれは、バベルの塔で一緒になった方から教えてもらったんです」
「え? その人何者?」
「魔術師だって言ってました。エリファス・レヴィって方なんですけどね。生きている時に、魔術と呼ばれるまじないをしていたようです」
「それって魔女狩りで捕まったってやつじゃない?」
「そうではないようですよ。魔女狩りと時代が違うんでしょうね。普通に病気で亡くなったようです」
「魔術やっていたのに捕まらなかったって何よ。ずるいな」
「それが時代ってやつですよね」
「はあ、そのようだね。んで、魔術師って笠木さんがやっているようなことを、たくさんできたわけ?」
「そうですね、そりゃあ凄いものでした。精霊を喚起したり、自分自身にエネルギーを蓄えたり。私は師匠の……あっエリファスさんのことです。弟子入りしたんで、師匠って呼んでいるんです。師匠の技を見る度に惚れ惚れとしてため息を漏らしてたんですよね」
「うはーガチの魔術師だったんだね。もしかして生きている時もそんなことができたのかな?」
「そのようです。死んでからの方が、術に使っているエネルギーの流れが分かりやすくてやりやすいとは仰っていましたけど」
「凄いね!」
「そうです。生前から魔術師として活躍されていた方ですので、地獄でも力を発揮されていたんです。でも、私はしがない元教師。何もできずにあたふたしてたんです。それを師匠は見かねていろいろ教えてくれたんです。でも転送能力しか身につきませんでした。といってもあの術は元々結界の術なんで、転送の術じゃないんですけどね、何故かああなってしまいました。私は何一つ身に付けることができなかったということなんです。師匠が今の私の姿を見たら悲しむでしょうね」
「師匠さんはどこにいるの?」
マユはエリファスがハマス共和国にいると思い込み、辺りを見渡した。
「いえ……師匠はバベルの塔をクリアできませんでした。つまりコキュートスに……」
「え? それ程の人がどうして?」
「あと少しのところまで来てたんです。でも最後の最後でインドラの矢にやられました」
「シローウィンがやったの!」
「シローウィン? インドラのことですか?」
「そう、インドラ……でも結界とか、その師匠さんできたんじゃないの?」
「それが……未熟な私をかばって……それで下に落ちてしまったんです」
「そっか……」
「私が落ちるべきだったんです。師匠が落ちたのを見て、私も落ちようと思ったんです。でも……でも……」
笠木は感極まって涙を浮かべ声を震わせた。
「師匠は落ちながら私を見て笑みを浮かべたんです。まるで私に大丈夫でよかったって話しかけるように……自分は永久に氷の中に封印させられるんですよ? それがコキュートスなんです。そんな運命が確定して、そうなるまで幾ばくもないのにどうして私を思いやれるんですか? そう思った時、師匠と一緒に落ちることはできないと思ったんですよ。何が何でも上がってやるとね。私がここにいるのは、私の想いだけではない。私は師匠の想いも背負っているんです。師匠の魂を受け継がなければならないんです。師匠が私を救ってくれたように、私も誰かの礎に……」
「ハルのために自分が犠牲になろうって思っているの?」
「その通りです。私の替わりはいくらでもいる。でもハル様の替わりはいない。ハル様はそれだけかけがえのない方だと思うんです。現世で私はハル様を守る事ができなかった。今度は絶対に守り通します」
笠木の目に灯る覚悟の炎。それをマユは見逃さなかった。ハマス共和国に半端な気持ちな者はいない。自分の存在を賭けて皆を守ろうとする。だからハマス共和国は強くなる。マユの勝算はまさにそこにあった。しかし、この笠木の覚悟はハルの理念とはズレがあった。
「笠木さん。あんたの気持ちはよく分かるよ。でもね、ハルは笠木さんの犠牲を喜ばないよね。むしろそれは失敗だと思うはず」
「その通りです。でもそれは、その時まで私の胸に秘めておけばいいこと。これからそんな悠長なことを言っていられないような窮地に追い込まれると思うんです。その時のためにいつでも捨て石になるつもりでいます」
「窮地に追い込まれても、笠木さんを絶対に犠牲にしないで済む方法を考えて、それを実現する。それがハルなの。その覚悟をもつことでハルは強くなれる。ハルはそういう人なの。だから、ハルのためにも自分の魂を大切にしてね」
「マユ様はハル様のことをよくご存じなんですね。まるでハル様から説教されているようでした。分かりました。目が覚めました」
「説教だなんて。こわ。私らしくない。でもまあハルの考えそうなことはよく分かるよ。だって友達だもん」
「ははっそんな以心伝心な友達って羨ましいですね」
「そうでしょー?」
マユと笠木は、顔を見合わせながら微笑んだ。
一方、スワンは無邪気なハルの様子を同じく微笑みながら見つめていた。そこにロンが歩み寄り、スワンの肩に手を置いた。
「ベリー・コロン、お前変わったな」
「いきなり何だよ。というか、ベリー・コロンじゃないんですけど」
唐突な物言いにスワンは怪訝な表情を浮かべた。しかし、ロンはお構いなしに言葉を続けた。
「スワン・ソングだったな。しかし私にとっては勝手が悪い名前だ」
「君も変わったよ。嫌みっぽくなった。ねちっこい堕天使って嫌われるぞ」
「褒め言葉として受け取っておこう。ベリー・コロンの頃はもっと品格があった」
「どうせ俺は下品ですよーだ。揃いも揃って馬鹿にしやがって」
「そうふくれるな」
ロンは、スワンを一瞥してふっと微笑むと、ハルが無邪気に遊んでいる様子を黙って眺めた。スワンも同じようにハルを見つめると、暫しの沈黙で包まれた。この沈黙を破ったのはロンだった。
「お前とやり合う前に、何度がお前の姿を見たことがある。人間を侮蔑する氷の仮面を被ったお前をな」
「若気の至りってやつ? 恥ずかしい過去を暴かれているみたいで嫌だな。暴露話がしたいのか? 陰険だな」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ