天上万華鏡 ~地獄編~
局長級の天使が地獄を視察する地獄総覧の様子。それで酷く心を痛めたジブリールの様子。カロルに詰め寄り地獄の悲惨な様子を激しく抗議するジブリール。その後、ラファエルに相談して生まれ変わりを懇願する様子。その懇願を突っぱね続けるラファエルだったが、根気強く説得するジブリールにほだされて最後には転生許可証に判をを押していた。
生まれ変わるジブリール。生まれた者の名は「城島春江」ハルの生前の名前だった。そこで映像は終わっていた。続きは「城島春江」のメモリーディスクにある。しかし、名前が明らかになっただけでダニーにとっては十分だった。何故ならハルの正体がジブリールだと明らかになったからである。
しかし、ダニーにはその事実よりも別なことが脳裏を埋め尽くしていた。それはジブリールの強い想いだった。地獄の罪人達がどんな仕打ちを受けていたとしても、所詮他人事。いくらきれい事を言ったとしても、それは揺るがない事実。そう思うのが当たり前の考えだった。
一方、ジブリールは、地獄の罪人が痛めつけられているのを自分の痛みとして受け止めた。罪人のためにそこまで苦しむことができるのだろうかと、ダニーの理解を遙かに超えるものだった。
それからカロルに詰め寄ったり、ラファエルに転生を懇願したりするジブリールには鬼気迫るものがあった。執念の一言に尽きる。己の存在を全て賭けて地獄の罪人の救済に立ち向かおうとしていた。
「これ程までとは……」
ダニーはカムリーナからジブリールの話は聞いていた。その話の裏付けを取るためにここに来たといってもいい。聞いたとおりの顛末。だから別段驚くこともないはずだった。しかし、実際の様子を目で見るとジブリールの鮮烈なまでの想いがダニーを突き刺していった。
驚きの余り口を開いたまま思考が停止していた。そして不意にこぼれる涙を拭うことすらできなかった。
ラファエルがダニーに示唆したかったのは、ジブリールの理念だけではなかった。理屈を越えた強い想い。魂を揺さぶる程の愛。正義という言葉がかすんでしまう程に無尽蔵に溢れる慈悲の心。ここまで来てやっと、ダニーはラファエルの言う「許せ」という言葉を理解できた。
「ジブリール君に関わるということはそういうことである。汝に覚悟を問うたのもそのためである。汝の理解を遙かに超えた世界に踏み込む恐怖に加え、その流れを断ち切らないように常に思考を巡らせなければならぬ。その責任である」
「…………」
「汝の饒舌な口が止まったのも、その責任を肌で感じたからであろう。これまでの言動が如何に軽薄だったのか身をもって理解できたであろう」
「……その通りでございます」
「されど私は汝に言う。汝の心にあるがまま行動すべし。汝の信念に従い、汝の良心に従い、汝の頭で考え行動すべし」
苦悩のダニーに突きつけられたのは、更に厳しいものだった。
「そんなこと私にはできません!」
ダニーは目を見開き口をわなわなと震わせながら叫んだ。普段の冷静なダニーの姿は微塵もなかった。
「拒否はできぬ。汝は天使達が堕落したことに気付いてしまった。そしてジブリール君の想いを知ってしまった。その上で汝は全てをなかったことにできるのか? 再度言うが、私は汝に覚悟の程を問うたではないか。もう引き返せない所まできているのだ」
狼狽して俯いているダニーだったが、ラファエルの言葉を聞いて暫く経った後、ゆっくりを顔を上げた。その顔は苦悶に満ちた表情ではなく、むしろ何かを悟ったような落ち着き払った顔だった。
「ラファエル様、そのお役目私でよろしいのでしょうか?」
「左様。私は汝に託したのである。だからこそ汝に洗礼を浴びせた。目が覚めたであろう? ジブリール君の生き様を見て亡き者にしようとする天使がいる一方で、汝にように目覚めてくれる天使もいることは分かっていた。汝のような天使が自分の名誉を投げ打ってでもジブリール君を支えてくれるとな」
「は!」
ダニーは思わずラファエルに跪きひれ伏した。ジブリールの鮮烈な想いを受けた上に、ラファエルから認められた。これ以上の栄誉はなかった。
「ダニー君……ジブリール君を頼むぞ」
「かしこまりました!」
ラファエルは、ゆっくりと敬礼をすると、それに気付いたダニーも素早く立ち上がり同じように敬礼をした。
「ラファエル様、面会ありがとうございました。これにて失礼致します」
「ダニー君、ご苦労だった」
ダニーはラファエルにニッコリと微笑むと去っていった。
「天界の堕落を正すためにジブリール君が現れる。これが神の意志だとすれば、ジブリール君により覚醒する天使が現れるのも必然。それも含め神の計画か? その流れに沿って手をさしのべる私もまた神の計画の一部だとすれば、なんと世界はうまくできているのだ。最後はいい具合に帳尻が合うということだから……」
ラファエルは物思いにふけるように、ふっと遠くを見つめ、ため息を漏らすと、何事もなかったように仕事を再開した。
一方、話題の中心にいたジブリール……いや、現在のハルは、ハマス共和国会議室のある所とは違う洞窟内にいた。
「アジトに使っていた洞窟以外にもこんなに広い空間があったとは……」
リストが呟くのも無理はなかった。そこは高い天井とかなり広い空間。数千人規模で人を収容できるほどのものだった。
「アジトに使った規模の洞窟がこの辺りにいくつかあります。つまりカルバリンは洞窟が多くある山にあたるんです。入り口がないから……つまり空洞だから通常は中に入ることができない。しかし私の転送能力を使ったら大丈夫。だからいつか生かせると信じて調査していたんです」
「それにしてもよ笠木の兄貴。カルバリンの山はそんなに大きくないぜ。こんな大きな洞窟は収まらないと思うんだけどよ」
「リン様、それは現世での話。ここは地獄です。小さい山の中に大きな空洞があっても不思議ではありません。ただ……」
「ただ?」
「ここまで広い空間がどうしてあるのか……それは私にも分かりません」
「リンちゃん。それって、この空間は地獄を作った天使が何らかの目的があって作ったのかも……って言いたいの?」
「そうです、マユ様。何か罠があるような気がしてならないんですよ」
「笠木さん、それはないね。修羅地獄は罪人同士が苦しめ合うところ……でしょ?」
「はい」
「だったら天使はそれを守ると思うよ。だって天使ってくそ真面目じゃない」
「なるほど……」
笠木とマユが深刻な話をしている側で、他のメンバーはだだっ広い空間にワクワクしてはしゃいでいた。
「スワン君! 湖みたいになっているよ! 冷たーい。気持ちいい」
「ハルちゃん、靴のまま入っちゃったら濡れちゃうよ」
「乾かせばいいじゃない」
ハルの無邪気さに皆笑みがこぼれた。
「もうハルったら……ハルのお陰でみんな明るくなったね」
「そうですね。ハル様の存在は私にとって光なんです」
「そうだね。私にとってもそう……ふっ、さっきまで真剣な話していたのが馬鹿みたいになっちゃった。ずっと気が抜けない時間が続いていたから、いいガス抜きになるかな? 私達も休憩しよう」
「そうですね」
笠木は微笑むとマユのそばに腰掛けて、無邪気に遊んでいるハルを見つめた。
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ