天上万華鏡 ~地獄編~
「本当だ。晩餐は立ってするものではない。何とも下品な……」
親衛隊達は、ハンバーガーを食べている若者を指して呟いた。ネロ達は、生きた時代に多少の差異があるとしても、紀元前後の者達である。食事といえば、テーブルについてフォークとナイフで食べるもの。当然、ファーストフードという文化はなかった。国の違いというより時代の違い。
しかしネロ達は時間が閉ざされた地獄に長く居すぎたために、時代の変化という概念がなかった。それ故、目の前にある成熟した文化を、ジパングという国が飛躍的に発展していると判断していた。
黄金の国と噂されていた国は、絶望するほどに発展していた。まさに黄金だと言わざるを得なかった。
「親衛隊の諸君。我々の理解が及ばない場所だということは十分すぎる程分かった。いちいち気に留めていたら埒があかない。とにかく電車という乗り物まで行こうではないか」
ネロの言葉を契機にして、真之介の後を皆すたすたとついていった。しかし、新宿駅を行き交う人々の姿やその行動、エスカレーターや場内アナウンスなど、ネロ達にとって刺激的すぎるものばかりが目に飛び込んできた。それらを見て見ぬふりをしなくてはならず、体を不自然にピクピクさせながら歩いた。
「電車に乗るということでよろしいですか?」
「乗ることができるのか?」
「はい。ただ……ホームには天使がいるんですよ。保安官が罪を犯した者が逃亡を図るために電車を利用することが多いようで。皆様は保安官から追われるようなことはないですよね?」
「殿下、ここは引きましょう。天使と事を構えるのは得策とは言えません」
親衛隊の言うことはもっともだ。ネロは、そう思いながらも、すぐに結論を出さなかった。暫く考えた後、ネロはゆっくりと口を開いた。
「いや、ここはあえて進む。天使共がここを重要な拠点だとする以上、我々の手中に入れたら大きな得になるということ」
「なるほど……」
「あの……」
ネロ達の会話に割って入ったのは真之介だった。
「何だ。言え」
「いくら天使といえど、罪を犯していなければ関与しません。素通りできるんです。だからそんなに難しい話ではありません」
「真之介よ。あなたには話しておかなければならないな。我々は元々地獄の住人。それが脱獄して今ここにいる。だから保安官は我々を確保しようとするんだよ」
「は……はぁ? 地獄にいたんですか!」
「左様。故にこの国のことを知らぬ。あなたを捕捉したのもそのためだ」
「え……は……」
真之介は言葉を失った。地獄の住人。しかもそこを脱獄。想像すら出来ない世界に唖然とするのみだった。
「真之介、電車というものは、どこにある?」
「保安官がいるんですよ? 脱獄したとなると地の果てまで追われます」
「よい。いいから案内しろ」
「はい……あちらの階段から上へ」
山手線内回りと書いてある看板を指さし、その先にあるホームを目指し歩き始めた。階段を上ると電車が停車しており、そこからおびただしい人が降りてきた。暫くすると、
「十四番線、ドアが閉まります。駆け込み乗車はご遠慮ください」
動いていていない電車はただの箱。ネロ達が一目見た時の印象である。しかし、進み始めると、その驚きは頂点に達した。
「これが電車か……これだと数百人もの者達を一遍に運ぶことが出来る。これは大きい」
ネロは、電車を乗り降りするおびただしい数の人間に驚きながらも、その先にいる天使に目が留まった。
基本的に天使の服は、地獄にいる天使。刑務官や検察官と似た服装をしていたが、駅のホームにいる天使は、地獄の天使よりもより軍服に似ており、格調高い作りをしていた。また襟が極端に高く、先は青く光っていた。装飾物が多く散りばめられている服装は、天使としての威厳を人間の霊達に示すのに役立った。この天使が、ネロ達の話題にしている保安官で、現世の治安を守る任を負った者である。ネロ達が背負っている脱獄の罪を咎め、地獄に堕とすのもこれらの天使の役目である。
「憎き保安官。あなた達地獄に堕とされたのは数千年前とはいえ、その屈辱は昨日のことのように覚えている。忌まわしい記憶としてな」
ネロの呟きに気付いた親衛隊達は、その視線の先にいる保安官を確認すると、素早く腰に差す刀を取り出し、斬りかかろうとした。ある者は拳銃を幻影として具現化させると、周りの親衛隊達に渡した。
「待て」
ピタっと動きを止める親衛隊達。ネロの続きの言葉を聞くため耳を澄ました。
「おかしい……保安官は処分する霊を目視によって確認するのではない。エンジェルビジョンで前もってその存在を確認し、天使転送装置によって対象座標に飛び込む。我々がこの位置にいながら保安官が反応しないのはおかしい……」
脱獄囚としての情報が、保安官達に伝わっていないのか。ネロの言葉を要約すると、そう結論づけることができる。ネロと同じ結論に帰結した新鋭達達は、保安官を注視しつつも戦闘警戒態勢を解いた。
安心も束の間、ネロ達のすぐ目の前で恐れていた変化が訪れた。
ネロ達のすぐ側、地上から十メートル程の上空一点が光り輝き、その光がゆっくりと移動した。移動した軌跡も輝いたままで、一種の図形を形成した。この図形は六芒星(ろくぼうせい)であった。
まるで天井に光の六芒星が描かれたような格好になった。次にその六芒星の周囲が光の円で囲まれ、大きな円盤状の図形となった。
――――キュイーーン
六芒星の円盤図形が音をたてて回り出した。回転と同時にその回転している部分の空間が切り取られた形になっている。次に、円盤がゆっくりと降りてきた。切り取られた空間には異空間のような歪んだ空気が漂っていた。
これはネロが言葉に出した天使転送装置。天使を瞬間移動させるための装置である。切り取られた空間から天使の足が姿を現した。その服装からネロ達は天使の中でも保安官だと容易に理解できた。
目の前に現れつつある保安官はきっと自分達を地獄に堕とそうとするのだろう。安堵の表情から一転して緊張に。次第に姿を現してくる天使に対していつでも攻撃できるように態勢を整えた。
しかし、再度ネロ達の動きが止まった。それは、天使転送装置から降りてくる保安官がネロ達の方を向いていなかったからである。保安官の目は明らかにネロ達とは違う方向を見据えている。保安官のターゲットはネロ達ではなかった。その視線の先には、尻餅をついてブルブル震えている町娘風の女がいた。
「汝は南条トメに相違ないな? 我が名はグロウ・サジョン、三等保安官である」
と名乗ると、グロウの右側に大きな火柱が立った。天使が身分を示す際に使用する例のものである。
「汝は、憑依禁止法十二条違反により、ジュネリング強制失効の令が発令された。神の名において汝を処分する」
その直後、グロウは腰に差した西洋刀を抜くと、瞬く間に南条に詰め寄ると、その刀で首をはねた。
――――シュポン
と音を立てながら跳ねる南条の首。それが地面に落ちるのを待たずに、首に身に付けているジュネリングを一刀両断した。
「じ……地獄に墜ちたくない!」
生首になりながらも絶叫する南条の声は駅のホームに空しく響いた。
「汝は既に断罪された。命乞いは閻魔天にすべし」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ