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仁科 カンヂ
仁科 カンヂ
novelistID. 12248
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天上万華鏡 ~地獄編~

INDEX|104ページ/140ページ|

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 ロンの体が元通りになることを信じてやまない満面の笑み。ロンが助かることを心から喜んでいる。そんなハルの言葉に、ロンは心が動いた。ロンの心が溶け始めて、枯れていた体の隅々までしみ込もうとした頃、スワンが帰ってきた。
「ふひー大変だったよ。重いってばよ」
 スワンが手にした大きな袋には、湯飲みほどの小さな瓶が、たくさん詰め込まれていた。
「ロン君の体というより、瓶と水が重いんじゃないかな。大変だったよ」
「はいはいお疲れさん。文句言わない。これが百瓶か。水が入った瓶に肉片が入っているわけね。残酷だね」
 と言いながらマユは瓶を一つ手に取ると、蓋を開け、床にこぼした。
「あぁぁ! 痛い!」
 肉片が床に落ちた衝撃だろうか。ロンは顔を歪めた。
「助かるんだから贅沢言わないの!」
「マユちゃん。そっとやろうよ。わざと痛くしなくても……」
「しょうがないな。ハルってば優しいねえ。よかったねロンちゃん。ハルに感謝しないとね。じゃあみんなで手分けして瓶を開けようか。ゆっくりね」
 マユの言葉を契機にして、皆、瓶を手にとり床にこぼした。すると肉片が次第に動き出し、合体を始めた。それが次第に体の形になっていった。ロンはその様子を信じられないとばかり大きく口を開きながら呆然と見つめた。
 融合を始めること約一時間。最後に頭と胴体が合体した。
「おーー!」
 一同どよめきが起きた。そしてお互いに喜び合った。その中でもハルは涙を浮かべながらロンを見つめ、感極まって思いっきり抱きしめた。いきなりの出来事に身を固くするロン。ハルはそんなことはお構いなしに大粒の涙を浮かべながら、
「よかった」
 と呟いた。
 ロンの耳元で発せられたこの言葉は、ロンの心をがっちりと掴んだ。
「ハルよかったね。これでロンちゃんも喜んでいるはずだよ」
「うん」
「そういうことだから、ロンちゃん行っていいよ」
「何だよマユ逃がす気か?」
「うん。ハルの喜んでいる姿見たらもういいかなって」
「そうだな」
 マユとスワンの言葉を聞きながら、皆大きく頷いた。ハルが喜ぶことをしたい。これはハマス共和国の共通した願いだった。それが達成された以上、更に求めるものがなかった。
「何を言っている。私を逃がしたらローマ帝国の兵隊にここの在処を話すことになるぞ?」
「いいよ? そうなったとしても、私達負けないから」
 マユの言葉は自信に満ちたものだった。おそらくハッタリではない。ハルの言葉に強い説得力をもちながらも、ロンの疑問は晴れなかった。
「みすみす危険に晒すのか?」
「じゃあその答えをハルに答えてもらいましょう」
 皆の注目がハルに集中した。しかし、いきなりのことで戸惑ってしまった。
「え……あ……私に難しいことは分かりません。でも天使様が元気になってよかったと思ってます。天使様がローマ帝国の方なら、ローマ帝国に帰るのが正しいと思います」
 ロンにとってローマ帝国は敵だった。自分を捕らえ辱めを受けたのはローマ帝国によるもの。ローマ帝国に情報を漏らすと言ってはみたものの、それはマユ達の真意を量るための方便。本意ではなかった。
「……甘い……甘いな……そんなことでどうする。折角大きな国になったとしても、こんな事じゃ潰れるのも必然。私のような者がいなければ心配だ」
「ロン君何を言っているんだ?」
 スワンの呟きは当然のことだった。いきなり何を言っているのだ。皆そう思っていた。しかしマユだけは微笑みを崩さなかった。
「私にとってローマ帝国は宿敵である。私はハマス共和国に留まり宿敵を討つことに力を尽くすつもりである」
 そう言うと、ハルの方へ向き直り、そっと跪いた。
「城島春江様、私はあなたに忠誠を誓います」
 思わぬ申し出に恐縮しつつも、自分の採るべき選択を察したハルは、跪いているロンに近づき、腰を下ろしながらロンを見つめた。
「天使様、お顔を上げてください」
 ハルの言葉によりそっと顔を起こしたロンはハルと目が合った。その目は慈愛に満ちていて、それまで荒んでいたロンの心を満たしていった。
「ハマス共和国へようこそ。歓迎致します」
 その瞬間、溢れんばかりの拍手に包まれた。
「ロンちゃん。城島春江じゃなくて、ハルね。それにハルも天使様じゃなくてロンちゃん」
 冷静なマユの突っ込みに一同に笑いが起こった。その瞬間、ロンの体が光に包まれた。精神性が高まった時に煌めく威光。それがロンにも現れたのである。光が発せられると同時に、その姿も高貴な姿に変える。
 絹のようなさらさらした髪に澄み切った白い肌。コバルトブルーの瞳。見る者をうっとりさせるその風貌に皆びっくりした。ただ一人を除いて。
 それはマユだった。ニヤニヤしているその顔は明らかに妄想をしている顔だった。
「こいつ病気だな」
 呆れながら呟くスワン。それを無視するかのようにマユの妄想はエスカレートしてきた。その直後マユの後ろに裸で悶え合っているスワンとロンが落ちてきた。
「また俺かよ!」
「何だと! この卑猥な物体は!」
「むふふ」
 上機嫌で幻影に近づくマユ。その体に触れるとカードに変化した。審判のカード。棺桶に横たわるロンに襲いかかっているスワンの絵だった。
「ハマス共和国ではこんな卑猥なことが流行っているのか?」
 目を泳がせながら、明らかに脅えた表情で訴えるロン。皆それに答えず苦笑いするしかなかった。
 かくして、ハルが地獄に墜ちる前、現世において、雌雄を決したロンとスワンが、今度は共に手を取ることになった。これは本人達も予想だにできないことだった。しかしロンの加入により、物語はより彩りを加えることになる。
 その頃、ローマ帝国皇帝カリグラにより、堕天使三田への接見、及びローマ帝国への勧誘の命を受けたローマ帝国皇太子ネロ一行は、ジュネリングの導きにより現世に到達していた。
 舞台は、昭和四六年の日本。太平洋戦争終戦後、復興し、高度経済成長により、その経済力は成熟しようとしていた。そこに千数百年地獄に囚われていた罪人達が降り立った。
「ここがジパングか……これまた奇怪な……」
 ネロは、天界と現世とをつなぐヤコブの梯子からのびる階段を降りながら呟いた。
「全くです。鉄の生き物がこんなにも……」
 ネロの手下の者が言った「鉄の生き物」とは道路を走る乗用車のこと。罪人達が生きた時代は、それぞれ違いがあるとはいえ、概ね紀元前後。この者達が生きていた時の現世とは全く変わっていた。
 しかし地獄には次々と新しい罪人が送り込まれる。当然、ローマ帝国にも現代に生きる罪人がいた。その罪人から武器となる機関銃やロケットランチャーなど、近代兵器の知識が伝えられたが、自動車や高層ビルなど、近代の文明に関するものは軽視する傾向にあった。
「ジパングはこれほどの軍事力を……」
 ネロがそう言うのも無理はなかった。目の前にあるのは新宿駅。高層ビル群のど真ん中だったからである。
 せわしく行き交うサラリーマン。多くの車が道路を占拠し、駅前の巨大広告や信号機、街を彩るネオンがネロ達を驚かせた。近代日本の喧噪の中でネロ達は呆然と立ち尽くした。