天上万華鏡 ~地獄編~
「だからさ、罪を犯してしかったハルちゃんを地獄に堕とそうと追っていたのがロン君で、それを守ったのが俺って事。俺とロン君が戦って俺が勝ったんだよね。それが元でロン君は地獄に墜ちることになったわけ」
「白鳥君、分かりやすい説明ありがとう。だったらやばいね……この天使私達を恨んでるはず」
マユの予感は的中した。
「城島春江……ベリー・コロン……今度は私をどうしようというのだ! 拷問にかけるのか? あ……あ……ぎゃぁぁぁ! 憎い憎いお前が憎い! お前等のせいで……私がこんな目に! ごめんなさい! 拷問だけは……ぎゃぁぁぁ!」
半狂乱のロン。その様子をハルは悲しい眼差しで見つめた。
「天使様……私のせいでこんなことに……」
ハルは涙を流しながら、ロンを抱きしめた。
「やめろ……やめろ……きゃぁぁぁ! 城島春江! お前は悪魔なり!」
そう言いながら、春江の腕を思いっきりかみ切った。その様子を見た皆は、戦闘態勢に入った。
「皆さんやめてください! これは私の問題なんです!」
「ハル様!」
血相を変えてハルのもとに駆け寄ろうとするリストを、リンは黙って制止した。
「姉御には、この天使しか見えてねぇ。いくら自分が痛めつけられても、こいつしか見てねぇ。救いてぇってな。姉御ってそういう人なんだよ」
「しかし……」
「おめえさんらしくねえな。俺達には理解できねえことやるから姉御は奇跡てえの? それを起こすんじゃねえのか? おめえさんぐらい頭よければ、それぐらい分かると思うけどな」
「…………」
リストの苦悩をよそに、ハルとロンの遣り取りが続けられた。
「うごうご……あああああ……」
ロンは、狂ったように叫びながら、ハルに何度も噛みついた。血まみれになるハル。しかしその瞳はロンを慈しみ、愛に溢れていた。ハルの心には、ロンを救いたいという思いのみ。その思いが皆を黙らせる説得力につながった。
しかし、ロンによって腕や胸がかみ砕かれ、その傷は骨にまで達した。剥き出しになった肋骨は、おびただしい血で赤く染まっていた。
それを眺める皆は、手を出すべきではないということは分かっていながらも、あまりにも凄惨な光景に、苛立ちを募らせた。
その均衡を破るか如く、スワンがロンのもとに歩みでた。
「錦鯉のにいちゃん!」
「分かってるって。邪魔はしないよ」
スワンはリンを一瞥すると、ゆっくりとロンに近寄り、じっと見つめた。
「ロン君、君が地獄に墜ちる前のことを覚えているか? 俺が君を倒そうとしたのをこのハルちゃんが止めたんだぞ? 地獄に墜ちずに済むにはどうすればいいのか必死に考えたんだぞ? 自分を地獄に堕とそうとしていた君を助けようと命乞いをしたんだぞ? 今も君を守ろうと必死になってるんだよ。それを君はなんだ? どうしてハルちゃんを傷つけることができるんだ!」
ロンが地獄に墜ちる直前、スワンはロンに対して、同じようなことを言った。ハルの愛を目の当たりにすれば、誰でも気付くこと。なのにロンは二度も気付かなかった。スワンは怒りを通り越して、憐れに思ったのである。
そんなスワンの思いが通じたのか、ロンの動きがピタっと止まった。
「天使様……私が絶対元通りにしますから。絶対体を……」
「城島春江……どうして私にそんなことをしようとするのか? 何か魂胆があるのか? 私を助けても何もない……見返りは期待しないことだ」
「見返りだなんて……そんなこと考えてません!」
「そうだよね。ハルはそんな子じゃないって、あんたも分かっているよね? それにあんたに見返りを期待しても、どうにもならないことぐらいみんな分かってるって。馬鹿にしないでよね」
「マユちゃん……」
「心配しないで。私から素敵な提案をと思ってね。ハル、このロンちゃんの体を元通りにしたいんでしょ?」
「うん!」
「ということだよ。ロンちゃん? あんたは処刑されたんだよね? 百瓶?」
ロンは口をつぐんだ。自分を救おうとするなんてどうかしている。絶対それはあり得ない。そう思ったからである。処刑法、その他諸々ローマ帝国の情報を聞き出そうとしている。でも、もしかして今の危機から出してくれるかもしれないという期待も同時にあった。これまであまりにも極限の状況が続いたため、ロンの思考は通常のものから随分逸脱してしまった。
「言ったところでどうなるというのだ。ハマス共和国の軍事力で、ローマ帝国の懐まで飛び込める勝算は、万が一にもない」
「へー。懐ってことは、ローマ帝国の中枢ってことね」
にっこり微笑むマユにロンは凍り付いた。語るに落ちてしまった。ロンは自らの失言に言葉を失った。
「どうせ勝算は万が一にもないんでしょ? だったら言ってごらんよ。馬鹿の一つ覚えみたいに百瓶なんでしょ? でさ、その百瓶はどこにあるの」
もう何も言うものか。そう言わんばかりに、ロンは一言も口に出さなかった。
「マユ君。百瓶は薬品庫だ。確かロン君のものもあったと思うが」
話に入ったのはリストだった。マユは、その言葉を聞いて極端に渋い顔をしながらリストの方を向いた。
「もう! あんた知ってるんだったら、もっと早く言ったらどうなのよ。私馬鹿みたいじゃない!」
「君達の遣り取りが面白くてね。それに馬鹿みたいなマユ君の振るまい。ぞくぞくするね」
「きー!! サドめ!」
「マユぶっさいくだな」
やり込められたマユを見て、日頃の恨みが晴らされたとここぞとばかり笑うスワンだった。
「白鳥君……覚えてなさいよ……」
「こえー……」
「リスト! ロンちゃんの体持ってきて!」
「そう言うだろうと思ってね、もう準備を始めている。ただ、百瓶は重いんだよな。だから俺の力だけでは厳しい部分がある。目立ったら駄目だしな。スワン君、何を言いたいのか分かってるね?」
「あいあい。取りに行けってことね。ローマ帝国の城だろ?」
「君は馬鹿か? 君が易々行けるほどローマ帝国は甘くないんだよ。国境付近まで馬車かなんかで運ばせるから、そこで受け渡してくれ。笠木分かるよな。どこで受け渡しするか。転送ついでに教えてやれ」
「ああ、じゃあスワン様こちらへ」
「ちぇ、みんなでよってたかって……いつか見返してやる!」
そう言いながら笠木と二人で部屋から出ようとした。
「そうそう笠木さんさ、転送のことだけど、どうして笠木さんもいかないと駄目かな? 遠隔でできたら楽だし使えるのに」
「あ……そうですね……気付かなかった。流石スワン様」
「だろ? 笠木さんだけだよ。俺のこと分かってくれるのは」
そう言いながら去っていった。この風景も、ハマス共和国の皆からするといつものこと。しかしロンには特異に映った。
百瓶の在処を知っていたリスト。これはローマ帝国の国民でもごく一部しか知り得ない情報だった。そして、薬品庫からロンの体を奪還するのは不可能に近い。しかしこの者達は、至極簡単にできるかのように振る舞っている。こんな難解でリスクが高いミッションを、当たり前のように自分のために進められようとしていること。全てがロンの理解を超えるものだった。そしてハルの言葉。
「天使様、もう大丈夫ですよ。助かりますよ」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ