天上万華鏡 ~地獄編~
第15章「黄金の国ジパング」
ハルによる建国宣言から数週間後、ローマ帝国の謁見の間では、華やかなセレモニーが執り行われていた。カリグラの頭には、マシューに極刑を言い渡したことなど既になく、そんなことは小事だと言わんばかりに目の前の出来事に意識を向けていた。
カリグラは満面の笑みを浮かべながら、自分の前に跪く十五人の男を見下ろした。特に服装が一際豪華で、皆より一歩前に出ている男をカリグラは見つめ、言葉を発した。
「皇太子ネロよ。あなたにしか任せられない重要任務だ。分かっているよね?」
「はい」
カリグラからネロと呼ばれるこの男。カリグラの真っ赤な髪や瞳と対照的に、兎に角全身真っ青だった。特に、深海にも似た深く澄み渡った瞳は、その美しさから見る者をうっとりとさせた。
その瞳を見つめながらも全く心を動かすことなく無表情を保つカリグラは、更に言葉を続けた。
「それを聞いて安心した。ジャンさん、例のものを」
傍らに立っているジャンと呼ばれる側近は、豪華な装飾が施されている黄金の盆をカリグラに差し出すと、その上にある十五個のリングを渡した。
「皇太子ネロよ。このリングはジュネリングといって、現世に留まることが許される証だ。あなたも地獄に墜ちる前に身に付けていたから分かるよね?」
「はい」
「あなた達の任務は、このリングを身に付け、ヤコブの梯子を通って現世に行くこと」
「そして、堕天使三田才蔵様に接見して、我がローマ帝国に勧誘すること……ですよね?」
「その通り。三田様は天使でありながら神に反旗を翻したばかりでなく、追っ手の天使をことごとく罠にはめ、地獄に堕としているとか……そんな伝説の堕天使が我が国に加わったらどれだけ力を高めることができるのか、あなた達にも分かるよね?」
「はい」
「天使と司法取引をしてまで手に入れたチャンスだ。失敗は許されないよ」
「畏れ多くも申し上げますが、天使からジュネリング強制失効されずにいる三田様が自分から地獄に赴くことなんてあり得るのでしょうか?」
ジュネリングとは、現世に留まることを許される証。そのジュネリングが天使によって破壊されることを「ジュネリング強制失効」という。つまり、ジュネリングの効力が強制的に停止されることにより、罪人として自動的に地獄に送還される仕組みになっているのである。
三田は罪を犯し、天使から追われる立場である。しかし、天使から逃げ通し、ジュネリング強制失効という憂き目に遭わずにいる。その三田が自ら地獄に行くという判断をするのかというネロの問いは至極当然のことだった。
しかし、カリグラは、むしろ笑みを浮かべながらネロに語りかけた。
「皇太子ネロよ。そんなことは分かっているんだよ。それを承知であなたを派遣するということなんだ。そこはあなたの交渉術次第ではないかい? だから皇太子のあなたが直々に出向くんだよ」
「三田様は現世のどこにいらっしゃるのですか?」
「羅刹天のジャッジ・ケイによると、ジパングのどこからしい。詳しいところは自分で調べられるよね?」
「はい。仰せのままに」
「前にも話したけど、あなた達の立場はあくまでも脱獄者だよ。現世に降り立った瞬間から罪人として天使から追われる身になる。しかも今度捕まったら脱獄の罪が加算されコキュートス行きだ。もうここには帰ってこれなくなる。当然、三田様をここにお連れするのも叶わなくなる。何が何でも三田様を連れて帰還するように」
「はい」
「よろしい。これより皇太子ネロ以下十四名にジュネリングと使用許可証を授与する」
カリグラは、側近の持つ金の盆にあるジュネリングと使用許可証をネロとその他十四名それぞれに手渡すと、それを装着するように促した。
――――カシャーーン
金属音が辺りに響くと、継ぎ目がきれいに合わさっていき、切れ目のない完全なリングになった。
「おおーー」
ジュネリングの変形に思わず歓声を上げるネロ達。しかし、驚きはそれだけじゃなかった。
「我が名は四等入国管理官、フン・カジュエルである」
リングを通して装着した者達の頭にフンの声が響いてきたのである。姿を現すことなく声だけの接触だったが、思わぬ天使の声に皆驚きを隠せなかった。
「我が職務は、汝が装着したジュネリングの法的根拠及びその責務を示すことにある」
フンの声は、地獄で罪人に責め苦を与える検察官や刑務官の威圧的なものではなく、天使としての威厳を示すような格調高い雰囲気をもちながらも、相手を尊重するような丁寧なものだった。
罪人として扱われていない。フンの言葉を聞くにつれ、ジュネリングを付けた者達はそう思うようになった。
フンの口調は、語尾を極端に上げるイントネーションで、かなり特徴的なものだった。この話し方は、天使の間では「公的話法」と呼ばれ、天使としての公務を全うするために言葉を発する際には、この話法で話すことより、天使としての威厳を保つように定められていた。
公的話法は、話す相手に対して敬意を払うという意味もあるため、地獄の罪人に対しては適用されないものだった。
ジュネリングを装着した者達は、罪人として贖われたわけではないが、堂々と現世へ渡ることができる権利を獲得したという微妙な立場に置かれたことをフンの言葉が象徴していた。
「汝は、ジュネリングを装着することにより、現世へ渡るための施設「ヤコブの梯子」の利用権利、及び現世へ留まる権利を保障された。これは、入国管理法第十四条による」
ジュネリングを装着することにより、得られる権利。そして、ジュネリングにまつわる注意事項を、その根拠となる法とともに示された。あまりにも形式的な内容が続いたため、最初こそは注意深く聞いていた皆も、途中から聞き流して互いに談笑を始めた。
「天使がいかに形式主義か分かるね。自らを法で縛らないと何もできないとみえる。そうでもしないと天使が好きな秩序というものが保てないらしいね」
カリグラはそう呟くと、長々と続いているフンによる説明を無視し、セレモニーは進んでいった。
「これにより、我が説明を終了する」
――――キュピーーン
フンによる説明が始まってから数時間後。この言葉と共にフンの言葉が終わった。すると、その直後、ジュネリングを装着した者達の体が次第に消えていった。
「これがヤコブの梯子に転送される予兆か……皇太子ネロ以下親衛隊のあなた達、健闘を祈るよ」
カリグラの言葉が終わった頃には、影も形もなくなっていた。
「おお!!」
セレモニーに参加している一同は、その不思議な現象に思わず声をあげた。そしてジュネリングによって現世に転送されたネロ達を見届けることができた喜びに身を震わせた。
熱狂に包まれた謁見の間では、次なるセレモニーが執り行われようとしていた。
「続いてジョニービル辺境伯の着任式を執り行う」
カリグラの傍らに立つ宰相ジャンが鋭い目つきをしながら言い放つと、ネロ達の旅立ちに熱狂していた皆の声がぴたりと止み、静寂のままカリグラの玉座を見つめた。
「ユダ・ボーガン、前へ」
「は!」
作品名:天上万華鏡 ~地獄編~ 作家名:仁科 カンヂ