ぐらん・ぎにょーる
「あなた方、ワタクシの事を無視していません?」
白百合女侯爵は憤然と周囲に向かって抗議をした。口元がぴくぴくと小刻みに震えている。どうやら、彼女は自分が話の中心でないと許せないお人らしい。困ったものである。
「いやー、見たくない現実って逃避するでしょ」
篁が更に投げやりに言ったその時だった。いかにもと云うパイプオルガンの音か何処からともなく聞こえてきた。それも、床下の方から聞こえてきているようである。篁が厭な予感に駆られ、神田川と紗雨が顔を見合わせたちょうどその時、登場時期を狙ったかのようにばたんと書斎の床が開いて、黒薔薇男爵はパイプオルガンごとせり上がってきた。どうやら、性悪執事がいないことを良いことに黒薔薇男爵は勝手にせり上げを追ってしまったらしい。見事なものである。恐らく、せり上がりの下では黒薔薇男爵の部下がぐるぐると何かを回しているに違いない。
「いつのまに、ヒトの家をそういう風に改造したんだ」
篁は頭痛を覚えながらも、黒薔薇男爵を怒鳴りつけた。
「怖い性悪執事が留守の内に造らせてもらった」
黒薔薇男爵は、真面目な顔で答える。随分と手際が良い話である。痩身で長身の上に端正な顔をした黒薔薇男爵は、オールバックにまるで吸血鬼が着ていそうな黒いマントと燕尾服姿と言う絵に描いたような悪役姿であった。ただし、言動は他人の家にせりあがりを追ってしまうことから考えてもこの人ももれなくかなりおかしい。
「やはり現れましたわね、黒薔薇男爵。ごきげんよう」
黒薔薇男爵の目の前に立ちはだかる白い影。もちろん、白百合女侯爵である。他の三人はやる気のなさそうに見物する事にしたらしい。白百合女侯爵はにっこりと微笑んでドレスの裾をふんわりと持ち上げて宮廷風のお辞儀をする。どうやら、いくら宿敵とは言えども挨拶はしておくべきだと考えているらしい。
「そこにいるのは、白百合女侯爵ではないか。久しいな」
黒薔薇男爵と白百合女侯爵は優雅に挨拶しあった。それはそれは、状況にそぐわない姿である。
「今日こそ、決着を付けに参りましたのよ」
白井百合子こと白百合女侯爵は、バッスル入りのドレスをここぞとばかりに脱ぎ捨てた。禿達が慌てて、脱ぎ捨てられたドレスを回収する。どうやら可愛らしい禿さん達はこのタイミングのためにいたらしい。ドレスを脱ぎ捨てた白百合女侯爵は19世紀の下着姿になった。腰には百合のレリーフがされたレイピアを下げている。なかなか魅惑的な姿である。白い下着が目にも眩しい。様式美と言うものだろうか。
「そのような姿を見せても、私には無駄だぞ」
黒薔薇男爵は冷ややか目で白百合女公爵を見ると吐き捨てるように言った。確かに、無駄だろうな。理由は云わずもがな。
「汚らしい殿方の為に、このような姿になったのではありませんことよ。これはワタクシの戦闘服ですわ」
白百合女公爵は軽蔑のまなざしを黒薔薇男爵に向けた。個人的な感想を言わせてもらえば、彼女の姿は戦闘服と言うよりも怪我の元である。良い子は、真似してはいけませんよ。すっかり二人はよそのお宅で私的な闘いを始めんとしていた。非常に迷惑な事、この上ない。
「もしかしてさ、これ趣味趣向が相容れない人たちの争いか」
はたと思い至った篁はぽんと手を叩くと疑問が氷解したような顔をした。なるほど、二人は相容れないワケである。しかし、はっきり云ってそんなこと理解しても余り嬉しくはない。そこへ冷たいまなざしが篁に突き刺さる。
「お姉様。もしかしなくても、その通りでしょう」
「よく解らない世界だ」
神田川が頭を抱える。うつろな目つきが、彼の現在の精神状態を如実に表していた。しかし、展開は神田川に容赦なかった。史上最大のはた迷惑な闘いは、黒薔薇男爵の執事の老神崎がいそいそと用意した蓄音機が奏でるドボルザークの『新世界』を合図にして始まったのである。
「くらいませ、白百合乱舞」
レイピアを抜いた白百合女侯爵が、レイピアを上に捧げて左右に振る。すると何故かどこからともなく現れた白百合の嵐がそこらじゅうを席巻しだした。乱れ飛ぶ白百合。それは見事な光景だった。
「なんの、黒薔薇魔方陣」
これまた、いったいどのような仕組みになっているのか解らないが、黒薔薇男爵が呪文らしきものを唱えると黒薔薇男爵の足元の床に青白い光りで魔方陣らしき物が描かれたと思うと、黒薔薇が部屋中に乱れ飛んだ。こちらも、同じく豪華スペクタルな光景である。
しかし、やはり迷惑なことこの上ない。
書斎の中は白百合と黒薔薇の嵐。元々、乱雑だった書斎が、輪を掛けて乱雑に成り果てていた。性悪執事がこの光景を見たらと思うと考えるだに恐ろしい。
「人知を越えた闘いだな、ありゃ」
篁が黒薔薇男爵と白百合女侯爵の死闘を見ながら、妙に感心したように言った。確かに、ここまでなると感心するしかないかもしれない。手も足も出ないとはこういう状況を言うのだろう。
「外見は、ダンディなおじ様なのにあんなに奇人変人で残念ですよね」
諦めたような顔の篁と紗雨。二人は、いち早くソファの下に避難してこの光景を高みの見物と決め込んでいた。因みに、神田川くんはは先程かた壁に向かって正座をして何やらぶつぶつ呟いていた。彼はすっかり壊れてしまったらしい。
「あっちだって、外見は貴婦人だぜ」
篁はレイピアを振り回している白百合女侯爵を指さす。白百合女侯爵の周りでは何故か、禿の少女達が扇を持って踊っていた。よく解らない世界である。篁と紗雨は顔を合わせて、何となくため息をつく。
「お姉様方、そもそもこの物語で外見と中身が一致しいてるヒトは少ないですよ」
その言葉に、紗雨が妙に納得したような顔をする。篁も同じく腕組みをして得心がいったように頷く。しかし、何かおかしくないかい?漸く、少々立ち直った神田川は、ふと当たり前のように会話に紛れ込んでいる人物がいることに気がつく。そして神田川は、恐る恐るその名前をロにした。
「玲君。いつから、いるんだ」
「さっきから、気がつきませんでしたか?」
容姿端麗性格破綻の黒服の探偵は楽しそうににこにこと笑ってソファに足を組んで優雅に座っていた。この光景を楽しんでいるのだろう。それにしても、この惨状をものとも思わず楽しめるとはどんな精神構造をしているのだろうか。さすが他人から性格破綻者と言われるだけはある。玲の手は茉莉花茶が入った茶碗を持っていた。
「そう言われれば、先程から会話の間に言葉使いが違うヒトが混じっていましたね」
なるほどと紗雨が手を打つ。しかし、だからと言って状況は変わりそうもなかった。その時、今度書斎の奥の罪が開いた。随分と、来客の多い日である。室内に血相を変えて飛び込んできたのは日女由貴也。巽の甥にあたるような人物である。見た目は二人とも同じくらいの年に見えるのが本当に甥のような人物なのである。いや飛び込んできたのは由貴也だけではなかった。由貴也を追いかけるように大音響を轟かせながら現れたのは笑う大岩。どうやら由貴也はこの大岩に追いかけられて、ここに逃げ込んだらしい。それにしても、どのような手段を使ったらここに逃げ込めたのだろうか。そもそも、由貴也はどこから来たのだろうか。そして、何しにきたのだろうか。謎である。
作品名:ぐらん・ぎにょーる 作家名:ツカノアラシ@万恒河沙