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ツカノアラシ@万恒河沙
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ぐらん・ぎにょーる

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玲は、紗雨の様子がおかしいことに気づき、優しげな口調で声をかける。玲は一部の人間を除いて自分よりも年上の相手に対しては『お姉さま』、『お兄さま』と呼びかける。どうやら、巽からそう躾られたらしい。因みに実の姉や兄に対しては『姉さん』、『兄さん』と呼びかけるので、玲の中では一応色々と区別があるらしい。
玲の呼びかけで、皆の視線が紗雨に集まる。紗雨は、どきまぎしたように頬を染めて顔を赤くした。そして、彼女は物凄く申し訳なげに□を開いた。
「あのー、少しよろしいですか?あたし思うんですけど。先程から流れている音楽は、なんなのでしょうか」
紗雨は唇の右横に人差し指を当てて不思議そうに小首を傾げた。なかなか可愛い仕種である。清廉潔白探偵事務所の心のオアシスとうたわれるだけのことはある。それにしても、なぜゆえ清廉潔白探偵事務所の所員は女性の比率の方が高いのだろうか。そんなことはどうでも良いが、確かに紗雨の言う通り、どこからともなく音楽が流れてきている。その上、だんだんその音が近づいてきているのだった。
「エルガーの『威風堂々』ではありませんか」
のほほんとした春の陽だまりのような巽の声。まるで優雅に世間話でもしているような調子だった。どうやら、この人だけ何処かの別世界にいるらしい。
「巽、紗雨お姉さまはそんなことが聞きたかったんじゃないとおもうけど」
玲が執事に横目で軽く睨みながら苦笑いを向けた、その時だった。突然、窓から小型の戦車が飛び込んできた。目を疑い、呆然唖然とする光景。慌てて戦車を避ける五人。戦車は窓際の玲の机を破壊しながら書斎の中央まで進んでくるとそこで止まったのである。なかなか見事な運転の技術であった。
戦車の天蓋が開くと、無口な黒薔薇男爵の執事の老神埼が降りてきて床に赤い絨毯を敷いたのであった。その皺が刻まれた顔は、澄ましたような無表情。巽と違う意味で完璧な執事ぶりだった。続いて、どこかの吸血鬼紳士のような夜会服に身を包んだ痩せ型で長身の男が優雅な動作で現れる。この人物こそ、話題の『三時のおやつを誘拐』に来た黒薔薇男爵その人だった。黒薔薇男爵は偉く気取りまくった物腰で、絨毯の上に降り立った。劇ががった態度でマントをはためかせながらくるりとお辞儀をした。
「御機嫌よう、諸君。驚いたかね」
黒薔薇男爵の声が部屋中に響く。窓どころか壁ごと開けられた穴から入ってくる風に黒薔薇男爵の黒い光沢のあるマントがはためく。マントの裏地の赤が目に染みるほどであった。『威風堂々』は止められ、今度はラヴァルの『ツィガーヌ』の演奏が始まった。いつの間にか穴からは正装した演奏家達がずらっと並んでいた。どうやら、演出効果のために黒薔薇男爵に連れて来られたらしい。良くぞこの書斎の中に全員入れたものである。
「ここは五階ですよ。どうやって飛びこめたんですか」
玲の珍しく常識的な質問。口元を扇で隠して、目だけで笑っている。なにはともあれ、結構楽しんでいるらしい。篁が一応、元窓の残骸から外を覗くが、どう考えても戦車が突然豪快に窓から飛び込めるような仕掛けはなかった。この質問に対して、黒薔薇男爵は厳かに頷いて答えた。
「私の辞書には不可能と言う文字はないのだ」
黒薔薇男爵は黒い辞書をどこからどもなく取り出してページを開いて差し出し、胸の所に左手を当てたポーズを作る。ちなみに、辞書の『不可能』の欄が黒く塗りつぶされていた。いいんだ、それで。ここはせめて自分仕様の辞書を作って欲しいものである。それにしても、あくまで非常に気取ってはいるがどことなくおかしいような気がしないでもない。どうやら黒薔薇男爵は冗談ではなく、本気で言っているらしい。彼の目は真剣そのものであった。真剣すぎて怖いくらいである。
「……どこぞのナポレオンかい、おまいは」
と、呆れたような口調の篁。因みに状況について行けない神田川はすでに目を点にして、いますぐにでも石化状態に突入しそうだった。本当に、学習能力のない輩である。これでいいのか、神田川。もう少し慣れても良い筈である。
「お姉さま、何を仰っているんですか。さすがに、ナポレオンでも戦車で五階の窓から突っ込めないと思いますけど」
玲が澄ました顔で冷静に言う。目を猫のように半眼にし、黒薔薇男爵を呆れたように眺めている。さすがの玲も黒薔薇男爵の行動に呆れたらしい。しかし、何か感じ方が違うような気がするのは気のせいだろうか。
「東洋の神秘と謎に決まっておろうが。そんな細かいことを気にしているとロクな大人にはなれんぞ」
黒薔薇男爵は偉そうな態度を崩さすに、よく解らない事を言って誤魔化した。煙に巻いたと言いたいところだが、ただ単に誤魔化したつもりになっていた。見事な自己完結である。
「……黒薔薇男爵の言うマトモな大人っていったいどんなヤツだろうな」
玲は隣に控えている巽に黒薔薇男爵に聞こえないように小声で尋ねる。少なくとも黒薔薇男爵が普通のマトモな大人とは思えない。思えるものではない。いったい彼の基準はどうなっているのだろうか。一度、詳しく聞いてみたいものである。巽は軽く肩を煉めると、やはり小声で返事をした。
「少なくとも、一般的に言うマトモな方ではないと存じますけど」
ついでに言わせて貰えば、巽も一般的に言うマトモな大人ではない。だいたい、この話に一人でも一般的にマトモな大人が出ているだろうか。いや、一人も出ていない。恐らく、たぶん。
「おいおい。何、そこで悠長に会話しているんだよ」
篁の呆れたような科白に、一瞬だけ巽は篁の方を見た。にこやかなのに、微妙によそよそしい視線。その視線を受けて篁はしまったと言いたげな顔になった。軽く舌を出してあらぬ方向を見る。逃げれるものなら、いますぐ逃げたいようなそぶりを見せる。しかし巽は篁の様子をあからさまに無視して玲の方に向き直ると、こう言ったのである。
「そうですね。お茶が目茶苦茶になってしまったので、滝れ直して参ります。何かよろしいてございましょうか、玲様」
「茉莉花茶が良いかな」
[畏まりました]
玲は少し考えてから巽を見上げながら答える、それに対して巽はにっこりと優しく笑って慇懃なお辞儀をした。それはそれは、現在の状況を抜きにすれは長閑で平和で心温まるような会話そのものだった。一体全体、何を考えているんだろうか、この主従は。
「……だからさ、そんな悠長な場合じゃないって言っているんだけどな〜」
間抜けな主従の会話に、篁は再び苦笑する。苦笑するしか術はなかった。巽は軽く篁を一瞥すると、何も言わずに玲の注文の茉莉花茶を用意するために、書斎から退場してしまう。一方、執事に一瞥された篁と言うと、苦笑を浮かべた顔を凍りつかせた。どうやら、巽の一瞥は篁にとっては、とても怖かったらしい。一度で止めておけば良かったものの。これぞまさしく、雉も鳴かずば打たれまいと言ったところだろう。本当に口は災いのもとである。
「それで、何をしに来たんですか」