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ツカノアラシ@万恒河沙
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ぐらん・ぎにょーる

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黒薔薇男爵の逆襲




日曜日のうららかな昼下がり。毎度お馴染み清廉潔白探偵事務所の奥にある玲個人の書斎。怪奇猟奇事件専門の事務所はいつもの通り閑古鳥が嗚いていた。ただし、閑古鳥が鳴いていたとしても余り困った様子でないので良しとする。そして、これまたいつもの通り黒い和服の玲は怪しげな題名の本の読書にいそしみ、灰のパンツスーツに黒いシャツ、そして白いネクタイと言うマニッシュな恰好の探偵事務所の調査員の鬼堂篁はソファの上ですっかりだれきって、執事の巽が三時のお茶の用意をしている場面からお話は始まる。
ばたん、ばたん。書斎の扉がこれでもかと勢い良く開かれる騒々しい音。そして、ぱたぱたと階段を降りる足音が続き、のどかな光景を台無しにする。どうやら、何か大変な事が発生したらしい。
「ご、御前っ。た、大変ですっっ。予告状が参りました」
黒いワンピースに白いエプロン、そして白いヘッドドレスの古風で典型的な女中姿の鮎川紗雨が慌てふためいて書斎の螺旋階段を降りてくる。彼女の手には、黒い薔薇の紋章が刷られた白い封筒が一通。肩で息をしながら紗雨が玲に手渡した封筒には、ご丁寧なことに表書きに『予告状』と書かれている。どうやら、ずいぷんと単刀直入な物言いの人物が差出人らしい。この突然の始まりに室内の登場人物たちに厭な予感を抱かせたのだった。そう、良く考えてほしい。どこの世の中に、何も前触れの事件がおこっていないのにも関わらず、探偵に予告状を送りつけてくる犯罪者がいるだろうか。通常ならば、予告伏を送りつけられた流行の衣装で装った美しい被害者(女性であることが望ましい)が怯えながら探偵事務所に訪れるトコロなのである。そして、探偵に送られてくる手紙は怪人からの『挑戦状』と相場が決まっているのだ。そうあるべきである。
「どこの誰ですか。そんな手紙を送ってきたのは」
玲は性別不明の綺麓な顔を微かに歪ませた。いや本当は何処の誰が送ってきたのかは想像がついていたが、自分からは言いたくなかった。大概の事は面白がる人物にしては珍しい事もあるものである。よほど相性が合わない相手なのだろうか。
「黒薔薇男爵です」
玲の質問に対する紗雨の答えは簡潔なものだった。それもそのはず、手紙の裏書きにはちゃんと差出人の黒薔薇男爵の名前が明記されていたからである。さて、黒薔薇男爵とはいったい何者か?説明しよう。彼は、気障でナルシストで、その上男色家の犯罪者という絵に描いて花マルを貰ったような怪人物なのである。前に玲に酷い目に合わされた事がある。臥薪嘗胆の狙うとは、ある意味大した人物である。え、何故男色家も絵に描いたような犯罪者に含まれるのか?それは、相場です。相場。怪人と男色家は、かの二十面相がそうであったように切っても切れない仲なのであります。おそらく、たぶん。
「……何を言っているんだか。それで、予告状には何か書いてあるんです」
うんざりした様子を玲は陽そうともしなかった。扇で顔の上半分を隠してため息をついている。他の面々もまた同じようにため息をつく。それも無理はない。いきすぎた怪人なんてシロモノは、はっきり言って人騒がせで迷惑な存在なのである。
どうせならば、セオリー通りの怪人が現れても罰は当たらないとも考えられるが、この話は不条理で出来ているのでそんなことはないのでございます。そんなことは、どこかに置いておいて。玲に言われて、紗雨は予告状の文面を読みはじめたのでありました。
「本日、午後三時に貴殿に逆襲したく参上する所存。つきましては、三時のおやつを用意して待っていて下さるようお願い致します」
紗雨は手紙を読みおわると不思議そうな顔をして可愛らしく首を傾げた。周囲に覆いかぶさる微妙な沈黙。玲はあらぬ方向を見ながら溜息をつき、篁は悪いものでも食べたかのような微妙な表情をしていた。何かが、おかしい。突っ込み所満載の内容の予告状である。だいたい逆襲しに来ようとしている筈なのに、もてなしを要求する予告状なぞ、そうそうお目に掛かれない。
「……まさか、三時のおやつを誘拐するつもりではないでしょうね」
巽が心配げに言う。因みに本日のお三時は、洋梨のタルトであった。玲の執事である巽のお菓子作りの腕は、それは見事なものなのである。その件のタルトも見た目と言い、匂いと言い天下一品ものであった。しかし、どんなに美味しいお菓子であっても、さすがに誘拐まではしないと思うが如何。
「あのな、巽ちゃん。なんで、黒薔薇男爵が三時のおやつを誘拐せにゃならんのだ」
篁の呆れたような声。篁はソファの上から起き上がると猫のように大きくのびをした。やはり、清廉潔白探偵事務所にて、まともな人物の部類に入る篁の意見は冷静そのものである。まぁ、普通は篁のように考えるのが当然だろう。
そこへ、警視庁猟奇課警部神田川一生が地味に登場。またしても、いつもの通り三時のおやつ目当ての登場であった。それにしても、一応警部さんとあろうものが、こう頻繁に民間人の家に現れて良いものなのであろうか。よほど神田川の所属する猟奇課はヒマなのだろう。
「うるさいな。これがご都合主義ってものだよ。そういえば、黒薔薇男爵から予告状が来たんだって」
「……なんでそのことをご存じなんてすか、警部さん。さては、警部さん。実はあなたが黒薔薇男爵だったんですね」
玲は手に持っている紅い曼珠沙華が描かれた黒地の扇で、神田川を指し示す。やはり、探偵ものにはこういうシーンがつきものだろう。一回くらいはあっても良い。ただ、困ったことに、今の状況はかなり変なのは確かである。
「ま、待てっ。だから、ご都合主義だって言っただろ。ほれ、俺はこれを読んでいたから解ったんだってば」
神田川は慌てて持っていた冊子を珍に差し出した。珍はその冊子を受け取ると、手早くページを捲る。そして、その顔に理解の表情が浮かんできた。
「なるほど。『黒薔薇男爵の逆襲』の原稿ですか。くだらない。いったい作者は何を考えているんだか」
玲はそう言うなり、その冊子を燃やした。冊子は、あっという間に灰に成り果てる。因みに神田川はいったい冊子を燃やした炎がどこから現れたのかついぞ解らなかった。全ては、東洋の神秘がなせる技だった。しかしながら、冊子を燃やした所位では話はどんどん進んでいくのである。
「何のことだ?君らしくもない」
神田川は小首を傾げて不思議そうに肩を諌めさせた。しかし、単純構造をしている神田川のことである、すぐに思い直したようにこう言った。
「そんなことよりも、黒薔薇男爵のやつめ、三時のおやつを誘拐しようとするなんてなんて凶悪なんだ」
神田川は握り拳をこれでもかと強く握りしめ、あらぬ方向に視線を向けたのであった。どうやら、科白の内容は本気らしい。確かに、神田川はひとも驚く甘党ではあるが、さすがにその科白は何か遠うだろう。清廉潔白探偵事務所の人間から見れば神田川は常識人ではあるが、傍から見れば彼も十分ヘンである。
「おいおい」
篁が右手で顔を半分隠し、左手を上下に振る。唇に浮かぶは苦笑。どうやら、今回この中でマトモな思考をしているのは、篁と紗雨だけらしい。本当に、困ったものである。
「どうかしましたか、紗雨お姉さま」