スタートライン (1)
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それから数週間後のある日。日曜日の出来事。
仕事で些細な事を連続してミスしてしまった。
たまたま機嫌が悪かったのか、店長からこっぴどく怒られたが、リーダーとはいえ「バイトだから」という一歩引いたスタンスで仕事をしていたので、責任は感じつつも、それほど気にはしてなかった。軽く聞き流していた。いや、あまりに疲労に、もうこれ以上なにも詰め込むことができなかったのだ。
しかし、
「君に任せるんじゃなかった」と言われた時に、「何か」が切れた。今思うと、緊張の糸だったのかもしれない。
現場管理者である店長が責任を持ってやらなければならない大事な仕事を、働き始めて一年たらずのアルバイトに押しつけ、自分は定時で帰り、週休二日を手にした「ズル」だというのに。しかも、指名したのはアナタだ。それなのに「任せるんじゃなかった」などというセリフを口にするとは。
なんだか、がむしゃらに仕事をし、悩みを抱えていた自分が馬鹿らしくなった。怒る気にもなれなかった。言い返す気力もなれず、一応はすみませんと謝ると、店長は続けて私を罵倒し続けた。彼の気が済むまで言い分には相槌を打った。そして、話を終えた頃を見計らって、うなだれていた頭を起こす。すぅーっと、深呼吸を一つ入れた。
肩の力が抜ける。呼吸の流れをそのままに、自然と口から気持ちを吐き出す。
「わかりました、責任を取って辞めます」
無感情でいて力強い言葉を放つ。例えがわかりにくいが、そんな表現が合っていた。
「お世話になりました」
続けて、深々とお辞儀をした。店長が次のセリフを吐く前に、私は背を向けて歩き出した。
「え? ちょ、ちょっと! 沢渡君!」
予想だにしていなかったのか、それとも高卒したての小娘を罵倒している自分に酔っていたのか。先程までの強気からうってかわって弱気な語調だ。追いかけてはこなかったが、裏口の扉に手をかけたときに私に放たれた言葉は「君に辞められたら困るんだよ」であった。
「ばっかじゃないの」
吐きすてるようにつぶやいた。扉をわざと音が鳴るように強く閉めた。
一瞬の出来事、一年間の積み重ねが一瞬で終わった。
悩みに悩んでいた事からの脱却。溜まった疲労感の解放。そして今あるのは、自由への渇望。
「なんーだ、簡単なことだったじゃないか」
閉めた鉄の扉にもたれ掛かる。背中がひんやりとした。深呼吸をする。
通路を冷たい風が通り抜けていった。
私は、振り返らずに走り出した。
作品名:スタートライン (1) 作家名:山下泰文