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くらたななうみ
くらたななうみ
novelistID. 18113
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暗転、そして、

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 避けようとしたが間に合わない。私の肩と顔が巨体に追突し、衝撃による風圧の所為で一瞬息が止まる。叩き落とされるような形で、私の身体は頭を下にして滑落した。
「少しずつ速くなればいい、アキ。今の飛び方はすごく良かった、繊細で、丁寧で。しかも音速に限りなく近かった」
 耳元でナナシノモノモノが言った。私の頭上、いや真下では、ネオンの虹がぐるぐると旋回している。
「ゆっくり体勢を上向きに、立て直しましょう」
 言われたとおり、私は不恰好にも腕を数回ばたつかせ、垂直落下から復帰する。
「真っ直ぐ、滑らかに」
 私はナナシノモノの指示を頭の中で復唱する。
「秒速三〇〇メートル――」
 上空のスター・オブ・スカーレットに向き直り、空気を蹴ったとき、ナナシノモノが告げる。
「三一〇、三二〇、三三〇……」
 速度を上げるほど、背中が妙に熱い。羽根はないものの、ナナシノモノが生来持つ純白のガラスのような羽毛が、私にも力をちゃんと貸してくれている。そんな気分だ。
「……三三七、三三八、三三九、三四〇――――音速を超えた」
 パァンという破裂音がして、目の前の空気が割れ、光の残影が散る。
 音より早い私の前に、無音の世界が広がって、宇宙空間に飛び出したみたいだった。
「スター・オブ・スカーレット!」
 私は呼んだ。遠い目標に定めていたスター・オブ・スカーレットはぐんと近くまで迫っていて、呼びかけに応じるように少し瞬いた。
「何か、くる」
 スター・オブ・スカーレットの軌道の向こうに、動くものが見えた。まだ遥か遠くだったが、凄まじい速度で接近しているのは分かる。スカイフィッシュではなかった。透明度はスカイフィッシュと比べて遥かに見劣りする、透明色には程遠い、茶色にくすんだ翼が見える。
 「やはり今年も現われた」と、ナナシノモノモノはまるでその正体が分かっているかのような口ぶりだった。私はその言葉の意味を考える一瞬、超高速で飛行しながらも張り巡らせていた注意を、一瞬だけ削いでしまった。
「アキ!」
 ナナシノモノモノが叫ぶ。私はあっと悲鳴をあげた。
 自分自身の速度にさえ目の眩んでいる私の前に、リリーは既に周り込んでいた。そして、スター・オブ・スカーレットを含む自分たちはとうに取り囲まれ、挙動の一つ一つを読み尽くされている。
「何をさ、変えるって?」
 リリーは嘲笑っていた。










第三章 空を飛ぶ猫はマジョリティに甘んずる



 あれは鳥だ、スカイフィッシュではない。
 そう確信した私のすぐ脇を、リリーはすり抜けていった。白と透明の群の中で、茶色い翼の彼はひどく浮いた存在だった。幻想の中に迷い込んだ、現実世界の片鱗だ。
 羽根は茶色と白のマーブル、透きとおったスカイフィッシュのそれとは比較にならないほどの現実感だ。ただ、美しくないかと言えばそうではない。茶色は芽生えたばかりの若木がもつ、初々しくも柔らかい色であったし、白はたった今降り積もったばかりの細雪のように、清く鮮やかだった。
 ハヤブサの一種らしく、長いくちばしと鋭い爪が光っていたが、それにしても少々小柄である。成鳥ではない。

『音速をちょっと超えたくらいで、浮かれるからだ』

 初対面でそのハヤブサは、名乗るより先に、私に苦言を寄越した。良く解釈して、アドバイスとでもいったところだろうか。

『おまえ、人間にとりついてやがるのか。スカイフィッシュのくせに』

 今度はナナシノモノに言った。嘲るようだった。
 そのときハヤブサは、スカーレットに到達し、もつれ合うように一緒に落下しはじめていたが、”何故か”などと訊ねる時間は与えられなかった。私たちは戦場で出会ってしまったのだ。そうなってしまったからには、向かい合わせで戦うか、背中合わせで守り合うかしかない。
 私たちは示し合わせるまでもなく後者を選択し――今に至っている。
「ハヤブサくん――きみは何者なの」
 唐突に始まった空の戦いは今は終着し、私たちは静かな森の中に逃げ込んでいた。今になってやっと、落ち着いて話すゆとりが与えられたので、私は口を開く。
 完璧なまでのスカイフィッシュの包囲網、あの場所から抜け出せたのはまさに、奇跡に近い。
 何者なのだ、と質問を繰り出した私に、少年のようなハスキーボイスで「ヴェルグ」と彼は名乗った。それは暗に、「ハヤブサ」ではなく名前で呼んでくれ、という促しなのだろう。ただ、リリーの「猫じゃない」と大きく違うのは、そう言われても彼が全く逆上しなかったことだ。
「おまえ、なんで、スカーレットを攻撃しない。俺を手伝ったって、何も得をしやしねえぞ」
 ぐったりとしているが覇気を失わない、少年の声が、私に訊ねる。
 質問を質問で返されてしまった。負けじと私も、更なる質問をうわのせする。
「これはきみの卵なの」
 あまりにも不躾だが、こちらも訊きたいことが山のようにあった。
 スカーレットはスカイフィッシュの卵だ。しかしヴェルグは、どうひいき目に見ても普通の鳥類、透明ではない平凡な翼に、らんとした丸い瞳。
 なのに、スカーレットを討ち滅ぼさんとするスカイフィッシュの包囲網の真っ只中、彼はリリーに攻撃されるまで一瞬たりとも卵を手放さなかった。
「違う」
 私の懐にしがみ付きながら、ヴェルグは首を振る。いくらしっかり掴めと要求しても、体長の割りに大きめの黒い爪は、私の身体を最小限にしか締め付けなかった。それが私の皮膚を傷付けないように、細心の注意を払っている為だということは、すぐに分かった。
「でも――こいつを俺が護っている理由は、おまえらには言わないぜ」
 小さいハヤブサは鼻を鳴らして言った。その物言いは、どこかリリーを思わせるところもある。
「私だって、訊いてないことまでペラペラ答えてもらえるほど、心を許されたなんて思ってないよ」
 現に包囲網の中、少しばかりの策と援護を与えたに過ぎない。私は無傷だが、ヴェルグは右翼に深手を負い、血が身体中の羽毛にこびり付いている。
「しかし、ヴェルグ――リリーに、『ハーフ・フィッシュ』は禁句でした」
 ナナシノモノが諭すように言った。私はただ、「黒い羽根を持ったネコ」だとしか認識しなかったが、ヴェルグはリリーを一目見て、『ハーフ・フィッシュ』であると分かったらしい。
「その単語の、使い方もまずかったんです――ヴェルグ」
 空中戦の顛末は、ずるい趣向を凝らしたうえでの不様な敗走劇だった。追うは猫と群、逃げるは私、ナナシノモノ、鳥と卵。
 その終焉は激昂したリリーの怒号によって括られたのだ。



 ◇◇◇



 あの時、リリーはどうしてああも激昂したのか。
 私はそれが解せなかった。

『殺すよ!』

 完璧なまでのスカイフィッシュの包囲網、抜け出せたのは奇跡に近い。私はあの瞬間リリーに、速さを競うまでもなく、いとも簡単に追い抜かれてしまった。俗に言うボロ負けというやつだ。
 それどころか彼女は必死で速度を上げている私の前方に躍り出、「遅い」と言いながらの嘲笑までくれた。風圧で呼吸もままならない私の前で、リリーはステップを踏んだ。とても軽やかでいて、まるで止まっているようにさえ見えたのだ。
作品名:暗転、そして、 作家名:くらたななうみ