暗転、そして、
「答えになっていない。それにそれは、きみの意見じゃないじゃない、嘘つき」
辺りを見渡すと、リリーと同じ透明色の羽根を持った生き物が、スター・オブ・スカーレットを取り囲むようにわらわらと集まってきていた。全身がなまじ半透明なので、これだけの数が集うまで気が付かなかった。
私はこの瞬間まで、想像していた。
想像上の生き物であるスカイフィッシュが実在し、本人の言い分によれば、我々人間の定義とは随分食い違う生態である。だから私は想像したのだ。空中を我が物顔で飛び回る、無垢な、天使のような生物を。
容姿は想像からかけ離れてはいなかった。哺乳動物のような小さな体躯に相応の翼をはためかせ、短い手足と長い尻尾でバランスを取っている。一貫して全員が白色だが、瞳の色だけは赤や緑と様々で、皮肉にも宝石のように美しい。
しかし彼らが今その姿をさらしているのは、ひとつの命を葬るためなのだ。
こんな形でスカイフィッシュの姿を目にしたくはなかった。
「ならアキは、どうして、『いもうと』を殺そうとしたんですか」
中心部には悪意が、中層には野次馬が、外縁には傍観者たちが、赤い光を中心にして渦を巻く。人間の習性となんら変わらない。
オーバーラップするように、追想の中の私の嫌いな私が、雪子に冷たい憎しみを渦巻かせている。
「どうしてって」
「言いたくないならそれもいい――殺す理由なんて、本当は明確な言葉にしたくない。アキは訊かれるのが嫌で、答えない。だから、僕らも答えない。嘘だって何だって吐きます」
スター・オブ・スカーレットは、砲火に捕捉される寸前、僅かに軌道を変えた。
目標を失った攻撃は互いに絡み合い、連続的な爆発音と、濁った煙を吐き出しながら弾けていく。爆風に巻き込まれ、吹き飛ばされて旋回しながら、赤の凝集体であるスター・オブ・スカーレットは再び地上へ向かっていた。第一撃は回避された。
時間差で到達したリリーが、数メートルまでそれを追い詰めたが、やはり到達する直前、軌道はぐいと外れる。流星とは思えない、不自然な動きだ。
ヴァイオリンの琴線に似た、幾重にも並行して空をはしった第二撃は、星光のヴェールをひっかき、地上へ向かうスター・オブ・スカーレットの軌跡をそのまま追走する。
彗星のダストトレイルのようだった。何も知らなければ、赤い星に追従する白く渦巻く光のテイルを、美しいと感じたに違いないのに。
「時間の問題です、撃ち落されるのも――今年も、スター・オブ・スカーレットは美しかった」
ナナシノモノモノの言葉が過去形で括られていることに、私は少し腹が立ち、少し悲しくなった。「消さないで」、と私は小さく言ったが、言っただけで動くことはできなかった。
「ナナシノモノモノ、きみは、どうして見ているの」
スター・オブ・スカーレットを追尾する第二撃が、じりじりと距離を狭めていく。十メートル――四メートル、三メートル、二メートル。
一メートルに迫った時、また軌道が大きく反れた。
「綺麗だからです」
「違うわ、どうしてただ見ているだけなの」
ボールを上空に投げ上げるのと逆の動きをして――つまり、下向きの放物線を描いて――スター・オブ・スカーレットは鋭角に地上へ向かっていた軌跡を、ぐんと再び上向きに回帰させた。ダストトレイルのように追尾していた第二撃は、突然の軌道変更についていけず、それぞれがばらばらの動きをしてから消滅するか弾けていった。
しかし場が静穏を取り戻すより早く、第三撃の軌道が夜空を走る。今度はただの砲火などではなく、スカイフィッシュ本体の羽根が夜空を掻っ切っていた。優雅に飛ぶだけなら美しいはずなのに、神々しい光を放つ純白のスカイフィッシュたちを、私は醜いと思った。
上方に軌道修正したスター・オブ・スカーレットは、地上と平行に、蛇行しながら逃げ惑っている。皆がそれを撃ち落とそうとしていて、周りの全てが敵なのだ。
「変異亜種がなに」
卵というからには生まれたばかり、いや、むしろ生まれる前と言っていい。生まれる前から多くに疎まれているなんて、B級愛憎ドラマのようだ。愛人の子供じゃあるまいし、と、皮肉な笑いが込み上げてくる。世界にひとりぼっちのように見えて、悲しくなった。
「スカイフィッシュがどうして、スカイフィッシュを殺すのよ」
そう訊いてから、じゃあ、人はどうして人を殺すんだ、と責め苦のような自問が湧き上がってきた。そしてすぐさまそれは酷い嫌悪感に変わっていく。
目の前で同士討ちをしているスカイフィッシュに対する、ではない。自分への吐きそうなほどの嫌悪感だった。
「ナナシノモノモノ」
つぶやくように、名を呼んだ。
「きみの魂は『月の酩酊』までの間、私にあけわたされた。そうだよね」
「はい」
ナナシノモノモノは、静かに頷いた。今からする提案は、タイムリミット後のナナシノモノモノの、スカイフィッシュとしての地位を揺るがしかねないものだった。彼が同意を示したことによって、胸を撫で下ろすと共に、罪悪感が胸中を巡る。
「きみは私に、何かを期待した。だから闇から拾ったのだと、虚無の暗黒から一時的にも救いだしたのだと、私は思うことにする――だから私には、きみがどれだけ嘘をつこうと、拒もうとも、その期待に報いる義務がある」
身体の内側で、ナナシノモノモノが純白の翼を広げたように思えた。ガラス細工のように半透明で美しいのに、シルクのように滑らかな両翼だ。
そして自分は今、華麗なる空の眷族であり、人間であるがスカイフィッシュでもある稀有な存在である。そう想像した。目も眩む速度で空を駆ける、そんなイメージを湧き立たせる。
「変えるから」
口に出すと同時に、私は空気を蹴っていた。
「ちょっとナナシノモノ!」
リリーが間近で、私の中の彼を呼んだ。
答える間もなく私はリリーの傍らを通過した。星の光も月明かりも、風景の全てが激しくぶれる。私は空を駆けている。あまりの速さに自覚は遅れてやってくる。
「――何をするつもり! ナナシノモノ!」
間近にいたその声が、今度は遥か後方から微かに聞こえた。私は呆気にとられているリリーの脇をすり抜けたのだ。ただ、音波に追いつかれてしまうということは、スカイフィッシュの基準速度おろか、音速にさえ達していないことになる。
「うまく飛べない――」
私は漏らした。目を必死に見開いて、スター・オブ・スカーレットを追走するスカイフィッシュの群衆を縫うように、細やかに飛んだ。舵がゆらゆらして定まらず、何度もぶつかりそうになる。
「うまく飛べない、ナナシノモノモノ! 私には羽根がないからなの――!?」
羽根が無くては飛べない、というナナシノモノモノの言葉を思い出す。顔の両側を猛スピードですり抜ける夜の空気を、奥歯でぎゅっと噛みしめた。
「生まれたばかりの雛が、空を自由に飛べないのは当たり前です」
「でも、羽根が無い!」
「羽根なら僕が持っている」
「でも!」
突然目の前に巨大なスカイフィッシュが立ち塞がった。ナナシノモノモノとの会話に気を取られ、距離を測り損ねていたのだ。