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くらたななうみ
くらたななうみ
novelistID. 18113
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暗転、そして、

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 今リリーが吐き出した言葉と、かつての私の想いが突然蘇り、ぴったりと重なる。
「私は」
 音の無い世界では、色が酷く鮮やかだった。
 リリーの攻撃曲線の向こうに、放射状に赤い飛沫が散り、ヴェルグは電波塔の上空でくるくると墜落していった。放り出されたスカーレットは闇の間質を漂い、明暗を緩慢にコントラストさせる。
「それでも、私は、この子を」
 リリーがぐんと、こちらへ方向転換する。
 重い闇に手を伸ばした。瞳が熱い。
 生まれてもいないスカーレットが、不意に私に微笑んだような気がした。伸ばした手がまるで、優しく受け入れられるかのように、赤い光が私の腕に収まり。
 そして――。
 骨が砕ける音が、身体の内側から、連続的に鼓膜へ上がってきた。
 鈍い衝撃が貫いたのは、音の後だった。衝撃の後には身体の芯を揺るがすような酷い激痛が走り、息ができなくなった。
 音の死んだ世界に、黒い羽根が散る。
 物言わぬ金の双眸が、やはり悲しそうに見開かれていた。
 もうすぐ月が頂点にやってくる、と、ぼんやり思った。宙に飛散した羽根は、豊満な月の煌々とする輝きさえを侵した。
「ああ、分かった」
 私はつぶやいた。
「――分かったわ」
 つぶやきながら、ネコでもなく、スカイフィッシュでもない、孤独な生き物に手を伸ばす。
 金の瞳は見開かれたままで、逃れようとはしなかった。
 私は優しく毛並みに手を触れると、その首から白のリボンを引き解く。放り出された純白のイミテーションは、すぐに闇に融けて消え失せた。



 ◇◇◇



『ねえたん』

 一点の曇りもなく、初対面の私に差し向けられる笑みに、違和感を覚えたのが最初の歪みだった。それは本当に、とても僅かなものだったから、私は簡単に見逃してしまった。
 ある時期から私は、雪子という幼女の「あね」になり、雪子は私の「いもうと」に納まった。義理の相関関係にある兄弟姉妹なんて、この日本では結構ありふれている。

『ねえた』

 女性に促されるままに、小さな彼女は、初対面に近い私のことをそう呼んだのだ。
 「ほら、おねえちゃんだよ。ゆきちゃんにはおねえちゃんができたんだよ」と女性が言い、彼女の小さな手の平をきゅうと握る。あやされて、雪子は無意識に笑んでいた。私は私で意識的な愛想笑いを浮かべ、違和感の正体を探る。分からなかったが。
 嫌いだったわけではない。雪子は私のことはもちろん、目の前に現れるもの全てを平等に愛していたし、おそらく世界も彼女を愛していたに違いない。差し出される手の平はとても小さいのに、この世の素敵なもの全てを掌握せしめるほど、偉大な力を持っているように思えた。
 ただ一つ。
 『雪子』と呼ぶ、自分の声色と笑顔が、酷くぎこちない気がして、私は嫌だった。それが幾ら回数を重ねても、改善の兆しが見られなかったので、私はいよいよ嫌になっていった。
 歳の離れた実弟である孝平は、「いもうと」の突然の出現と、その存在を抵抗なく受け入れていたようだった。
 雪子を連れてきた女性は、誠実に愛情を注いでくれた。それは表向き、実子である雪子と分け隔てのないものだった。内心は知らない。たとえ違っていたとしても、それを追及するべきではないと分かっていたし、それで十分だとも思った。

『雪子が兄ちゃんって呼んでくれない』

 あるとき、孝平が言った。なるほど、孝平は何故か『こーたん』と、続柄ではなく名前をもじった呼び名が付いていたのだ。
 雪子が深慮なく私を姉と認識していたことと、私が雪子を純粋に妹とは思えないギャップは、早期から私を苦しめていた。ただでさえ脅かされていたのに、孝平のその一言は、そのギャップを更に際立たせた。
 明るみが嫌で、暗いところにうずくまって隠れているのに、急に腕をぐいと掴まれ、白日の下に放り出されるような思いがした。
 そして言った。

『いいじゃない、名前を呼び合うのは、親しみの表われなのよ』

 私は誤魔化した。

『しょ、たん』

 翔が五歳に上がった頃から母性に目覚めてしまった翔は、雪子にべったりになった。母音の「う」を巧く発音できない雪子に、『ショウタン』『ショウタンだよ』と、自分の名前を繰り返し連呼するさまは、まるでオウムへの言語教育のようだ、と親戚中の噂になった。
 私は一人、浮いていた。
 周りはそう思わなかっただろう。
 それでも私は酷い孤独感を感じていた。それが日に日に増長していくことで、絶えず恐怖にも苛まれたのだ。

『ねえ、翔、雪子がすき?』

 恐怖は、私の神経を侵していた。
 折鶴を折る手が止まり、『うん!』と小気味良い返事が返る。

『雪子は、翔の本当の妹じゃないよ』

 彼の顔が、一瞬強張るのを眼下におさめる。

『だからさ、本当にすきなら、結婚だってできるんだよ』

 義理の兄妹が結婚できるかどうかなんて、私にはどうでも良かった。ただ、無垢な雪子への感情を、根本から汚してやりたかったのだ。
 そうすることで救われる気がしていた。孤独が和らぐと思った、のに、

『雪子は! いもうとだもん!』

 目の前がパッと白くなる。

『護ってやるんだ!』

 反転、今度は真っ暗になる。

『ぼくの、いもうとなんだもん!!』

 眩暈がした。
 地面はどこだ、と、思った。



 ◇◇◇


「私は、『怖かった』」
 ぬるい涙が、仰向けになった私のこめかみへ伝っていって、その痕は、冬の寒さですぐさま冷えて、冷たくなった。
「孤独だと思った。独りになる、と。だから皆を傷つけて、それでもうまくいかなくて、溺れて、もがいて――」
 今までいた上空を、私は見上げた。その遥か上空から、ジャッジマスターである月が、私たちを見詰めていた。森の木々たちも、覆い被さるようにじっと見下ろしてきた。
「”雪子”を取り除けば解決する、と、考えてしまった」
「……アキ」
「きみが聞きたがった――これが答えよ。ナナシノモノ」
 上空にて、スカーレットの確保とほぼ同時に、リリーは私に攻撃した。そして、私は森に墜落した。事実上、戦いは終局したことになる。敗走ではない、本当の終焉を迎えたのだ。
 上空の高みからここまで墜ちはしたが、スカーレットは私の腕の中で、未だ明暗を交互にブリンクさせていた。










第五章 烈風を統べる王者は糸の存在を信じている


「ねえ――ダイヤモンドリリー」
 私が呼ぶと、リリーはぴくりと耳を震わせ、力なく顔を少し上げた。
「リリーと私は、すごく似ていると思う」
「……似てない」
「似てるわ、同じかと思えるくらいに」
 知らないよ、と、リリーはつぶやき、輝きを失った金の瞳をそっと伏せる。
 いつもぴんと張っていた黒い翼は、落下の際に痛めつけたのか、それとも別の理由なのか、土の上にしな垂れている。
 私は身体を起こして、その羽根についた泥を払ってやった。不思議なことに、リリーの攻撃を受けたとき、確かに骨が砕ける音がした。しかし、私の身体には僅かな裂傷しか残っていない。
「リリー、僕は」
「ナナシノモノ、あんたは、何も言わないで。もう、あたしも何も言わない。だから、黙ってて」
作品名:暗転、そして、 作家名:くらたななうみ