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松嶋ネコヂロウ
松嶋ネコヂロウ
novelistID. 18091
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ホロ

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「あんたって、たまにすごいことするわよね」
 ユリは感心と嫌悪が混ざったような顔をした。
 魚を焼くために二人で薪や落ちている雑誌を拾い集めた。近くの河川敷に男性用の成人向け雑誌が大量に落ちていてユリは顔をしかめたが、ホロは何一つ表情変えずかき集めていった。
 ホロのそんな横顔を眺めながらユリはふと思う。そもそも、ホロの表情なんて分からないか。
「ねぇ、ホロ」
 ――ん?
「ホロって、別に何か食べる必要ないよね」
 ――そうだな。おいらは味なんてわからんし。
 ホロという生き物は普通の動物とは根本的に違う。ホロは定期的に太陽の光さえ浴びていれば生き延びていけるという。
 ホロは手に抱えた雑誌を持ち直した。
 ――でもさ、誰かと一緒に飯を食うってのは、楽しいもんじゃねえか。
 ホロは砂利を踏みしめ、神社の方へと歩き出した。ユリは立ち尽くしたまま顔を下げる。
「楽しくなんか、ない」
 ユリの呟きはホロの耳には届かなかった。

 神社の裏で木の枝や薪を一箇所に集め、それを挟むようにホロとユリが地面に尻をつけた。ユリが落ちていたライターで新聞紙に火を点ける。
 辺りはもう真っ暗闇で、新聞紙に灯った微弱な炎がホロの水色の肌を印象的に映している。頭上の麦わら帽に火が移らないか、ユリはそれだけが心配だった。
 ――こうして外で火を焼べると、人間の原点に触れた気になれるだろう。
 ホロは手際よく焚き火を作りながら言う。ユリの持っていた扇子で火だねに風と酸素を送り込むと、乾かせておいた雑誌が小気味よくボボボと音を立てて燃え始めた。火の粉がユリの眼前を舞う。
「あんたは人間じゃなけどね」
 ――おいらだって、もとは人間さ。
「そうだけど」
 自分の発言に若干の気の咎めを感じたユリは、ばつが悪そうに体育座りで口元を膝で隠した。竹籤を口に突っ込まれた七匹の川魚が、虚ろな目で一斉に燠火を浴びている。魚の目は死んでいると言われるが、本当に死んでしまった魚の目というのは黒い絵の具のような無機質な色をしている。空洞のプラスチックでもはめ込まれているようだ。
 人間も死ねばこうなるのだろうか。道徳的意識を抜きにして、魂のない人間は蝉の抜け殻と同義とされてしまうのか。
「ホロは、どうやって死んだの?」
 ユリはホロの顔を見ないようなるべく視線を落とした。
 ――なんも覚えてねぇ。もう死んでから随分経ったからな。
「なんも?」
 ――なぁんもだ。前にどんな生活してたとか、誰と暮らしてたのかとか、自分が何者だったのかとかもだ。ホロなんて、死んで一年もすれば生前の記憶なんて全部すっ飛んじまうからな。
 膝の上で組んだ腕をきゅっと引き絞る。ユリの唇が震えた。
 ――ほんもんの、がらんどうだ。
 川魚の表皮から焦げ臭いが漂ってくる。ほれ、焼けたぞお嬢さん、ホロは竹籤を引っ掴み、ユリに焼き魚を差し出す。彼女は俯いたまま無言でそれを受け取った。
 ――がらんどうも悪くねぇもんだぜ。そもそも心なんてあっても仕方ねぇんだ。本能のままに食い、寝て、息を吸う。むしろおいらはホロになって初めて生を実感した気がするぜ。
「死んで空っぽになるくらいなら、幽霊になっちゃう方がよっぽどいい」
 間髪入れず言葉を挟む。そんなユリに、ホロは呆気にとられたように押し黙った。
「あんたはそれでいいかもしれないわ。でも残された人のことを考えてよ。大切な人が死んで、さらに心も魂もなくなった姿を見てしまったら、残された人たちはどうすればいいの。そんなの虚しすぎるじゃない」
 ――死んだらみんな一緒だ。もし死んだもんに意識があったとしても、生きた人間にそれを伝えるすべはない。ホロだろうがなんだろうが、それは死んだもんにとっての運命だ。
「そういう発言とか行動とか態度とか、そんなの全部があたしたちのことを考えてないって言ってるの。親友や恋人や家族が空っぽのゼリー人間になっていく様を考えてもみなさいよ。その人との思い出を踏みにじっているようなものだわ。それなら人間たちの前に姿を現さない方がいいわ」
 ――人里離れた山中で暮らせってのか。
「その通りよ。あたしのお母さんがもしあんたみたいになってたらと考えると、いっそあたしの前に現れてくれない方がよっぽどまし!」
 ――お母さん。
 ユリは魚を刺した竹籤を両手で握りしめる。ホロの空洞な双眸を見据えた。
「あたしのお母さんはずっと前に病気で死んじゃったの。それからはお母さんが再婚した義理のお父さんと二人暮らしだったけど、そのお義父さんもまた結婚した。お義父さんとお義母さんと三人で暮らし始めて、二人ともあたしによくしてくれた。でもね、気付いちゃったの」
 ホロはあぐらをかいて足に手を置く。ユリは声を震わせながら続けた。
「偽物は偽物だったのかもしれないって。私なんて、二人にとっては本当の子供じゃないんだから、今まで優しくしてくれたのも嘘だったの」
 ――どうしてそう思うんだい。
「お義母さんに赤ちゃんができたの。幸せそうにお腹撫でて、お義父さんも前のお母さんなんて忘れちゃったみたいに毎日上機嫌だし」
 ユリの息が少し荒くなる。興奮して目に涙が浮かび始めていた。
「きっと赤ちゃんが産まれたら、あたしなんか捨てられちゃうんだよ。お母さんがいなくなったその瞬間から、これは宿命だったのかも」
 ――それでこの街外れのボロ神社に家出中ってわけか。そんで、原因がそれだと。
「そうよ。何か文句ある? まさか保護者が心配してるから家に帰れなんて安っぽいこと言わないわよね」
 ――言わない言わない。おまえさんには明日おいらの遊びに付き合ってもらうんだからな。
 ホロは小さい子を宥めるように諸手を上げ、かつ幼稚な台詞を口にしてみせた。
 ユリはそんなホロのおどけた態度に不満を覚えながらも、しかしそれ以上何も言えず焼き魚の背中に噛みついた。

 ――お前さん、昨日から風呂に入っとらんようだが、大丈夫か。
 たき火を片づけながら、ふとホロが言う。
「何が?」
 ――ちと臭うぞ。
「……」
 慌てて自分の二の腕に鼻を押しつけて嗅ぐ。それからユリは愕然とした顔をした。まさかホロに乙女のプライドをズタズタにされるなんて、という表情だ。
 ――近くに銭湯があったはずだ。行ってきたらどうかね。服はおいらが洗濯しておくぜ。
 ホロはあくまで平坦な口調で言う。こいつにはデリカシーというものがないのだろうか。ユリは顔を赤くした。
「行きたいけど、お金ないし」
 ――お前さん、よくそんなんで家出しようと思ったな。
 ホロが呆れたように額に手を当てる。丸い頭がブルブルと小刻みに震えた。
 ユリは頬を完熟トマトのように染めて反論しようとしたが、何も言い返せずに唇を噛むだけだった。
 ――仕方ねぇなぁ。
 ホロがおもむろに本殿の床下に長い腕を差し入れた。腕を左右に動かして探る度に金属音がカチャカチャと聞こえた。
 ユリがそれとなく持参した懐中電灯でホロの手元を照らす。
 やがて何かを探り当て、B5サイズ程度の金属箱を引き出した。錆の進行が酷かったが、懐中電灯の灯りを照らすと、上蓋に書かれた『天草海老せんべい』という文字がかろうじて読めた。
作品名:ホロ 作家名:松嶋ネコヂロウ