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「月傾く淡海」  第三章 月の淡海

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「じゃあ、少しだけ……」
 倭文がそう呟いた時、野州の王とその弟分は、それぞれ違う表情で満足そうに頷いた。


 思わぬ野州の滞在で倭文が知ったのは、息長の若き王はかなりの遊び好きだということだった。
 何かにつけ、やれ蒲生野に狩りに行こう、淡海に水鳥を見に行こう、と深海と共に出かけていく。倭文も客人であった為、その殆どにかりだされた。
 大和領内では見ることの出来ない珍しい湖国の風景を目に出来るのはいいのだが、時にはこんなに毎日出歩いていてよいのかと疑問に思うことさえあった。
 さりとて、真手王は政の方も予断なく行なっているらしい。数日のうちに、倭文には、真手王と深海の義兄弟が族人達からとても慕われ、信頼されている事がわかった。
 ……そして、真手王は今夜もまた、御館で宴を開いているのである。
 明日は新月であるため、その寸前の、消えゆくあえかな月を惜しむ宴であるらしかった。
(雅なのか、無駄にばかばかしいのか……)
 倭文は、土器の杯に入った櫟の果実酒を飲み干した。
 純度の高い、珍しい酒である。一瞬喉の奥が熱く焼け付いたが、酒に強い倭文はこのくらいで酔いを感じることはなかった。
 座の中央には主である真手王が坐し、その左右に(一応の)賓客である深海と倭文が座らせられている。
二十と十八になるという息長の義兄弟は、当時としては珍しいことに、その歳になってもまだ妻や子を持っていなかった。また縁戚の者は、遠地にそれぞれ館を持っているとかで、連夜繰り広げられる宴に、息長王族の他の者の姿を見ることはなかった。
「いつも真手王と二人だけで寂しく呑んでいたのですよ。姫が加わって下さって、賑やかになった」
 早くも酔いが回ってきたらしい深海が、仄かに赤らんだ顔で言った。
「確かに。華のない宴とは、ああもつまらぬものだったのだなあ」
 真手王が陽気に杯を傾ける。平然とした顔で次々に酒瓶を空けていく彼も、倭文に負けぬ酒豪であるようだった。
 倭文たちの前には、真手王の用意させた宴の料理が並んでいた。
 赤米の飯、鹿肉の包み蒸し、鮒の串焼き、亀と茸の煮汁、胡桃と団栗の粉で作った焼餅、里芋の煮物、しじみの酒蒸し……と、実に豪勢な食事が美しい皿や椀に盛り付けられている。
 真手王と深海の二人は、気持ちよく呑みながらも、同時に勢いよく皿を片付けていっている。しかし元来小食な質の倭文は、皿の料理には手をつけず、高杯に盛られた柿を取ると、一口だけ噛んで外を見た。
 館の戸は、夜空がよく見えるようにと、特別に取り払われている。殆ど月の見えない空は、星々ばかりが勢いよく瞬いていた。
(絆の強すぎる他人が一緒にいられるっていうのは……幸いなのか、そうでないのか)
 星を眺めながら、倭文はぼんやりと考えた。
 深海たちは口でこそ「二人だけではつまらない」などと言っている。しかし倭文の目からは、二人の結束が強すぎるあまり、逆に他人を寄せつけていないのではないかと思われた。
 仲が良い……というよりも、深海と真手王は互いに互いを必要としていて、それで二人の世界は完結しているのだ。
 義兄弟として育ったせいか、幼なじみとして長年同じ時を過ごしてきたせいか……理由はわからないが、これだけ気の合う友が常に側にいれば、確かに下手な恋人などは必要ないだろう。
 ――しかし、そんな関係は、永遠に続けられるものなのか?
(まあ、他人が口出しすることではないけれど……)
 身内の人間とさえ諍うことの多かった倭文には、二人の睦まじさはむしろ奇異にさえ映った。
「……おや、姫が退屈しておられるようだ」
 星を見上げて物思いに耽る倭文の姿を見て、真手王が言った。
「姫も高貴なお身ゆえ、この程度の宴には飽いておられるのかな?」
 真手王は木の実を齧りながら、倭文を揶揄する。
 相変わらず倭文は身元を明かしてはいなかったのだが、彼はすっかり彼女を「大和の族の姫」と決めつけてしまっていた。
「……いいえ。どちらかというと、宴は苦手な方なので……」
 倭文は少し疲れたように言葉を濁す。
 じっとしていなければならないのが、耐えられないのである。よく口実を作っては逃げ出していたものだ。
大体、自分がわざわざこの淡海までやってきたのは、一言主の託宣(のようなもの)があったからだ。
 彼が倭文に探すようにいった『求めているもの』とは、こんなことだったのか?
 だとしたら、一言主も随分といい加減な託宣を……。
「おや、そうでしたか。だが、今宵は終わりの月の宴。特別な趣向をお見せできるよ」
「特別な趣向?」
 問いかけた倭文に答えず、真手王は立ち上がると手を打った。
「――楽部を呼べ!」
 真手王の指示に従い、控えていた従卑が下がると、代わってそれぞれ何かを抱えた数人の男女が前庭に姿を現した。
 楽部たちは、下に筵を敷き、抱えていた品を丁寧に下ろす。それらは、細長い台形の形を大小様々なもので、みな一様に金色に輝いていた。
「姫は、あれが何かわかるかな?」
「あれは……」
 倭文は目を凝らす。
 金色の品には細かな文様が刻まれており、外側には円形の飾りが付けられていた。
「あれは……確か、銅鐸では……?」
「そう。銅鐸だよ」
 真手王は誇らしげに言った。
 銅鐸とは、収穫などの祭りを祝う時に使われた、神聖な「鐘」である。主に巫によって祀られ、その中には穀霊や地霊が宿ると信じられていた。
 しかし、銅鐸がさかんに用いられていたのは、今から数百年も前の時代である。銅鐸は、外敵の悪神の侵入を防ぐ為に呪術的な意味を込めてよく里の境界などに埋められていたが、多くはそのまま忘れ去られていた。
 倭文は、偶然掘り出された物を、いくつか見たことはある。それらは緑青がついて変色し、あまり顧みられることもないままに、社の片隅などに置かれていた。
「大和の国々では……今では滅多に見かけません。最近は、祀りには銅鏡を使うのが一般的で……」
「そのようですな。だが、この野洲では今も銅鐸を作り続けている。姫は、新しい銅鐸を目にされたことはないのでは?」
「ええ。初めてです」
 倭文の目は、一番大きな銅鐸に釘付けになった。
 それは、軽く子供一人分くらいの大きさはある。庭に鎮座した銅鐸は松明の火を受け、妖しく金色に輝いていた。
「――今宵は、大和の姫が客人に来ておられる。稀やかな、野洲の音色を聞かせて差し上げよ」
 真手王が命ずると、楽部たちは持っていた銅鐸を抱え直した。
 一番小さな銅鐸をもっていた女が、それを揺らす。
 キィーンッと、高い音が空気を震わせた。
 それを合図にして、他の楽部たちも、それぞれの銅鐸を鳴らし始めた。
 ――それは、不思議な音曲だった。
 小さな銅鐸を抱えた者達は、それを振って音を出している。しかし、抱えきれぬほど大きな銅鐸についた者達は、バチを振るって銅鐸の外側を叩いていた。
 旋律があるわけではない。音階もない。
 しかし紡ぎ出される銅鐸の音色は、聞く者の魂の奥に深く染み入ってきた。
 霊妙なその音色は、古から時を越えて渡ってきたのだ。冷たい秋の夜に響く古い鐘の音は、傾きながら消え行く、あえかな月の夜の淡海に相応しかった。
(……え?……)