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長い夜

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   7

 驚いた。
 出会ったばかりのこの無様な男の事をまだ心配していてくれたというのか。
 しかも、心配をよそに「自分でなんとかする」と、言い放ったような相手の下に、再び現れるとは・・・・・・。
 先ほどまでの苛立ち、そして恥ずかしさや、その他の感情は、もうすでに無かった。
 だが一つ、大事なことに気が付いた。
 冴子の車はスポーツカーやSUVではない。軽自動車だったのだ。ハーレーの指定ガソリンは無鉛プレミアムガソリン、いわゆるハイオクガソリンだ。
「ありがたい話しだが、俺のバイクはハイオクなんだよ」
「えっ、でも走れないことはないでしょう?」
 凛子は少し困った様子で言った。
「走れないことはないが、ノッキングを起こしちまうし、エンジンの為に良くないんだ」
「大丈夫よ。あたしのターボ車だから、ハイオク入れてるわ」
 冴子が横から口を挟む。「そんな事は知っているよ」とでも言いたげな、自信に満ちた口ぶりだった。顔はこちらには向けずにソッポを向いたままだ。常にこんな感じなのだろうか。いや、夜勤から帰ってきたばかりで引っ張り出されたのだ、たまたま機嫌が悪いだけなのかもしれない。
「じゃあ、万事、オーケーね!」
「まったく、大きなお世話だよ」
 そう言いながらも、内心は本当に感謝していた。
 いつしかこの夜を無事に明かすことばかり考えて、先が見えない明日朝からの行動の事を忘れていた。ここでの給油はまさに、差し伸べられた救いの御手だった。
 灯油用のポンプでガソリンを分ける。車のタンクの深さを考慮したのか、ちゃんと長めのノズルを用意してきてあった。これも冴子の手筈のようだ。ガソリンもわざわざインターチェンジ付近のスタンドで満タンにしてきたそうだ。
 凛子から受けた短時間の状況説明で、これだけの準備をしてくるとは、見た目と口ぶりが示すとおり、相当、頭のキレる女性のようだった。
 八リットルのタンクは直ぐにいっぱいになった。
 燃費の悪さも加工して容量の少なくなったタンクも、今回のガス欠の重大な要因だ。帰ったらタンクを純正に戻そう。
給油を終えた。
「ホント、サンキュな」
「ではリッター五百円に手間賃と交通費を足して一万円になります」
 冴子が手のひらを俺に向かって差し出した。
 凛子は後ろでそんな俺たちの様子を見て笑っていた。
「ああ、そうだ、手を」
 凛子が思い出したかのように言った。なんと、冴子は外科医だというのだ。
「ねぇ、診てもらいなよ」
「大げさだよ、大丈夫だって」
「どうみても、大丈夫じゃなさそうだけど」
「う・・・・・・」
 この気温の中、脂汗をかいているのだ、大丈夫なわけがない。すでに左手の感覚は痛覚を除いて麻痺していた。強がってなんている場合ではない。
「こりゃあさらに追加で料金が発生しそうだな」
「あたりまえじゃない。時間外労働よ」

 後部座席のドアを開ける。
 女っ気のない車内。ぬいぐるみ一つないかわりに、黒人ミュージシャンのレコードがディスプレイされてあった。ジャケットには『BIG MAMA THORNTON』とある。聞いたことも無い名前だ。車内に流れているこの音楽はブルースだろうか? 力強い女性ヴォーカルとハーモニカの音色が印象的だった。
「ちょっと、じろじろ見ないでよ。早く入んな」
 急かされて冴子と二人、後部座席に入る。香水の香りが染み付いた狭い車内の空間はまるで女性の部屋に入るような感覚で、妙に緊張した。
 凛子は助手席から身を捻らせて好奇心いっぱいの表情で診察の様子を見ている。お医者さんごっこでも見ている気分にでもなったのだろうか。状況が状況だけに、見られているとどうにも気持ちが悪い。
 そんな事を考えていると、いきなり左手を容赦なく引っ張られた。
「痛ぇ!」
「折れちゃいないね。でもヒビは入ってるかもな。内出血も酷い。血がだいぶ溜まってるから早いうちにいっぺん抜いた方がいいな。冷やすと血が凝固しちゃうから、あまり冷やさないことね」
「痛ぇだろうが! 一応、心の準備ってものが!」
「痛いならまだ神経が生きている証拠よ。生きてるって素晴らしいでしょ? それとも『もうこの左手は使い物になりません』とでも言って欲しかったかしら?」
 なんだか「意地悪が趣味なのでは」と思えてきた。
 彼女が勤める病院の患者は、皆、こんな思いをしているのだろうか。たしかに外科医にはあまり感情はいらないかもしれないが、やはり治療する側と治療される側の意思疎通ってものは必要だ。さすがにここまで皮肉を言う医者ではゲンナリしてしまう。しかし、もしかしたらここでの姿はあくまで素の彼女であって、実は職場では物腰柔らかい性格で通しているのかも・・・・・・。
 リモコンでナビいじっている彼女を横目で見る。目が合うのが恐かったので視線を逸らしていたが、やはり、裏表はなさそうに見えた。

 ヒビでも充分に重症だが、とりあえずは診てもらえて安心した。
 冴子の話じゃ応急処置のみで手術はしなくて大丈夫だそうだ。専門医の診察だ、間違いはないだろう。軽い手のマッサージの後、湿布を貼ってもらい、手が動かないような処置をしてもらった。
「どう、だいぶ楽になった?」
 凛子が言う。
「ああ、血流がよくなったのか、少し手のひらにも体温が戻ってきたよ。寒さでガチガチだったからな。さすが慣れてるよ」
「でしょ?」
 自分が褒められているかのように、凛子は満足そうな笑顔で答えた。
 診察を終えた冴子に視線を向けると、なんとウェットティッシュで自分の手を拭いている。俺の手が汚いとでもいうのか? たしかにきれいではないが・・・・・・。
 いや、多分、医者の癖なのだろう。たぶん・・・・・・。

 車を降りた。
 ひとまず、一件落着といったところか。ガソリンも補充し、手の方もだいぶ楽になった。
 市販の品だが、痛み止めの薬まで用意してくれていた。飲んで一時間もすれば利いてくるという。これで眠ることもできそうだ。
「これから、どうするの?」
 黒のPコートを羽織った冴子も車を降りた。
「今、何時だ?」
「もうすぐ四時ね」
「痛み止めも貰ったことだし、もう少しだけ寝て、そうだな、朝になったらここを片付けてひとまずは目的地の青森まで向かうよ」
「まだ進むんだ。帰ったほうがいいと思うけど」
 呆れたようにそう言った。さっきまでの刺々しさとは違い、少し和らいだ口調だった。一仕事終えたからだろうか。こちらのほうが魅力的だ。
「火、かしてくんないかな」
 そう言うと、冴子はコートのポケットからタバコを取り出した。
 それは、マールボロのメンソールだった。

「マールボロのメンソール・・・・・・・。そういうことだったのか」
「どうかした?」
 声に出してしまっていたようだ。
「いや、なんでもない」
 冴子がタバコを吸う姿をしばらく眺めていた。
 良く見れば凛子よりも頭ひとつほど背が高い。鼻筋から唇、顎にかけてのラインが美しかった。凛子の可愛いらしさとは違い、妖艶な美しさを纏ったその姿は、男なら誰でも虜になるだろう魅力を兼ね備えていた。
作品名:長い夜 作家名:山下泰文