有馬琳伍氏の悲劇、もしくは24人の客
M嬢の旅と不思議
温泉行くなら、ゑびす屋をご贔屓に。
黒いレースの飾りをついたオフホワイトのゴシックロリータ風のワンピースとヘッドドレスで着飾り、棺桶型のバックを持ってしゃなりしゃなりと旅に出よう。温泉に行くために。しゃなりしゃなり。その日は、朝起きると突然温泉に行きたくなり、誰にも告げずに旅に出た。目的地はKが教えてくれたゑびす屋と言う温泉旅館である。ゑびす屋がある聞いたこともないような名前の駅を降りると、黄昏色をした空をバックに埃っぽい砂が舞い上がる、鄙びた町がポップアップ絵本のように広がる。因みに、この駅で降りた乗客は僕一人であった。改札口に立っている気味悪いにたりとした笑みを浮かべる駅員さんによれば、この町はナム・メモをかけたアルミニスタン羊のミートパイが名物だそうである。確かに駅前には、アルミニスタン羊のミートパイと書かれたカラフルなノボリが飾られている店が建ち並んでいる。ノボリには商品名の他に、『禁断の味』、『空前絶後』等のあおり文句が入っており、旅行者の購買意欲を煽っている。しかし、どの店も各々『元祖』『本家』『本元』等と書かれており、そうやらどの店も自分の店が発祥の地だと言い張っているようである。そんな事はさて置いて、僕はうさんくさい駅員さんをあとにして、Kが教えてくれたゑびす屋に足を向けた。駅から歩くこと十分、面前に現れたゑびす屋はそれはそれは一風変わった旅館だった。枯山水のある日本庭園に立ち並ぶ物置。離れ屋ではなく、本当に物置なのである。その物置の入り口には「萩の間」「桜の間」「桔梗の間」等、いかにも温泉旅館の部屋のような名が書かれた看板がつけられ、風に揺れていた。なんともシュールな光景。その中のひとつに「管理人室」と書かれた葉でな電光で飾られたポップ看板の下にけばけばしい化粧をして、ピンク色した少女趣味のこれまた派手な格好をした双子の老婆。二人ともべたべたとした真っ赤なものが付着した出刃包丁を持って、ちょこなんと座っていた。老婆達は僕を見ると同時ににやにやと笑う。それはある意味凄絶な光景だったことは言うまでもない。僕が老婆に今日宿泊した旨を伝えると老婆達は甲高くけたたたましいユニゾンで答えた。「お一人ではお泊まりにはなれません。泊まりたかったらお風呂はなし」何とも簡潔なお答えだった。しかし、僕は温泉に入りたくてここまで来たのだかから、お風呂なしでは意味がない。仕方なく、僕は「ゑびす屋」に宿泊することを諦め、別の温泉旅館を探すことにした。もちろん道中、「ゑびす屋」を教えてくれたKを思いつく限り罵ったのは言うまでもない。しかし、悲しいかな幾ら歩き回っても温泉旅館など姿も形もなかった。それどころか、廃墟のような不気味な建物しか見つからなかったのである。それでも、人気のない道をあてもなく歩いていると、通りすがりの通行人に「お一人でふらふら歩いていてはいけません、殺されますよ」と物騒なことを言われてしまったのである。更に仕方なく、僕は駅に戻り、にたりと笑う駅員から切符を買って最終電車で帰った。帰宅後、さっそくKに文句を言いに行ったが、Kに言わせると僕が行った「ゑびす屋」はKの行った「ゑびす屋」どころか駅の様子も全く違っているらしい。一体全体、あの町と「ゑびす屋」は何だったのだろうか。
作品名:有馬琳伍氏の悲劇、もしくは24人の客 作家名:ツカノアラシ@万恒河沙