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 翌日の昼、僕と虎谷さんはI町の稽古場へと足を運んだ。
 珍しくごねずに定刻通り事務所のあるビルから出てきた虎谷さんだったが、事務所内で見るよりずっとそわそわして視線が虚ろだから、どうやら三羊さんへの質問はまた僕が行わなければいけないようだ。
 ちなみに今日の虎谷さんは相変わらず黒いシャツに黒のベストで黒いズボンの全身黒ずくめ、薄黄色のネクタイがかろうじて黒くない、人と会うのにそれはどうかと思うような服装である。もしかしたら基本的に引き篭りのこの人には、社交性といったものがないのかもしれない。
 ともあれ案内の人に連れられて入ったのは西洋風の古い一階建ての建物で、入った途端に、大勢の人々の熱気がむわっと伝わってきた。広さは学校の教室くらいだが、床は体育館のような木の床で、手すりや鏡がぐるりと取り囲んでいる。何人かで台詞を読み上げている者達、動きの確認をする者、柔軟をしている者。何度もワックスを塗られて黒くなった床板が、一人ずつの動作に応えて丁寧にギシギシと鳴っている。
 その様子に圧倒されていると、案内の人に急かされた。
「あちらが三羊です」
 手が示す先を見ると、稽古場のはるか隅にいる女性が椅子から立ち上がり、一礼をした。
 慌ててこちらも頭を下げて駈け寄る。虎谷さんは後ろをもたもたとついてくる。
 僕は彼女の前で改めて礼をし、虎谷探偵事務所の者ですと告げた。
「私が三羊マリでございます。本日は何卒よろしくお願いします」
「こちらこそ」
 緊張のあまり声が出ない探偵に代わってそう返事をすると、三羊さんはにっこりと優雅に笑う。
 それにしても美人である。茶色く長い髪が背中で揺れ、華奢なのに朗々とした声はまるで宝塚の役者のようだ。楊肥といわんよりは、むしろ趙痩と言ったところか。
 我々はどうぞこちらに、と白く長い手を差し出してすすめられた二脚の椅子に、それぞれ腰掛けた。伯爵の恋人というだけあって上品な所作だ。
「それで今日のご用件はなんでしょう?」
 あくまでも虎谷さんを見て話す三羊さん。
 僕は手帳を取り出しながら、いつも通りそこに割り込んだ。
「伯爵のご依頼された話です。あの、最近不審な男に付きまとわれているという」
 しばらくきょとんとしていた三羊さん(この点が他の依頼人と類似)だったが、ああアレですわねとクスクス笑った。
「伯爵……ここでは皆仁科さんのことをそう呼びますの、それは伯爵の考え過ぎですよ。不審な男性など居やしません」
「ん?でもその仁科…伯爵は確かにそうだと仰ってましたよ?」
「大丈夫ですわ。そんなことありませんもの。だいたい『怪人』だのなんだの皆が言うからそんなことになるのです」
「皆さんが『怪人』だと言うのですか?」
「あら嫌だ。言うだけですよ。決してそんなことはございません」
「でもですねえ、『怪人』の可能性があるのならば調査すべきなのですよねえ」
 ここで急に、それまで俯いてずっとそわそわしていた虎谷さんが発声した。語尾が伸びているしイントネーションもどこかの国の人みたいだった。
 突然の出来事に三羊さんは大きな目を更に大きくして、僕はそれ以上の驚きを以て虎谷さんを凝視する。見られた本人は凝視されたことに凝固し、それきりまた俯いて何も喋らなくなってしまった。三羊さんは何事もなかったかのように僕に視線を戻す。
「それは……ですから平気ですわ。何の問題もございません」
「しかし伯爵の依頼ですから、我々が数日見張った方がいいかもしれませんよ」
「必要ありません。お引き取り願って結構です」
 徐々につっけんどんな態度を取り出した三羊さんを不思議に思って見ると、三羊さんは故意に視線を逸らす。不自然な動き。手は白くなるほど固く握られている。ますます怪しく思い、僕が声を掛けようとした時。
「虎谷さん、纐纈君、お待たせ致しました。いやあ遅くなってすいませんね」
 階段を下りながら伯爵は、細身に高級そうな黒いぴかぴかのスーツとピッシリした白シャツを纏い、颯爽とやって来た。後ろには伯爵より少し年上くらいの、手伝いの男性が荷物を持ってついている。他の団員と同じく綿の半そでにズボンを穿いているから、たぶん彼も団員の一人なのかもしれない。
「三羊さん、依頼は伝えられたかな」
 明るい表情でそう話しかける伯爵は、行き詰まりかけていた状況を一変させる程爽やかで輝いていて、さすがの三羊さんも少し気後れしてええそうですね、としどろもどろになっていた。
「だいたいは把握できましたよ、仁科さん。ああすいません。ご挨拶が遅れましたね。僕は虎谷総一と申します」
 一方こちらと言えば、僕が普通に話し掛けても大丈夫という根拠のない太鼓判を押したばっかりに、水を得た魚のように溌剌とし出した探偵が、伯爵に負けず劣らず輝いた挨拶を始めた。
「おお、では貴方が虎谷探偵ですか」
「はい。先日は我が助手が失礼を致しました。私が風邪にやられていなければあんな失態はさせなかったのですが」
二人は、爽快で熱い握手をがっちりと交わす。
「ところでそちらの方は?」
「ああ、ご紹介が遅れましたね。彼は島狐ジン(シマキジン)と言って、私の付き人をしてもらっています」
「初めまして」
 見知らぬ人の登場に再び凍りつく探偵の代わりに僕が挨拶すると、よろしく、と島狐さんも返した。存在感のない、どこか儚げな人だった。
 伯爵に三羊さんの荷物を持ってくれ、と言われた島狐さんはぺこりとお辞儀をして、そのまま三羊さんと一緒に役者たちの集まりの中へと消えた。またしても強気になった探偵は、伯爵と談笑を続け出している。
「それで調査はどこまで進んでいらっしゃるのです」
「充分進んでいますよ。三日後になれば男の正体も突き止められます。そうしたら報告書を警察に提出して下さい。あとは警察の仕事ですけどね」
「素晴らしい!三日後と言えば、我々の劇が開幕する日です」
「劇が?」
 ふっと、探偵の表情に翳りが射した、気がした。光の加減かもしれない。
「よろしければ貴方がたも観に来て下さい。そんな堅苦しいものでなし、家柄身分階級問わず、誰でも楽しめるものだ」
 それとも劇はお嫌いですか?と尋ねる伯爵の誘いを断れるものでなし、伯爵はこちらの頷くのを確認して、是非とも、と答える。もう表情は元に戻ったようだ。
「それで、それはどんな劇なのですか?」
 僕と、心の底から楽しみにしている風な探偵は、次の台詞に今度こそ表情が強張るのを感じた。
「『エル・タンゴ・デ・ロクサアヌ』というものです。一人の娼婦が恋を繰り返すという、まあ、簡単な浮気話だな」

作品名:POOL 作家名:つえり