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骨まで愛して

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「分かった?ちゃんとメモした?ちゃんとやってね。立花ってお墓、幾つかあるから間違えないでよ。お墓の上に置くとかそんなんじゃ駄目だからね。ちゃんとやってくれたら守護霊になって一生守ってあげる。やらないと本気で化けで出るからね。今も窓の外から見てるからね」
 僕は慌てて窓を振り返った。誰もいない窓の向こうに、ある筈のない視線を感じた。
「嘘だよーん。でもやってくんなかったら本気で呪っちゃうからね。それじゃあよろしくね、仕事頑張ってね、ばいばーい」
 僕に向かって投げキッスをした後、ヨシユキは手を振りながらフレームアウトし、数秒後にビデオは終わった。
 僕は暫くの間、何も起こらないテレビ画面を茫然と見詰めていた。

 骨。
 その圧倒的な存在感。
 人骨。
 僕の部屋には、今、人骨がある。
 捨てるとしたら、燃えるごみだろうか。ふと思ってイカ臭いティッシュの詰まったゴミ箱を見た。駄目だ。そんな事をしたら罰が当たる。じゃあ実家に送り返すのはどうだろう。宅急便の伝票にも挨拶状にも、住所が書かれている筈だ。そう思ってすぐにかぶりを振った。駄目だ。余りにも失礼過ぎる。僕は葬儀で泣き崩れるヨシユキの母親を思い出した。僕の母親と同世代に見えた彼女は、あの時、悲しみの淵にいた。
 僕は取り敢えず、夏は布団を外してテーブルがわりにしている家具調コタツの上に散乱した、飲み残して放置したまま腐ったジュースやカップラーメンの空容器や読みかけの週刊誌を片付け、天板を拭き、真ん中に骨壺を置いた。そして仕事で使っている能率手帳を開き、DVDをもう一度早送り再生し、墓の住所をメモした。やる気になった訳ではない。全く知らない人の墓に、電話でしか話した事のないオカマの骨を入れに行く。もし誰かに見付かって警察にでも通報されたら、何らかの罪に問われる事は間違いないだろう。そんな事が気弱な僕に出来る筈がないし、第一そんな事をする義理もない。僕はただ、他にどうしていいかが分からなかっただけだ。
 DVDを取り出して、骨壺の横に置いた。何となくそうしたくなって、手を合わせた。目を閉じて、心の中で呟く。
「ごめん、無理だ」
 音のない世界が怖くて、僕はテレビを点けたまま寝床に入った。風俗帰りの夜は、普段ならよく眠れる筈なのに、骨壺の方から、ある筈のない視線を感じて、僕はなかなか寝付けなかった。


 あれさえ部屋になければ、ありふれた日曜の朝だ。夜通し点けっ放しのテレビの中では、自民党と民主党の若手議員が、相も変わらず罵り合っている。遅い朝食兼早い昼食を食べて、二度寝コースかパチンココースを選ぶ。虚しい事に、僕の日曜の過ごし方は、大体その二つの内のどちらかだ。夏のボーナスがまだ幾らか残っているから、パチンコだな。あれをちらりと見ながら、そう思った。
 座布団に座ってコンビニのおにぎりを食べる僕の目の前に、黒くて小さい骨壺がある。手帳を千切ったメモ紙には、その骨が納まりたがっている墓の住所が書いてある。
「一時間ぐらいかな…」
 保存料のたっぷり入った米を租借しながら、行く気もないのに呟いた。そう遠くはない距離だ。
 ユニットバスのトイレに入って用を足し、そのままついでにシャワーを浴びた。気の所為に決まっているけれど歯を磨いたり服を着替えたりしている間中、ずっと誰かに見られている気がした。幽霊もUFOも見た事のない僕は、あほらしいと独りごち、ポケットに財布を突っ込んだ。兎に角、あれがある部屋に、これ以上いたくなかった。問題を先送りにするのは、僕の悪い癖だ。
 半畳程の玄関で、踵を潰したスニーカーを履く。ドアを開けた直後に、背後から、物音がした。身を乗り出して、部屋の中を覗き込む。あり得ない事に、天板の上で倒れた骨壺がテーブルから落ち、そのまま畳の上を転がって来る。
「嘘だろ、はは」
 無理に作った笑顔が凍り付いた。玉袋が縮んで、きんたまが体に減り込みそうだ。僕はスニーカーを脱ぎ、部屋の中に戻った。転がった骨壺を拾い、元の場所に戻す。
 無理だって言ってんじゃん…。心の中でヨシユキに話しかけ、また玄関に向かった。三歩歩いて振り返る。骨壺はピクリともせず、天板の真ん中に立っている。目線をそれに固定したまま、手探りでスニーカーを引き寄せ、足先を滑らせる。後ろ手にドアをそっと開けると、背後から、男の声がした。
「NHKでーす」
 ドアの外を覗くと、二軒となりの部屋に、NHKの集金が来ている。僕は音を発てないように、そっとドアを閉め、鍵をかけ、息を殺した。
 それから十分くらいだろうか、集金のおっさんが僕の部屋をしつこくノックし諦めて去って行くまで、僕はずっと石になっていた。前からはNHKの、後ろからはヨシユキの気配に挟まれ、押しつぶされそうになりながら。
「分かったよ…」骨壺を振り返って言った。「まだやるって決まったわけじゃないからな。取り敢えず行って様子みてみるだけだからな」
 骨壺が転がったのは、きっと僕が乱暴にドアを開けたからで、NHKのおっさんが来たのも偶然に決まっている。霊魂を信じない無宗教の僕は、そう自分に言い聞かせながらリュックサックに骨壺を入れ、メモを持って外に出た。
 駅に向かって国道を歩くと、数十メートル先の歩道の上に十トントラックがひっくり返って燃えていた。


 私鉄を三本乗り継いで、知らない街の知らない駅に着いた。駅前の広場で、煩く蝉が鳴いている。携帯電話の地図検索サイトによると、目的の寺は駅から歩いて十五分程だ。
 駅から離れるに釣れ、古い住宅地になって行く。彼方此方に畑が残っていて、遠くに巨大なラブホテルが見えた。容赦ない夏の日差しが、僕の腋の下と背中を湿らせ、歩くリズムと同じ拍子で濡れた背中を骨壺が叩いた。

 永長寺は、ありふれた普通の寺だった。本堂の前には未舗装の駐車場があり、ワンボックスのファミリーカーが停まっている。肝心の墓場が見付からず、本堂の周りを一周すると、向かいの路地から水桶を持った家族連れが現れた。どうやら、墓場は道を挟んだ対面にあるようだ。両親に手を引かれよちよち歩く男の子が、僕の顔を珍しそうに見た。リュックを背負って一人で歩く僕は、両親の目にどう映るだろう。
 ファミリーカーの窓に顔をくっつけて僕を見る男の子に愛想笑いをして、路地を入ると、二十メートル四方ほどの墓場が眼前に現れた。見回すと幾つかの墓石に、真新しい花や線香が手向けられている。そう言えば、お盆が近い。旅行や仕事で来られない人が、少し早めの墓参に来るのだろう。となると、こんな日に他所様の墓石を弄るのは、危険この上ない。陽はまだ高く、墓石の影も短い。
「無理だな…」
 背中の骨壺に言い訳するように呟き、目当ての墓石を探す。ポケットから取り出したメモの名前、立花省吾。ヨシユキは何軒かあると言っていたが、最初に見付けた立花家の墓に、その名前は刻まれていた。ありふれた形のその墓の前に立った瞬間、僕は不思議にこれだと確信していた。
作品名:骨まで愛して 作家名:新宿鮭