魔女と猫のフラスコ
話を聞いたところ、硝壜の中身を“エーテル原液”と呼ぶらしいのであるが、その“エーテル原液”は相応に価値の高い物らしく、魔女と呼ばれる者たちにとってはたった数滴であっても咽喉から手が出るほど欲する物らしい。
ナナシーはそれと引き換えに多くの魔女の力を借り、硝壜とこの結界陣を敷いた師匠を探し出したと云ったのである。
師より硝壜の使用法を教わった後《のち》、捜索に協力してくれた魔女たちに約束の報酬として硝壜の中身を渡したがために、半分以上が無くなってしまったとの事であった。
「師匠に会えたのであるか。それは僥倖であるな」
「うん。それで、この瓶とか結界陣とかに関する話をいろいろ聞いたんだ」
「ほう」
吾輩はナナシーの表情に宿った僅かばかりの陰りを見なかった事にした。
「この召喚陣は、異世界で強力な力を持っている存在の一部を切り取って呼び出す物なんだって。一部って言っても、数百分の一とか数千分の一とかのほんの少しだけ。欠片も欠片なんだ。お師匠様は、この瓶で吸い取れないほど強力な力を宿した欠片が呼び出されるなんて信じられないって言ってた」
「吾輩は吾輩の欠片なのであるか?」
「何かの手違いで本体が召喚されてしまうってのは想定される事態ではあるらしいんだけど、この瓶で魔力を吸い出せたのなら、間違いなく欠片だって」
詰まるところ、吾輩は吾輩の欠片でしかなく、吾輩が消滅しようが有り内な猫になろうが、ここではない異世界に在る本体には何の影響も及ばぬと云う事である。
「残った魔力を全部吸い出す事もできるし、肉体を維持できる程度に残す事もできる。でも、元の世界には戻れない。戻っても、そこにはキミじゃないキミがいる。そして、それはキミよりも強く存在している。確証はないけど、どんな世界であっても同じ物の存在は許されない……から」
「弱い方が消える……か」
ナナシーは吾輩を抱き上げた。それは同情などの安い感情に駆られての行動ではなかろう。
「ごめん。約束は守るって言ったばかりだけど、元の世界には帰してあげられない。ボクにはキミを帰すなんてできない」
送り返す事は即ち消滅を意味する。
煮え滾《たぎ》る溶岩に放り込むと同義。であるならば、それでもやってくれ、などと頼むのは無粋の極みであろう。
「では約束してくれ。吾輩、小魚の乾物よりもすり身が好物である。然れども、すり身ばかりでは顎が弱ってしまう故、すり身ばかりを食べさせぬ様にして欲しいのである」
「うん、わかった」
抱き上げられておるから顔は見えぬが、声は震えておった。
「では頼む」
吾輩は出来得る限り冷然とそう告げたのである。
……と、吾輩の瑣談はここまでである。
む? 物足りぬと申すのか。確かにこの物語は完結してはおらぬ。完結しておらぬが故に、続きを吾輩の口から語るは野暮というものなのだ。
それでも気になるのであらば、そこな縁側で鳴る鈴の音に耳を傾けるが良い。まぁまぁ、化かされたと思って耳を傾けてみよ。
そら、風が吹いた。鈴が鳴るぞ。