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魔女と猫のフラスコ

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(二) 魔女と化け猫のフラスコ


 気がつくと、そこは見知らぬ土地であった。
 いつの間に風も空も知らぬ斯様な場所に迷い込んだのかと首をひねくってみたが、思いに至る物事などは存在せなんだのである。
 最後の記憶を辿ってみれば、何やら祭具術具の類が居並ぶ部屋にて面妖な儀式を執り行う女人と向かい合っておった筈なのであるが、どうもそのあたりの事がはっきりせなんだのである。
 周囲を見渡せば緑に染まる小高い丘の頂上であった。目に映る青い空には緩やかに流れる白き雲があり、髭を揺らす風と相まってこのまま此処で一眠り頂きたくなる程の実に心地良い風観であったのだが、視界を妨げる目障りな石柱が吾輩の周囲を取り囲む様に七本屹立しておったのである。
 不穏を禁じ得ずして警戒を強めるに至った吾輩は、丘の麓より歩み寄る気配を察知したのである。
 体型、息遣い、歩幅、足音、その他の諸諸から人間であろう事が窺い知れたのであるが、吾輩が知る人間とは気配を異とする者であった。
 頭には背丈の半分程もある黒の三角帽を揺らし、身体には半ばまで袖を捲った白衣を羽織っておった。帽子と白衣の其其《それぞれ》については猫属の吾輩であっても多少なりと知り得ておるのであるが、吾輩の永き生涯においてさえもそれらを同時に身に纏う人間には出遭うた例《ためし》がなかったのである。
 吾輩は未知なる体験に躍る心を諌めつつその場に伏してその者の到着を待つ事にしたのである。
 約半刻(一時間)の時が過ぎ漸く吾輩の眼前に至ったその者は、見るも無惨なほどに蒼白な顔色をしておって、吾輩に気を回す余裕が残っておらぬ様子であったので「辛そうであるが、大事無いであろうか?」と声を掛けたところ「あ、大丈夫。すぐ回復するから。多分」との返事があった。傍目には少年か少女かの判断が出来なんだのであるが、一度《ひとたび》声を耳にしてしまえばどこをどう見ても少女子《おとめご》に他ならなかったのである。
 吾輩は「ならば良いのであるが」と続けはしたものの、肩で息をしつつ膝に手を置いておる前屈みの様相からは、多分な虚栄の含有を感じざるを得なんだのであった。
「どなたかは存じませんがお気遣いドーモ」
 少女子《おとめご》が顔を上げたのは、それから四半刻の更に半分程の時を経た後であった。
 三角帽の広いつばの下には少女子《おとめご》の小さな頭がすっぽりと納められており、よくも落とさずに丘を登れたものだと感心した。少女子《おとめご》の髪が黒色ではなく栗色であった事に少々面喰ろうたが、風も空も知らぬ土地であれば然も在りなんと気に留めぬ事にした。
「うむ。瑣末事である故、これ以上の返礼は不要に願いたいのである」
 少女子《おとめご》は声の主である吾輩が七本の石柱の中央に座しておることを認識すると目を皿の様に丸くして言葉を失ったのである。
 自失から立ち直った少女子《おとめご》は何やらぶつぶつと独りごちて現実逃避しておったので、一つ気の利いた言葉でも掛けてやろうかと思慮を巡らせたのではあるが、吾輩をちらりちらりと盗み見ておる事を鑑みると如何に贔屓目に見たところで現実逃避の原因が吾輩に在るのは揺るぎなく、たとえ今ここで万人が涙する言葉を掛けようとも無粋に他ならぬ事に気付いたが故に思慮を中断し、少女子《おとめご》の呟きに耳を傾けることにしたのであるが、どれほど待とうとも現実に回帰する気配が感じられなんだので、痺れを切らしたと云うわけではないが吾輩から折れて声を掛けることにした。
「これそこの少女子《おとめご》よ」
「これは幻聴。これは幻聴」
「吾輩、付近の風も空も覚えがないのであるが、ここは何処であろうか?」
「これは幻聴。これは幻聴」
「吾輩は何故《なにゆえ》斯様な場所におるのであろうか?」
「これは幻聴。これは幻聴」
「これそこの……」
「これは幻聴。これは幻聴」
「えぇい! いい加減に現実逃避を止めるのである!」
 これには吾輩も堪忍袋の緒が切れてしまい、僅かばかりではあるが魔性の力を解き放ってしまったのである。
 瞬息の間に周囲を瘴気が覆う。吾輩は正式な名称を知らぬのであるが、いつだったか吾輩を調伏せんとして現れた法師によればその様に呼ぶらしい。
 瘴気は気配の一種でありながらも質量を持ち、人体は勿論の事であるが植物や大地にまで影響を与えてしまうものである。吾輩の放つ瘴気などは特に強力であるらしく、その影響は致命的であるとのことであった。
「ひぃい!」
 視覚で捉えられる程の濃度を持って発された吾が瘴気を目の当たりにした少女子《おとめご》が恐怖の声を挙げたのであるが、人の子とは真の恐怖に陥った際には声も出せずに立ち竦むと聞き及んでおったので幾許かの安堵を覚えたのである。
 とはいえ、何事かあっては生命に関わる一大事となってしまうが故に吾輩は一言「逃げよ」と少女子《おとめご》に告げた。
「そうしたいのはヤマヤマなんですが……腰が抜けて……」
「なんと」
 ふと、瘴気が少女子《おとめご》の周囲にまで及んでおらぬ事に気が付いた。
 よくよく見てみれば、吾輩を取り囲んで屹立する七本の石柱が瘴気の流出を防いでおったのである。本気のそれではなかったが、吾輩は吾輩の瘴気をここまで完璧に抑え込む結界に出遭ったのは初めての経験であった。
「見事」
 吾輩は消え行く瘴気を見送った後《のち》に思わず感嘆を漏らしたのである。
「これそこの少女子《おとめご》よ」
 少女子《おとめご》は自らの鼻先を指差し、自分の事かと確認をよこしたので、吾輩は誤解の無い様に大きく頷くと共に「うむ」と答えておいた。
「ハィッ! なんでしょうか」
「これに張り巡らしたる方陣は実に見事である。汝が組みし結界であろうか?」
「いえ、これはお師匠様が」
 お師匠様という言葉に悪寒を感じたのであるが、これはまた別の話となるが故に触れずにおく事とする。
「ほう。その者と会って話したいのであるが、可能であろうか?」
「アー、そうしたいのはヤマヤマなんですケドー」
「む? 都合が悪いのであろうか? 無理を言ってしまったのであれば申し訳なく思うのである。何卒容赦して頂きたいのである」
「もともとですね、ここにはボクじゃなくてお師匠様が来る予定だったんですよ」
「ほう。なにやら深い事情がある様であるな。吾輩でよければ聞かせてもらうが」
「聞いてもらえます?」
「うむ」
 このような経緯に因り吾輩は少女子《おとめご》の話を聞くに至ったのであるが、これがまたもや怨み言であったので吾輩は早々に根を上げてしまったのである。
「ところで、名は何と申すのか?」
「ボクはナナシー」
「ほう、名無しであるのか。吾輩と同じであるな」
「キミもナナシーっていうんだ?」
「うむ。吾輩は有り内な名無しの猫であ……」
 吾輩が言い終える前に、名無しの少女子《おとめご》はどこからか取り出したる硝壜《フラスコ》を頭上に高高と掲げたのである。少女子《おとめご》の目は今までとは打って変わり、勝ち誇った光で吾輩を見下ろしておった。
 吾輩はそれでも落ちぬ三角帽の絶妙な位置取りに目を奪われておった。

「さぁ、魔法の瓶よ! ナナシーの魔力を残さず吸い取るのだー!」


作品名:魔女と猫のフラスコ 作家名:村崎右近