被虐的サディスティック
彼女はわざと声を細めて彼に囁く。
「高校生活におもっと期待していた。中学よりもっと楽しめると思った。女の子にもちやほやされて、新しい友達とも毎日遊べると思ってた。――だけど、どれもかなわなかった。それどころか、友達すら一人も作れず、クラスでは一人ぼっちになってしまった。全部裏切られてしまった。誰かの所為じゃない。自分の所為で」
「どうして……どうして君は、そんなにまで俺の気持ちが分かるんだ?」
希良は彼女の身体から離れ、上目遣いで聞いた。
「私も同じ、だからよ」
彼女は片膝をついて、希良の視線に平行に目を合わせた。
「俺と、同じ……」
「そう……。だから――」
彼女が目蓋を閉じたのと同時に、希良の唇に温もりが伝わっていた。希良は反射的に自分も目を瞑った。それが彼女の唇だと気付いたのは、それからだった。
「あなたとなら、もっと近付ける気がする」
「近付く……?」
合わせていた唇を僅かに離し、二人は目を閉じたまま、掠れたような小さな声で言葉を交わす。動揺して喉が震えているのは、希良の方だった。
「もっと。もっと……近付いてきてほしい」
彼女は再び唇を合わせ、腕を希良の首に回して身体を寄せた。
閉じていた唇は彼女の動きに合わせて開けられ、濡れた舌が希良の口内に入る。希良は無意識に自分の舌を彼女の舌と絡ませた。
心拍数が急に早くなり、希良は思考が回らなくなった。彼女の腕が触れているからなのか、体温が上がっているのか分からないが、首がカイロを貼ったように熱くなっていく。
――このまま、俺は……。
だが、希良の期待も虚しく、夢はすぐに醒めてしまう。
それも、見回りに来た男性教員の大きなクシャミによって。
我に返った二人は、そこが学校の、自分たちの教室だということを思い出し、僅かなアイコンタクトを交わした後、狩人から逃げる動物のように廊下を駆けていった。
教員が来た方向とは別方向の出口から飛び出し、そのままバス停まで走りきると、ちょうど帰りのバスが到着していたので、希良はそのまま乗り込んだ。一番後ろの長椅子にドカリと大股で座り、呼吸を整えながら、ワイシャツの袖で額の汗を拭いた。
少ない乗客が驚きながらちらちらと希良に視線を飛ばしている内に、バスの扉は閉まり、ゆっくりと発車した。千佳子の姿はなかった。
「あいつ……間に合わなかったのか」
ここは待っているべきだったのだろうか。しかし、あんなことがあった今さっきでは、二人だけでバスを待っているのはかなり気まずかっただろう。
別に見つかったところで、殺されたり退学になったりもしないんだから、大丈夫だろう。校舎を出るまでは後ろから息が聞こえていたはずだし。
そんなことを自分に言い聞かせながら、希良は先ほどの出来事を思い出して赤面し、同時に深く後悔をした。
だからと言って次の日もお互いの態度は変わらず。廊下ですれ違えば挨拶を交わす程度の仲だった。希良自身も後悔したとはいえ、彼女にがっつくつもりもなかったし、何日か経った頃にはすっかりどうでも良くなっていた。
あの時、何もなかったかのように――。
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと