被虐的サディスティック
「一見、目立った特徴もないし、カップ麺を食べていても、注目せずにそのまま容器を捨ててしまうようなキャラクターだろう? だけど、何故かこうやってじっと見つめていると、本物のひよこよりも生きている感じがして、とてもかわいらしく思えてくるんだ。不思議なことに」
「はぁ……」
「……と、まぁ、僕の趣味についてはこの程度にしておこう。美紀君は今の僕の話を聞いていて、正直どう思った?」
馨先輩はひよこのマスコットを白衣のポケットに仕舞い、顔を私に向けて聞いた。
「えっと……ちょっとよく分からなかったです」
「そうだろう。でもね、僕はあのひよこが好きなんだ。これは誰かに勧められたわけでもなければ、『よし、今から好きになろう!』と決めて好きになったわけでもない。ただある日、何の理由もきっかけもないまま、このひよこを好きになったんだ。だからと言って、実際のヒヨコが好きかと言われると、別に好きでもないし、そこまで嫌いでもない。興味がないってころだね。このひよこだから好きなんだ。このひよこじゃなきゃだめなんだ。僕はこのひよこのかわいさを共感してくれる人がいればもちろん嬉しいけれど、だからと言って、分からない美紀君に無理に好きになってもらうように押しつけようとは思わない」
「あの、それとこれと、どういう関係が……」
「つまり金鬼教も同じだよ。教団側にとっては、自分たちの思想に共感出来るものだけが集まって欲しいんだろう。洗脳したり騙したりして強制的に共感させたくはないんだ」
「でも、それって宗教だったら普通のことですよね……?」
「その通り。だから、新興宗教と言うから怪しげでオカルトな詐欺集団という印象をもたれやすいが、金鬼教だけに関して言えば、そんな犯罪行為をすることを目的にはしていない。むしろ、信じたい人だけが信じてくれればいい、と言った思想なんだろう」
馨先輩が話をまとめたちょうどに、学校のチャイムが鳴った。時計を見ると、六時を指していた。窓の外は燃えたようにオレンジ色になっていて、窓に反射した部屋の全体像が映し出されていた。
「なんだか僕ばかりがしゃべってしまったね。時間も時間だし、今日はそろそろ家に戻った方がいいんじゃないかな?」
「そうですね。私の方こそ急に押し掛けてしまって、申し訳ありませんでした」
「ううん、大丈夫だよ。千住教授の件に関しては僕の方で調べておくから、美紀君は先生には何も聞かないでおいて。――実習の方も色々と大変そうだけれど、頑張ってね」
馨先輩はそう言うと、ソファから立ち上がって白衣についた埃を払い、私に背を向けた。
聞きたかったことは聞けた。馨先輩はアドバイスもくれたし、千住先生の件に関してもしっかり考えてくれている。
だが。私は急に焦りを感じた。
馨先輩の背中が、すごく遠く見えるのだ。手を伸ばせばすぐに触れられる。頭にだって届く。そんな距離しかないはずなのに、私と馨先輩の間にはねじれが出来ていて、腕が球面の鏡に映っているかのようにぐりゃりと曲がってしまう。
――私は、何の目的があってここに来たのか。馨先輩に何も求めているのか。
答えは分かっている。ならばそれを伝えるだけ。行動しなければ、ココに来た目的が果たせない。
「あの、馨先輩――」
後悔はしたくないから――。
「ん? 何か他に話し足りないことがあったかい?」
くるりと振り返った馨先輩は、眉を少し上げて聞いた。
「その……よかったら、この後、お食事にでも――」
「ごめん、まだやることが残っていてね。ご飯はさっき相田さんに頼んであるから……。また今度、お互いゆっくり出来る時にでも」
「……はい、分かりました」
私は今にも崩れそうな苦しい笑顔を馨先輩に向けて、扉の方へと身体を向けた。馨先輩が私の背中を見つめている姿が、扉のガラスにうっすらと映った。
「気をつけて。……また、いつでもここに来ていいから」
「はい、ありがとうございました……」
馨先輩の声色が、私の感情を気遣って優しくしているのが逆に胸を苦しめた。今にもここから駅まで走り出したい気持ちになった。心臓の音がやけに激しく聞こえる。
馨先輩のいる研究室を後にし、私は廊下を渡ってエレベーターが来るのを待っていた。うちの大学よりも後に作られた校舎だからか、なんだか病院のような雰囲気がある。
「ちょっと、いいかな」
エレベーターがやっと一階に着き、矢印が上向きに変わった瞬間に、背後から男性の声がした。
「はい……?」
振り返ると、私の頭一つ分くらい高い伸長の、黒髪の男性が立っていた。何故か彼も、馨先輩と同じようにワイシャツ姿に白衣を纏っている。病院のように錯覚してしまうのは、これらの所為もあるのかもしれない。
「君、千住――じゃなくて、相田ゼミの子?」
恐らく彼は、私がこの大学の生徒だと勘違いしているのだろう。
「いえ、ちょっと卒論のことで相談に来ただけで、学部も違います」
なんだ、そうか、と彼は素っ気なく答えると、ちょうどエレベーターの扉が開いた。彼もどうやら一階に向かうようだった。ボタンの前に立つと「何回?」と聞かれ、私は「あ、同じです」と答えた。返事はしたのかしなかったのかわからないぐらいの簡素なものだった。
彼の髪の毛は、一本の乱れもないぐらい、きちんと整っている。頭部のあたりは立てられ、サイドはすっと降りるように流れを作っている。毎朝セットするのにどれくらい時間が掛かるのだろう、と素直に疑問に思ってしまった。
「相田には会ったかい?」
彼の髪型を横目で見ていると、とっさに彼が話し掛けてきた。じっと見てくる私のことが気に障ったのかもしれない。
「あ、はい、一応……」
「何か言われた?」
彼は僅かに眼鏡の奥から除く瞳を私に向けた。向けられた細い眼差しに、私は思わず緊張してしまった。
「うーん、挨拶ぐらいしか、しませんでしたね……」
『裏番』と呼ばれたことを思い出したが、色々と誤解を招きそうなので、口には出さなかった。
「ふーん……」
またも彼はそっけない返事をし、エレベーターが一階に着くと、そそくさと外に出て行ってしまった。自分から聞いておいて、期待外れの答えだと適当な返ししかしないなんて。先ほど彼の目を見て緊張したのが阿保らしく思えた。
「んん? じゃあ、あんたは誰に相談したんだ? 教授に会いに来たんじゃないのか?」
彼は今度は思い出しかのようにぐるりと上半身から振り返り、後ろを歩いていた私に訊いた。自分勝手な人だな、と私は思いつつも、きちんと答えた。
「あの……守屋先輩に相談しに来たんです」
「あー、『ケイ』か。……あいつ、どこまで顔を広めてってんだ」
今回はきちんと会話が成立した。ケイ、という呼び名に疑問を思ったが、馨先輩の『馨』という字を、別なフリガナで読んだのだろう。
「いや、その、昔からの知り合いで……」
「昔? 昔っていつ頃だ?」
自分の興味のあることに関しては、質問を何度も重ねるなんて、モテない男の典型的パターンだな、等と思いつつも、それでも私はきちんと答えた。
「中学、ぐらいからですね」
「ほーう! ちゅー学生! 幼なじみ、ってやつか!」
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと