被虐的サディスティック
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馨先輩の元教授が、千住先生の祖父――。
この事実が一枚の写真によって証明された。
通常なら、私の知り合いの教授と教育実習先での先生が家族だった、というだけの、同じ発言が重なったような単なる偶然で済む話だ。しかしこの偶然は「証拠」であり、問題は別に存在しているのであった。
矛盾――。馨先輩が先生の祖父、千住教授本人と、その関係者から聞いた情報と、私が先日会員制のレストランで千住先生から聞いた情報との間に、大きな違いがあるのだ。
まず一つ目は、教授の死因である。
馨先輩は、相田現教授からは「事故死」と聞いたらしいが、私は先生から「自殺」と聞いている。駅のホームで電車に跳ねられた、という事故なら、自殺か他殺かどうか分からない場合もあるかもしれないが、馨先輩の話だと「車のハンドル操作を誤っての事故死」のため、その話を信じるのならば自殺とはとても考えにくい。もしも本気で自殺をしようとするのなら、車内での練炭自殺や、崖から車ごと飛び込んだり等という行動に出るのではないだろうか。
二つ目は、教授の遺産の行方である。
相田教授は千住教授の息子――千住先生の父、もしくは従兄弟にあたる人とも顔見知りだったらしく、教授の葬式の招かれた時にも、「父は自分の死期が分かっていたのか、ここ何年かで貯まってた財産全部削ってから逝っちまったから、遺産問題は気にしなくていいな」と、彼と話している際に漏らしていたらしい。その発言にどれだけ信憑性があるのかどうかは別として、ここでは「教授は遺産をほとんど残していなかった」ということになっている。
それに対して千住先生は、「祖父の遺産を使って贅沢をしている」というようなことを言っていた。実際に高級外車や会員制レストランなどを利用していることから、単に見栄を張っているだけとは思えないし、教師になってまだ数年しか経っていないであろう千住先生が、そんな額を短期間で稼ぐことは不可能だろう。
もしくは公に言えない理由――例えば、交際している年配の男性に買ってもらっていたり、水商売の経験があるのだろうか。
どちらも考えすぎかもしれないし、馨先輩の意見は間接的に聞いた情報のため、多少話がずれている部分もあるかもしれない。矛盾点だけに焦点を当てて考えればおかしいように思えるのだが、馨先輩は矛盾点だけでなくある共通点にも注目をし、そこから見える、何か不吉な予感を私に告げたのだった。
「美紀君、『金鬼』という言葉は聞いたことがあるかい?」
「キンキ? ……私は剛派ですけど?」
違う違う、と馨先輩は半笑いしながらメモ帳に漢字で記して見せた。
「金の鬼と書いてキンキと読む。由来については僕も詳しくは知らないんだが、太平記の記事中に登場する『藤原千方の四鬼』と言われる中の一体の鬼らしい」
「なんだか怖いですね」
「うむ。そこで言われている金鬼というものは、金のように堅く、刀や銃弾も簡単に跳ね返すぐらいの、鉄壁のような鬼らしいが、ここで言う金鬼は違う。『オカネ』に関係する鬼のことだ」
馨先輩は話しながら、メモ帳に何かを記した。
「『金鬼信恐教』……?」
「そう。意味は文字通りだ。『金は鬼だ。それを信じ、恐れを成した者は、我らの教えに従えよ』という、簡単に言ってしまえば新興宗教の一種だよ」
「え、待ってください。それってまさか――」
『お金ってものは、ナイフや核兵器よりも危険で怖い物だと思うの』
『お金は人を殺す――。私はそう思っている』
『それが既にお金の呪いに掛かっているのよ』
馨先輩はゆっくりと頷いてから言った。
「恐らく、千住教授のお孫さん――千住美波先生は、その金鬼信恐教の信者で間違いないだろう」
私は開いた口が塞がらなかった。あんなしっかりとした千住先生が、新興宗教の信者の一人だったなんて。そう考えると、私をあのレストランへ連れて行き、あのような「お金のあり方」について意見を述べていたのも、勧誘が目的だったのかもしれない。教育実習で落ち着きのない私を騙すための。
「ただ、新興宗教と言うと、最近の小説や漫画の影響で如何にも悪者や詐欺集団等と言った悪印象が強いだろうが、全部が全部、そういうことをやっているわけではないよ。確かに詐欺や洗脳をしている教団も少なからず存在するだろう。実際に検挙されてる報道も流れるしね。――だけど、それは『犯罪者は全員殺人容疑』等と言っている同然なことであって、あくまでごく一部の話、一例に過ぎないんだよ。犯罪だって喧嘩や下着泥棒程度の軽いものから、無差別殺人や大規模な詐欺行為まで、様々なものがあるだろう?」
「でも、金鬼とか……名前からして詐欺行為をしていそうじゃないですか」
「まぁ、そう思われても仕方ないかもしれないね。……実は、金鬼教には僕の知り合いがいてね。内情も少しだけ聞いているんだ」
馨先輩は持っていたボールペンを白衣の胸ポケットに挟み、ソファに寄りかかって話を続けた。
「まず、金鬼教は信者からの寄付金や参加料などを、一切受け取っていないらしい」
「ボランティアで演説を行っているんですか?」
「そうだね。集会の参加も自由だし、信者になるかどうか、また信者をやめることに関しても教団側は一切口出ししない。聞きたい人が聞きたい日に行けばいい、入りたい人が入ればいいってことさ」
「でも、それじゃあそう簡単に人は集まらないんじゃないですか? それに、集まっても教団側は何の得にもならないじゃないですか」
「美紀君、君は本当にそう思うかい?」
馨先輩は目を細めて私の瞳の奥を覗いた。
「確かに、教団を結成した当初は、講演をやっても人はこなかっただろう。一人もいなくても可笑しい話じゃないよ。せいぜい十人来れば多いくらいだ。でもね、似たようなやり方で、何百人、何万人もの人を実際に集めることに成功している例もちゃんとあるよ」
「それは……?」
「デモ行進やアーティストのライブが良い例じゃないかな。前者は共感する者が寄ってくる。後者はそのライブやアーティストの音楽性に惹かれた者がやってくる。これらはお金の掛かる掛からないは関係ないよ。あくまで個人の意志だ」
「でも金鬼教の教えって、『お金は鬼!』って唱えてるんですよね? そんな脅しみたいな講演に、興味をもったり、実際に聞きに行こうって思う人なんて、そう身近にいるんでしょうか……」
美紀君、それは君がお金を恐れていないからだよ、と馨先輩は言いながら立ち上がり、自分のデスクへと再び向かった。
「僕はね、高校生の時によくカップラーメンを食べていてね」
馨先輩がソファに戻ってくると、片手に小さなひよこのぬいぐるみを握っていた。
「その食べていたラーメンのキャラクターであるこのヒヨコが、ある日をきっかけに妙に好きになってしまってね。他の人に見られるのは恥ずかしいからいつも引き出しの中に仕舞っているんだけど、僕はこの子を見ていると、あまりの可愛さに癒されて、辛いこともすぐに忘れられるんだ」
「はぁ……」
表情を変えずにヒヨコの頭をふさふさと撫でている馨先輩は、なんだか見てはいけない彼の一面を見てしまった(見させられた)ように感じた。
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと