被虐的サディスティック
「なるほどね。つまりはどちらかが発端で今の状況が出来上がったわけだ」
「もしくは二人が何か、クラスが乱れるようなことをしたか――ですね」
馨先輩はコーヒーをかき混ぜ、ゆっくりと口に運んだ。大きく出ているのど仏が上下に動く様子が、馨先輩の色気をさらに醸し出した。
「……美紀君はさきほど今の状況になったのは、二人とも同じ九月初めの日だと言っていたが、僕は同時にそうなったわけではないと思うよ」
「では、もっと前から起こっていた、と? でも、少なくとも二人とも夏休みに入る前までは普通に学校に来ていたらしいですし、佳織ちゃんなんかは、女子のグループの中心的な存在だったらしいんです」
「だったら尚更だよ。九月より前に起きていたということももちろん考えられるけど、二人が同時にそのような状況になったとは考えにくい。むしろ、どちらか片方が今の状況、もしくはそうなるような発端を起こしたのが原因で、もう一人が今の状況になった、と考えられる」
「つまり、佳織ちゃんか千佳子ちゃんのどちらかがいじめを受けていなければ、二人とも今まで通りの生活が出来た、ってことですか?」
うん、と馨先輩は言って頷き、コーヒーのカップをトレーの上にゆっくりと置いた。
「その、佳織さんと元々親しい関係にあった女子の仲間は、彼女のことをどう思っているのかい?」
「直接的に佳織ちゃんのことはやっぱり聞きにくいので、はっきりとは言えないんですが……みんな佳織ちゃんが見えていないというか、存在をなくそうとしているように思えました。現に彼女は、休み時間中はひたすら自分の席を動かずに携帯を弄っているだけですし」
「みんな、意図的にその状況を作っているということか。そうなると、まず考えられるのは、千佳子さんが先にいじめを受けた、もしくは佳織さんと何らかのトラブルがあったと考えられるね」
「千佳子ちゃんがいじめられたから、みんなが佳織ちゃんの所為にした、ってことですか?」
「うん、それも考えられる。特に最近はメールやネットでいつ何処でも伝達出来る時代だからね。夏休みだからとか、学校が休みと言ったことは無関係だ。むしろ、顔を合わせないからこそちょっとしたトラブルが、結果的に大きくなってしまうことの方が多いだろう。それなら、千佳子さんが登校拒否をし始めた日と佳織さんが仲間はずれにあった日が同じ日ということに説明がつく」
要は、ケンカしている二人の姿を誰かが見てしまって、その光景が、偶々佳織ちゃんが千佳子ちゃんを攻めているような状況だったのだろう。そのケンカが原因で千佳子ちゃんは学校に通えなくなり、学校に通うことが出来る佳織ちゃんは、目撃者から伝染していった噂によって、「千佳子ちゃんを登校拒否に追いやった張本人」という肩書きが張られてしまい、クラスの中心からいじめの加害者へと変わってしまったわけだ。
「ただ、クラスメイトの一人に、ちょっと不良と言うか、不真面目な生徒がいまして、希良君と言うんですけど、その子が今朝、ケンカか何かをしたのか、佳織ちゃんのことを殴ってしまったんですよ」
おやおや、と馨先輩は言いながら、腕を組んだ。
「私が教室に入った頃は、もう事態が終わった直後だったようで、生徒がパニック状態になっていたり、男子生徒は希良君のことを押さえつけて、女子は倒れた佳織ちゃんのことを必死に宥めながら支えてあげてました」
「……となると、話はまた変わってくるなぁ」
「希良君も関係者、ってことですか?」
いやいや、それは誤解だよ、と馨先輩は言って手を顔の前で振った。
「それが正に、今話していたような、『一部始終による立ち位置の変化』だよ」
「あ……!」
私は納得して、両手を合わせた。
つまり、一見佳織ちゃんを一方的に殴った希良君が加害者に見えるが、それは私から見た光景であって、実際はそうとは限らないのだ。希良君が佳織ちゃんに何かをされた――極端に言ってしまえば殴られたから、殴り返してあのような状況になった、と考えてもおかしくはないのだ。
「人は、自分の五感には強い自信と信頼があるからね。ドラえもんだって、のび太がドラえもんに借りた秘密道具を使ってジャイアンに仕返ししているシーンを最初に見せられたら、のび太がいじめっ子とまでは思わなくても『弱そうな子が道具を使って強そうな相手を一方的に苦しめている』とも見れるだろう」
私は馨先輩のおかしな例えに、思わず息を漏らして笑ってしまった。
「でも、ドラえもんを知らない人なんて、今時そうそういないと思いますよ」
「まあね。でもそういう当たり前と言える常識的なことが、物の見方を大きく左右するとも言えるよ」
「そうなんですか?」
「あぁ。今の例えで説明してみよう。例えば、秘密道具を使っているのがのび太ではなく、しずかちゃんだったらどう捉える?」
「うーん……ちょっとやんちゃな子だなぁ、って思いますね」
「そう。たかだか性別が変わるだけで、印象というものはガラリと変わってしまうんだ。のび太だったら、男の子同士だからふざけあっている、後で怒られると分かっていながらちょっかいを出している、何か新しい遊びをしているとも考えられるだろう。だけど、同じ理由でしずかちゃんが秘密道具を使っているとは考えられるかい?」
「……ちょっと無理がある気がしますね」
「そうだろう。つまり、佳織さんと希良君の状況が逆になっただけでも、印象は大きく変わっていたと思うよ。恐らく、それを見た君は佳織さんが仲間はずれに嫌気をさして暴走した、とか、希良君が仲間はずれにされている自分に対してイヤミを言ってきたから、思わず殴ってしまった、等と考えるだろう」
なるほど、と私は心の中で呟いて、紅茶を口に運んだ。渋いハーブティで、ほどよい後味が飲み込んだ後も喉に残った。
「だけどここで言えるのが、逆の立場になったとしても、佳織さんは被害者のままなんだ」
確かに馨先輩が今言った理由は、前者は希良君が偶々彼女の暴走の被害にあっただけで、彼女事態が加害者ではなく、むしろ仲間外れをしているクラスメイトの方が加害者に近い。後者は完全に希良君が事態の発端になっている。
「性別というものは、身体や見た目の違いだけじゃないんだ。社会的な違いや立場的な違いもあるんだよ。例えそのような教育を受けていなくても、女子が男子を殴るよりも、男子が女子を殴った方がどちらが加害者かは明白だろう」
そんな話を聞くと、男性という性別はなんだか大変そうに思える。
「では、今朝の出来事は、そこまで関係ないんでしょうか……?」
「いや、大いに関係あると思うね。現にそれを聞いて、僕の中での考えが変わったよ」
「と、言いますと……?」
「彼女――佳織さんはね、少なくとも被害者ではないよ」
馨先輩は眼鏡の奥の瞳で私をじっと見つめながら、そう告げた。
窓から射す夕日が次第に弱くなっていき、蛍光灯の明かりがより目立つようになった。日が短くなりつつあることと、長い夏が終わってやっと秋が訪れることを伝えられているようだった。
「どうしてそう言えるのですか?」
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと