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被虐的サディスティック

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 昨日の放課後。クラスメイトから相手にされていない佳織を教育実習生の河井が面談室へ連れて行った姿を見て、希良は正直驚いた。実習生というものは、ただ単位を取るために母校に来て懐かしみながらテキトーに授業の真似事をしてさよなら、という奴らばかりだと思っていた。
 だけど、河井は違ったのだ。クラスの女子達と仲良くなって調子に乗っているというよりは、何か別な目的を感じさせた。言い訳ばかりで行動をしない教師とも違う。見て見ぬフリをしてその場をやり過ごそうとするクラスメイト達とも違う。
 ――他人思い、と言うべきか。
 中学の時だって、生徒思いの熱血教師はいた。だけど希良はそういう教師が一番嫌いだった。なんだか馬鹿にされているように思えたのだ。『教師』という立場に頼ってるだけで、本当は生徒のことを考えていないように。「お前らみたいな生徒は、俺が教師生活を初めて〜年経つが、本当に初めてだ」と言ったような言葉も、良い意味でも悪い意味でも信じられない。
 そのような教師にとっての教育というものは、まるでその教師のために用意されたゲームのように思えるのだ。
 まずクラスというものがあり、その中から要注意人物、話が合いそうな生徒、自分の部活の生徒、頭のいい生徒、それ以外の問題の無いクラスメイトと分類される。それ以上は解体されない。個人では見てもらえず、区分はその程度しかないのだ。
 そして、それらの生徒をシュミレーションゲームやのように教育していくのだ。ある時は団結させ、ある時は『個人』という架空のカテゴリを一時的に作り出す。それに素直に従う生徒と反抗する生徒のバランスを、教師達は楽しんでいるのだ。
 ――勝手な話だ。生徒をなんだと思っている。
 だが、対して河井はそのような『偽善的な教師』を演じようともしていないし、かといって事務的に行っているわけでもないように思えた。例え担任の千住に命令されてこのような行動を行っていたのだとしても、希良の目からは、彼女のやる気というものを感じられた。
 教室に残った生徒達が、河井の突然の行動に呆然としていることなど気にもせずに、さっさと帰ろうした希良の前に由希が現れて、廊下への扉を両手を広げて塞いだ。
「……なんだよ」
「希良、あなたいくらなんでも掃除サボりすぎ」
「なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだよ」
「だってあたしと同じ班でしょ? もしかしてそんなことも覚えてないの?」
「それくらい分かってるよ。馬鹿か」
 希良は面倒くさそうに頭を右手でバリバリと掻きむしった。
「そうじゃなくて……。千住が言うなら分かるけど、なんで女子のお前に言われなきゃいけないんだ。一人二人減ったって教室の掃除くらい出来るだろ。小学生でもあるまいし」
「何よ、偉そうに! 良いわよ。じゃあ今日もサボっても。先生に言いつけて、来週から体育教官室の掃除に変更してもらうから」
「……わかったよ。やりゃあ良いんだろ」
 体育教官室の掃除、と言うキーワードを聞いただけで、希良は背筋に鳥肌が立った。あそこの掃除ほど恐ろしいものはない。
 ここの高校の体育教師は、皆ヤクザと言わんばかりの恐ろしい男ばかりなのだ。どんな不良生徒だって、彼らにガンをつけられたら素直に従ってしまうだろう。いくら教師に反抗する希良でも、彼らを前にしては頭を下げることしか出来ない。
 ――ヤーさんにケンカ売れる高校生がどこにいるんだよ。
 結局、その日は希良一人で教室を丸々掃除するハメになってしまった。
 乱暴に箒で埃を吹き飛ばし、雑巾は足で踏んづけてずりずりとスケートをするようにして床を拭いた。逆さにして乗っけられた椅子を戻す作業が、一番手間が掛かった。全ての作業を終えた頃には教室の中はもちろん、廊下にも生徒がいなくなっていた。
 希良は自分の席にうなだれるように腰を下ろし、大きなため息をついた。
「ったく、なんで俺がこんなことしなきゃいけねえんだよ」
 もの凄くこの場でタバコを吸いたい気分だったが、校内で吸ったらさすがにすぐにバレるだろうし、こんなことで停学になったらそれこそ阿保の固まりのようなものだ。希良は重い身体を持ち上げて教室を後にしようとした。が、今度は別な生徒が扉の前を塞いでいた。
 佳織である。
 どうやら面談が終わって教室に戻ってきたらしく、ちょうど教室を出ようとした希良と鉢合わせをしてしまったようだ。
 目があったままお互いに僅かに沈黙した後、
「どけよ」
 と希良はぼそりと言った。すると、佳織は退く気配を見せずに希良に質問を投げかけた。
「……あんたってさ、何のために学校に来てるの?」
「寝るためだ。俺は授業聞いてなくたって平均点ぐらいなら取れるしな」
 それを聞いて、彼女はぷっと嗤った。
「それ、正気で言ってるの? テストで真ん中のあたり取ってれば頭良いとか思っちゃってるの?」
「なんだよ。そういうお前はどうなんだよ。ハブられて、ケータイ弄ってるだけじゃねえか。俺と変わらないだろ」
 希良は少し語気を荒げて言った。
「あんたとあたしが同じわけないじゃない。それに、あたしをただのかわいそうないじめられっ子とも一緒にしないでちょうだい」
 彼女は希良の瞳の奥までキッと睨みつけた。
「そうかそうか。クラスの誰にも相手にしてもらえなくて、学校に来る意味がわかんなくなったから、俺みたいな不良にでも目覚めようとでも思っているのか。哀れだな」
「哀れなのはそっちよ。あんたが不良? ――馬鹿ね。あんたはただの怠け者でしょ。将来ニート候補の、ゴミでしかないじゃない」
「お前……、ずいぶんと性格がねじまがってるようだな」
「あんたよりは曲がってないわよ」
 佳織は前に歩き出し、希良のことを肩でどんと押し退けて、自分の机の中からポーチを取りだした。
 ふん、と希良は鼻息を鳴らして教室を後にした。その日はいつものビルへ寄る気力も沸かずに真っ直ぐに家に帰った。母の作ったコロッケはなかなか美味だった。

 その翌日の今日。不幸は訪れた。
 希良がいつも通り机に俯せたまま朝の睡魔に取り憑かれていると、ちょんちょんと誰かが肩を突いた。また由希が小うるさく何かを注意してくるのだろうと思って顔を上げたが、そこに立っていたのは由希ではなく、佳織だった。上手く巻かれた栗色のカールの髪が揺れていた。
「あんた、今日から一週間、体育教官室掃除よ」
「……は?」
 突然の報告に希良は思わず声を上げて立ち上がった。
「掃除サボってたんでしょ? 当たり前じゃない。馬鹿なことばかりしてるからこうなるのよ」
 彼女は小声でそう告げると、何事もなかったかのように自分の席に着き、いつも通りにケータイを開いて弄り出した。
「あれ? 希良が珍しく朝から起きてる! おはよ〜」
 ちょうど最悪のタイミングで登校してきた由希を、希良は刺すように思い切り睨みつけた。手を挙げて挨拶をした由希も、さすがに怯んで、
「あ、あ、ごめんね。何でもない何でもない」
 と言って視線を外し、すぐに自分の席に座った。小刻みに震える手で鞄から教科書を取り出す。
「お前が……チクったのか?」
「え? チクる?」
 由希は強張った表情で希良に向き直った。
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと