被虐的サディスティック
「夢って言うのは、人によって大きさは様々でしょう? それに年齢や環境によっても変わることだわ。子供の頃はケーキ屋さんを自分で開きたかったのに、高校生になった自分は美容師を目指してる――とかね。もちろん全ての夢が叶わないとは一概に言えないし、ピアニストを目指している人でも両腕が使えなくなったら諦めるしかないでしょう? つまりはお金の有無に関係なく、夢の大きさってものは変わるのよ」
私はとりあえず頼んでみた白ワインを一口喉に通してみたが、何とも言えない苦みと喉を締め付けるようなアルコールの強さに、思わず顔をしかめた。
「だから祖父は研究資金という幻想にとらわれて、自分の夢が広がり過ぎてしまったの。そして、自分の身体のSOSサインに気付けなかった。お金に追われていたことに関しては、借金で毎日追われている人の状況と、本当に変わらなかったのよ」
「それで先生には……夢がないから、祖父の資金を使い果たすのですか?」
「夢はあるわ。でも、それを叶えるために祖父の資金は極力使いたくないってだけ。確かに資金があれば夢はすぐ叶うわ。でもそうやって簡単に叶えてしまったら、せっかくの夢が一瞬にして覚めてしまう。夢はなくなってもまたすぐに産まれるから、キリがなくなってしまうし、次に産まれた夢は叶えた夢よりもさらに大きくなるのだから、結果、祖父の二の舞になってしまうわ」
つまり、千住先生にとっては「お金持ち」と言った肩書きは邪魔なのだろう。確かに思い出してみると、先生の持っている鞄や財布は有名な高級ブランドの物だったし、スーツも端から見るだけでも素材からして桁が違いそうだし、ピアスも高そうなものを付けている。ここまで連れてきてもらった車も、海外メーカーの高級自動車のはずだ。
あからさまなお金の使い方をするのは、ただ単にお金持ちをアピールしたいわけではなく、手っ取り早く資金を使い切りたいだけなのだろう。自分の夢の扉に立ちふさがる、金の延べ棒を鉄の棒で溶かすように。
なんとも贅沢な話だ、と思ったが、それならむしろ募金や寄付をした方が、お金の感覚なども狂わずにすぐに祖父の残した遺産をなくせるのではないだろうか。
「それはダメよ。今度はその人達が不幸になる。海を越えた、透明な水も飲めないような民族の人たちに寄付するというのなら話は別だけど、そうなると今度は祖父の資金だけでは手に負えない。それに、そんな人たちを見捨てられなくなって、今度は私が自分の身を削って、その人達の寄付のためにお金に取り憑かれてしまう」
「なら、貧しい人たちは放っておく方がいい、ってことですか?」
「そんなことは言ってないわ。ただ――私たちがこうして日本という国に生まれてきた以上、まずは自分自身のことを一番に考えるべきだと思うの。確かにそういう人たちのことを考えれば、くだらない物に大金を使うのは後ろめたいことだと思うわ。それでも、使わないよりはマシ、と私は思っているの」
「……?」
私は首を傾げた。
「お金は、使わなければタダの紙切れよ。でも使えばお金を受け取る方も、そのお金で何かを得られる自分も、二人とも得をすることが出来る。それを自分のもしものためだけに無駄に取っておいたりすることこそ、一番の贅沢であり、非情なことだと思わない?」
先生の言い分に納得は出来なかったが、反論も出来なかった。
お金は天下の回りもの――。
私の頭の中で、その言葉が幾度も流れ続けた。
結局、豪華な食事をろくに味わうことの出来ぬまま(というよりは味の分からないまま)、私たちは店を後にした。会計の時に金額を聞いたら、二人分で私の一ヶ月の食費並みの金額だったことに、目が飛び出そうになった。
「まぁ、なんだか私ばっかりが話しちゃったけど。佳織ちゃんはそっとしておいた方がいいわ。夏休み前は普通に生徒達とも話していたし、彼女には彼女なりにみんなと仲直り出来る方法を考えてるみたいだから」
駅前までは一分も掛からずに着いた。幾人ものサラリーマンが駅の中へ吸い込まれるように入っていく。
「それじゃ、また明日学校で」
「はい、ごちそうさまでした」
私が頭を下げると、先生は軽く手を挙げながら車の窓を閉め、去っていった。
私はワインで酔って火照った身体のまま、サラリーマンとともに駅の中へと吸収されていった。
作品名:被虐的サディスティック 作家名:みこと